2011年12月26日月曜日

体育着着用のポイント

体育着着用のルールは意外と細かい。
だからこそ、趣意説明が欠かせない。


その1【紅白帽子はゴムで引っ掛ける】

紅白帽子着用は、頭部の保護である。
しかし、サッカーやバスケットボールなど、
頭上にボールが来る競技では、
通常の着用が危険になる場合もある。
だから、つばを後ろにしてかぶらせる。

また、ゴムで着用しないと、ふいに帽子が落ちて、
それを誰かが踏んで転倒なんてことも起こり得る。


その2【裾を入れる】

上に着用している衣服を「イン」する。
飛び上がったり、倒立したりするときなど、
お腹が見えてしまう。


その3【上着を着用する場合は、フードやチャックのないもの】

本校では、冬場でも半袖・短パンだ。
しかも、半袖は中に下着を着用しない。
その代わり、冬場、体が温まるまでは、
上着の着用が認められている。
その際、フードやチャックのないものが原則だ。

チャックは、誰かの髪を引っ掛けてしまうかもしれない。
フードも遊具などに引っ掛かってしまう危険がある。


その4【髪の長い人は髪を結わく】

遊具などに巻き込まれるのを防ぐためだ。


こんなところだろうか。

趣意説明をしないと、ただ単にうるさい人になってしまう。
趣意説明をすれば、安全に気を付けている先生になる。

2011年12月21日水曜日

掲示の注意点

学校にはたくさんの掲示物がある。
どんなに掲示物が増えようと、
絶対に守らなければならないことがある。

それは、「4点留め」である。

つまり、画用紙1枚を掲示するのなら、
四隅を画鋲で留めなければならない。
上2点ではだめだ。

なぜか。理由は簡単である。安全のためだ。

下がひらひらしていると、強風の際には、
たまたま近くを通りかかった児童の眼をするときがある。
下手をすれば眼球が傷付く。
また、児童が壁ぎりぎりを通りかかったときに、
掲示物が外れてしまい、画鋲が散乱するかもしれない。

当たり前の理由からきているのである。

しかし、これを理解していない教師が本校は多い。
このようなところにも、気を配らなければならないのだ。

校内研究云々より、
こういった指導の基本を研修した方がよほどためになる。
ちなみに、経験年数は関係ない。
ベテランと呼ばれる先生の教室でも、
4点留めになっていないことは多い。

進度調整

今日、学年で進度を確認した。
総合的に、私のクラスが一番進んでいた。


【国語】
「天気を予想する」「同じ読み方の漢字」まで終えた。
年明けからは「千年の釘にいどむ」からである。
これは学年ほぼ一緒。
校内研究の関係で「論語」は学習済み。

【社会】
私のクラスは「自動車生産」まで終えた。
他のクラスは「水産業・食料生産」までである。
中単元1つ分早い。
しかし、これでも指導計画よりは遅れている。
テストの問題も照らし合わせて、やや早めに進め、
卒業式練習が始まる2月中旬までには、
指導計画通りに進めたい。

【算数】
私のクラスは、「百分率とグラフ」に少し入った。
少し入っておけば、年明けは、確認しながら、
スムーズにスタートできるからである。
他のクラスは「分数のたし算とひき算」まで。
1単元分残している。

【理科】T1の先生がいるため、お任せ。
担任以外の授業時間は優先的に確保されるから、
1ヶ月くらい早く進んでいるとのこと。


内容の3割増は確実に現場を苦しめている。
6年生の算数には「場合の数(樹形図)」も入っているという。
驚きだ。私は中学1年生で勉強した。

来年度は、4月からエンジン全開でいきたい。

「百分率とグラフ(割合)」3時間目

昨日の記事に書いた、算数が苦手な児童の反応を見て、
今日は、もっと手放しでできるように工夫した。

まずは、問題文の登場人物を確定させる。
隣と教科書を交換して、チェックする。

そして、
「面積図を書きます。書けたら見せにいらっしゃい。」
これで面積図が書けたかどうかを全員確かめた。

なぜなら、面積図さえ書くことができれば、
あとは全て簡単に求められるからである。

子どもたちは、みんな簡単そうに解いていた。

面積図、恐るべし!

2011年12月20日火曜日

とにかく新しい単元に突入

迷っていた今週の算数の授業。
結果、1月の単元「割合」に突入した。

ここでは、ぜひ「面積図」を用いたいと考えていた。
しかし、様々な実践をあたると、
小数のかけ算・わり算や、単位あたりの量から、
面積図に慣れるのが望ましいと記述されていた。

これらの単元は既に終わっているため、
少しでも面積図に慣れる時間をとろうと、
今週から入った。

明日で3時間目で、指導書の第2時までを扱う。
これくらいのペースでも、
3月上旬までには教科書を終われる。

さて、「面積図」というと、
河田氏の「3人の登場人物」が有名である。

  代金は、定価の何倍にあたりますか。

このような問題文があったとする。
まず「何倍」を赤の四角で囲む。
次に「の」を丸で囲む。
次に「の」の前にある「定価」を鉛筆の四角で囲む。
最後に「は、が」の前にある「代金」を鉛筆の四角で囲む。

「何倍」「定価」「代金」が3人の登場人物となる。

しかし、河田氏が使用していた教科書は啓林館。
東書では、問題文の書き方が異なる。

  定価をもとにすると、代金は何倍ですか。

実際の問題文ではないが、東書版にするとこうなる。
この場合は以下の手順だ。

まず「何倍」を赤の四角で囲む。
次に「の」ではなく、「もと」を鉛筆の丸で囲む。
次に「もと」の前にある「定価」を鉛筆の四角で囲む。
次に「代金」を鉛筆の四角で囲む。

この手順を何度も繰り返し聞きながら定着させていく。

そうすると、算数が苦手な子ども(体育が一番好き)が、
体育も含めどの授業でも見せたことのない集中ぶりを見せていた。
「次にこうする……」とつぶやきながら教科書に書き込んでいた。
おまけに、一斉指導をしていたのに、
もう私の話は聞かず(笑)、1人で面積図を完成させ、答えまで出していた。

「面積図」のもつ力に感服だ。

明日が、冬休み前最後の算数である。
進度も安定しており、難関「割合」を余裕をもって過ごせそうだ。
(ちなみに、他のクラスは冬休み前までの学習内容を
1単元残して冬休みを迎えるとのことだ。)

2011年12月18日日曜日

金曜日のこと

金曜日は、区の球技大会であった。
「区」とはいっても、2校で対戦し、どちらかで試合を行う。
この催しが必要だとは全く思っていない。……これは置いておく。

都合、4時間目から給食の準備を行った。
いただきますからしばらくして、以下の2点を話した。

○勝負前、最後の食事であること。(腹が減っては戦はできぬ)
○5年生のために、温かい食事をと調理員さんが、
全校とは別に調理してくれたこと。

そのような特別な日であったせいか、
初めてご飯の残しが「0」であった!
みんな喜んでいた。
「パーティーしよう!」という子もいた(笑)

クラスによっては、
その日のメニューで食べなくてはならないメニューを決めるという。
これはこれで、目標が焦点化される。

その後に、そのメニューを食べきるまで、時間を延長する。

ここまでやってはいけない。

もちろん私のクラスでそんなことをしたことは一度もない。

でも、たくさん食べてくれるのは嬉しいことだ。
だが、このような結果がまたあるのではと期待してはいけない。
また日々を積み重ねるだけだ。
再び、このような結果に出会えたら、その時には大いに喜ぶ。

2011年12月17日土曜日

目の前の仕事を片付ける

教師の仕事は授業だけではない。
それにまつわる教材研究だけでもない。
成績処理、評価、出欠席管理、会計、文書の検討など、
枚挙に暇がない。

私は、仕事をこなす順序にこだわりがない。
とにかく、目の前にある仕事から取りかかる。
頭にぱっと思い出したり思い付いたりした仕事から取りかかる。

仕事をする順序を考えている間に、
回覧を回せるし、簡単なアンケートの類であれば記入し、
担当者に提出することさえできる。

放課後、次の日にしかできない、子どもに関する仕事を思い出したら、
付箋紙に書いて、健康観察票に貼り付ける。
健康観察票は、絶対に毎日手にとるからだ。

私の仕事の仕方は、「動線」を意識したら、無駄が多いのかもしれない。
しかし、移動しているときに、次にこれをしてとあれこれ考えている。
変に考え出すと、「完璧」を目指してしまいそうだから、
私は目の前からとにかく片付けることを意識して、仕事をしている。

「四角形と三角形の面積」を終えて(東書5下)

昨日、「四角形と三角形の面積」のテストをした。
時間内に採点、転記を済ませられた。

平均点は91.9点。
普段から公式は書いたり唱えたりしていたから、
公式を書く問題を間違える子どもはいなかった。

もったいないミスが目立った。
「平行四辺形の○○を底辺としたときの高さは何㎝ですか?」

という問いに対して、底辺の長さを答える子どもがいたことである。
これは算数の学力云々ではない。
単純に、日本語の読み取りの問題である。

だから、普段の授業から丁寧さを欠かすことはできない。

それでも、よく頑張った。
これでまたパーティーをする時間が1時間増えた。

私の傾向として、図形の単元は安定してきている。
計算の単元(小数のかけ算・わり算、分数のたし算・ひき算など)は、
あまりにも授業がパターン化して変化が少ないのか、
授業でできていたことがテストでできなくなることがある。

年明けには、「分数のかけ算とわり算」が控えている。
冬休み中に教材研究したい。

ちなみに、これで指導書の12月までの単元は終えた。
冬休み開始1週間前である。
他のクラスとは1単元以上差が開いた。(15・16時間くらい)
隣のクラスは1単元残して冬休みを越す。
残りの時数を見てみると、学年末ギリギリで終わるのだろう。
「問題解決学習」で進めたら、下手をすれば、
3月になって算数が1日2時間の日があるのかもしれない。

年明け最初の算数は、難関と言われる「割合」である。
面積図を用いたいが、そのトレーニングとしてあとの1週間を充てるか、
教科書に少しでも早く突入しようか迷っている。

2011年12月15日木曜日

指導要録

以前に記事で書いた、
指導要録の所見の下書きは、今週終わらせた。

今年度から、外国語活動の所見も書くのだが、
顕著なものについての下書きも終えた。

朝、訳あっていつもより1時間早く出勤したが、
空いた時間、30分ほどで書き終えた。

前期のあゆみに、線を引いたり書き込みをしたりする。
別の先生が担任しても、その子の特徴が分かるように。

冬休みを待たずに、要録に取りかかれればいいなと思うが、
学級通信も大台に乗りそうなので、迷っている。

2011年12月14日水曜日

公立学校の教員としての使命

向山型算数では、単元を貫く基本形があり、
それは最低でもその単元の間、徹底的に守らせる。
これは、ただ頑固なのではない。
ある教育的配慮があってだ。

それは、学力低位層の子どもたちに力をつけるためだ。

公立学校教員なら、必ず学力が低い子どもたちと出会う。
教師ならば、その子どもたちを救いたいと思うだろうし、
それこそが「公立学校」の教員の使命だ。
だから、学力が低い子どもたちの悪口を、
放課後に職員室でぶちまける教師は、
さっさと退職願を出し、有名私立小学校の教員になればよい。

学力が低い子どもたちのために、色々な指導法がある。
一つが、問題解決学習で見られるヒントカードがある。
自力解決できないときの、お助けのアイテムだ。
しかし、それを取りに行かない子どももいるという報告がある。

なぜか。
それは「どの子にもプライドがある。」からである。

そのような子どもでも、自分が算数ができないことを知っている。
誰でも、できないことを、周囲に知られるのは恥ずかしい。
どんなに担任が「大丈夫」と言っても、
全ての子どもから、その恥は拭えない。
それが人間の心理だからだ。

面積を求める学習。
「自分に合った学習方法でやりなさい。公式を書かなくてもいい人は、
書かなくていいし、書いた方がいい人は書きなさい。」

こう言ったとしても、次の時間には、
公式書いて求める子どもはほぼ0になるだろう。
(私自身経験済みである)

どうしてか。
頭のいい子が、黒板で問題を解くと、
一切公式を書いていないことを知る。

そうすると、自分のやり方は恥ずかしいと思う。
自分の周囲のノートを見てみると、
(偶然だったとしても)公式を書いている子がいない。
やっぱり、自分が恥ずかしくなる。
それだったらと、公式が必要な子も公式を書かなくなる。
テストには、公式を書く問題が出てくる。
公式を反復して学習していないから、公式が書けない。
テストでいうと、表の左半分の上側にある問題だ。

全員が公式を書いて解けば、
公式が本当に必要な子も、安心して公式を書く。
何回も書くから、反復して学習することになる。
声に出していなくても、脳に何度もインプットされる。
それを繰り返している内に、意識しなくても公式が出てくる。
これが「公式を学習した」という状態だ。

小学校で学習する公式は、たかが知れている。
5年生では、これが一番長い。
ひし形「一方の対角線×もう一方の対角線÷2=ひし形の面積」

これでは、ノートからはみ出る。
以下のようにすれば、できる子にも負担がない。
それに、ノートにぴったりと収まる。
ひし形「一方対×もう一方対÷2=ひし面」

全員で勉強して、全員ができるようになる。
平均点90点を上回るためには必要不可欠だ。

子どもたちのわたしの評価

本校では、今月「学校評価」を行った。
児童・保護者・教職員別にアンケートがある。
アンケートは4段階評価である。

高学年は、専科が関係してくる(本校では3教科)ため、
授業についての評価は、全て私の評価というわけではない。
それでも、大部分は私であるから、気になるところだ。

とはいえ、主観によるアンケートである。
気にしすぎる必要はないが、気にする必要はある。
やはり、児童と保護者の評価は、結構食い違うものだ。

そりゃあ、30人以上も担任すれば、
私と合わないであろう保護者もいるはずだ。
そんな保護者は、自由記述欄に、
私の授業にも専科の授業にも意見を書いている。

ちなみに、私の授業については、
「算数で式と答え以外に書くことが多すぎる。」と。

私は、そんな解答をつくろうものなら、
逆に親から叱られたものである。「過程を残せ」と。

現に、中学校以上では、数学の解答用紙に、
ただ枠だけが示されることがある。
思考の過程を、採点者に示すためだ。
このようなトレーニングも必要だとは思うのだが。

これについては、あまり気にしていない。

保護者の中には、「分かりやすい授業を行っているか。」
という設問に対して、
4段階中、下から2番目の評価をする保護者もいる。

しかし、子どもたちは、一番上か上から2番目だ。
授業を受けているのは、何より子どもたちだから、
子どもたちからそう評価されたのは嬉しいことだ。

中には、「これからも分かりやすい授業をしてください。」
というコメントを書く子どももいた。
これも嬉しいことだ。

だが、全員からそう書かれるようにしたいと思った。
決して驕らないこと。謙虚でありたい。

だから、先の保護者に対しても、
学級通信で、
「なぜ、全員同じ解き方で解かせるのか。」ということについて、
触れていきたい。こちらから近寄っていくしかないし、
それも教師の仕事の一つだろう。
たまに、教育観を語らねば、
学級通信はただの広告や報告書に過ぎなくなってしまう。

最後の連については、別記事で。

台形の面積の求め方

指導書で第7時の授業。

ここで、「問題解決学習」は行わないが、
「問題」を「解決」するための「学習」を行った。

向山氏の有名な発問を追試。
ただし、一字一句の追試とはいかず、我流になってしまった。

発問 あなたたちは、これまで、長方形・正方形・平行四辺形・
三角形の面積の求め方を学習しました。今日は、それを使って
台形の面積の求め方を考えます。一目見て分かるように書きます。
書けたら見せにいらっしゃい。

もっと、言葉を正確に追試すべきだった。
なぜなら、1つできると作業が止まってしまう子どもがいたのだ。

「1つできた人は、他のやり方も出してごらん。」

と指示した。

「何通りでもいいのです。多い方がいいのです。」

という向山氏の追試を落としてしまった。

それでも、問題を解決する方針を確認するところが、
問題解決学習とは一線を画したところであろう。
よって、算数の点数がこれまで芳しくなかった子どもが、
我先にとノートを見せに来た。

この日のために、平行四辺形や三角形では、
このような指示・発問をしなかった。

ある程度素地を養って、「台形」辺りで突き放してみる。

「上底」「下底」については、こちらで教える。

「公式がこうなる」というところまで1時間で扱った。
指導書にして、1.5倍のスピードである。

最後に、隣と覚えて言えるまで練習させて終えた。

三角形の面積の求め方

指導書で第4・5時の授業。
教科書は、平行四辺形、三角形、台形、ひし形について、
学習のパターンが決まっているが、
4つの図形について、同じパターンで学習するのは、
少しくどいと感じ、三角形は一気に扱った。

36ページ。「ゆみ」の考え。
同じ形の三角形を反対にして足し、平行四辺形に変形するという、
面積の公式を導き出すには、一番シンプルなパターンだ。
これを最初に見せる。

説明 ゆみさんは、同じ形の三角形を足しました。
    平行四辺形になりました。
発問 三角形がいくつありますか?(2つ)
説明 求める三角形は1つです。
発問 どうすればよいですか?(2で割る)
説明 だから、公式はこうなります。
       底辺×高さ÷2=三面(角形の積)
     ※また、くどくどと「底辺」「高さ」を説明しなくとも、
      子どもたちはすんなりと理解していた。

最近、やっと挙手・発言をするようになった女子児童。
授業が終わったとに、「もっと算数やりたいな。」とつぶやいていた。
やや早めの授業が、子どもたちには心地よいのだ。
問題解決学習では、絶対に出ない言葉であろう。

平行四辺形の面積の求め方

指導書で第1時の授業。

1 これまで学習した面積の想起
長方形と正方形の面積なら求められることをおさえる。

2 平行四辺形を長方形や正方形に直す
指示 平行四辺形を長方形か正方形に直します。
    先生が一目で分かるようにしてもってらっしゃい。

「自力解決」などと称して野放しにはしない。
ある程度の方針を確認し、作業させる。
「一目で分かるように」の一言で、矢印を書いたり、
数値を書いたりと子どもたちは工夫してくる。

3 面積を求める
ここまでくれば、「復習だからさっと求めましょう。」と、
ごたごた言わない。どの子も求められる。
場合によっては、「たて×横=長方形の面積」
「一辺×一辺=正方形の面積」を隣と言い合うなど、
復習させる。

「四角形と三角形の面積」(東書5下)単元指導計画

明日で、本単元が終わる。金曜日にテストをする予定だ。
13時間(補充問題までやれば14時間)配当だが、
私は11時間(補充問題なし)で終える。
テストを入れると12時間。

第1時 平行四辺形の面積を、長方形に形を変えて求める。
第2時 平行四辺形の面積を、公式を用いて求める。
       「底辺×高さ=平面」として、公式を書く負担を減らした。
第3時 平行四辺形の高さが図形外にある場合について面積を求める。
     また、底辺と高さが等しければ、面積が等しくなることを理解する。
第4時 三角形の面積の求め方を知り、公式を用いて面積を求める。
       ※指導書では2時間分だが、1時間で扱った。
第5時 三角形の高さが図形外にある場合について面積を求める。
第6時 台形の面積の求め方を考え、公式を導き出す。
第7時 台形の面積を、公式を用いて求める。
第8時 ひし形の面積の求め方を考え、公式を用いて面積を求める。
第9時 底辺が一定だと、面積と高さは比例することを理解する。
第10時 力をつけるもんだい
第11時 しあげのもんだい

指導書の第10時「葉の面積を求めてみよう」は保留している。
テストを金曜日に実施したいために、これは学期末に実施する。

別の記事で本単元のいくつかの授業について取り上げる。

2011年12月12日月曜日

漢字練習

学校教育の中で、絶対一気にできないのが、
「算数」とそして「漢字」である。
こればかりは日々の積み重ねである。

本校は、水曜日から金曜日の朝に、
モジュールの時間が設けられ、
15分なので1/3時間となっている。
その時間は、主に新出漢字に充てている。
それがない日は、国語があれば国語の授業最初10分で行う。

残念ながら「赤ねこ漢字スキル」ではない。
しかし、新出漢字のページ、練習のページと、
何となく「赤ねこ」に構成が似ている。

赤ねこのユースウェアを、他社版にアレンジした実践がある。
それを実践している。

また、学年で漢字練習帳への練習の仕方を決めたので、
それも実施している。

漢字練習帳については、練習の仕方まで学年統一であるが、
新出漢字についてはその限りではない。

赤ねこのユースウェアに沿っているためか、
学年統一で漢字テストを行うと、
我がクラスが一番満点の児童が多い。
これまでに3回実施したが、3回ともそうだ。

しかし、平均点を比較していないので、分からない。

子どもたちには、こんなことを語る。

>>漢字を覚えるペースは人それぞれです。
1回書けば覚えてしまう人もいれば、何十回、何百回書かないと
覚えない人もいるでしょう。それは仕方のないことです。
ただ、覚えるまで練習することが大事です。
そして、練習する中で、自分が覚えられる回数を見つけることも大事です。

世の中には、漢字でも数学の公式でも、
映像としてあっという間に覚えてしまう人と、
書くことを繰り返して覚える人とがいる。

前者になろうったってそれは無理な話だ。
私も後者である。

子どもたちには、そういう自分で切り開くことも、
時には語らねばならない。
家庭がそんなことすらも語らない今、
教師が語ることの範囲はますます広がっている。

2011年12月11日日曜日

大人でも褒められると嬉しい

私も、仕事ぶりを同僚や管理職から評価されると嬉しい。
それが、子どもとなれば、担任から褒められれば、
さぞかし嬉しいことだろう。

福島文二郎
『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』
中経出版、2010

話題になり、今も書店では堂々とディスプレイされているビジネス書。

1、2割がバイトである回転寿司店はひどい。
バイト同士でのコミュニケーションがなく、
客が要望を2度も3度も言わねばならない状況になる。

それが9割だ。

「指示するときは、必ず『理由』も伝える」ということは、
「趣意説明の原則」にあたる。

「後輩によい点を見出せば、すぐにほめる」ということは、
教師としても同じように重要な視点だ。

「後輩に『スモールステップ』をもたせる」ということは、
授業をテンポよく進めることにも共通するだろう。

おすすめの本である。

2011年12月8日木曜日

毎日の評価

私は、毎日、評価を名簿に書きためている。
「あゆみ」(通信票)の所見を書くのに、とても役に立つ。

「あゆみ」を書くときには、
子どもの事実をできるだけ詳しく端的に書く。
目指すは、読んで誰のことか分かる「あゆみ」だ。

発言の回数や、発言の様子(図を用いて説明した、など)、
行動面での良いところを書いていく。
単発の問題行動は書かない。
失敗するのも人間というものだ。
失敗を繰り返さないようにすればよいのだ。

長期的な課題も書かない。
「長期的」だから、書かなくても覚えている。

では、いつ書くのか。
時間はいくらでもある。

①授業時間
人によっては座席表を片手に授業する人もいる。

②専科の時間
高学年担任ならば、絶好の時間だ。
宿題を見るのに、さすがに1時間もかからない。

③会議前の時間
これが意外と有効な時間活用だ。
部会の会議でも、開始時刻は定められているが、
まずもって定刻に始まることはない。

他の職員と一緒に移動すると、
職員室の出入口は混雑するし、歩みも遅くなる。

だから、私は一足先に会議場所へ行き、
しんとした会議場所でさっと評価をする。
この評価も、3分あれば十分であろう。


1週間が終わると、評価を見直してみる。
そうすると、1週間何も書かない子どもがいることがある。
そうしたら、翌週はその子どもを重点的に見ればよい。

この積み重ねが、「あゆみ」の所見を書くときに役に立つ。

2011年12月7日水曜日

冬休みに向けて

あと2週間と少しで冬休みを迎える。
この冬休みにやっておかなければならないことがある。

一番は、「指導要録」の記入である。
所見欄の記入である。
年が明けてからは、月日が過ぎるのがあっという間だ。
ぜひ冬休み中に終わらせたい。

とはいっても、新たに文章を一から書くのではない。
私の場合は、前期の「あゆみ」(通信票)に、
その子の特徴を表す表現に下線を引いていく。
これで、要録の下書きが終わりだ。
そんなに時間はかからない。
今日の専科の空き時間で半分ほど終わらせた。

貴重な冬休み。
出勤日を決めて、定時までに集中して仕事をすれば、
ぼーっとするだけの冬休みより遥かにましになる。

2011年12月6日火曜日

親になりきれない親

またまた算数の話。

世には「向山型算数」と呼ばれるものがある。
私は、「問題解決学習」は嫌いで、
このタイプの算数が大好きである。

一番好きなのが、根幹である。
「どの子にも力をつける」ことである。
教育全体の根幹ともいえる。

その指標として、「点数」が挙げられる。
平均点90点突破が大きな目標だ。
この目標を達成するためには、
今までテストで5、10、20、30点だった子どもを、
50点や70点に引き上げなければならない。

そのためには、下位の子どもたちが
「できる」ようにならなければならない。

そのような素敵な理念がありながらも、反発がある。
それも親からだ。

向山型算数にはいくつものパーツ、システムがある。
どれもが密接に関連しており、欠かすことができない。

例えば「ミニ定規」システム。
直線を定規でひくと、本当に美しいノートになる。

「ノート指導」システム。
ゆったりと書かせる指導をする。
見違えるほどノートが美しくなる。
親はノートを見るから、感謝される。

他にも数多あるので、あとは関連書籍を参照されたい。

しかし、これらの論理的で人間味あるシステムに、
文句を言う親もこの世にはいる。

「ノートの無駄だ。」
「式、答え以外に書くことが多すぎる。」などなど。

「算数嫌いになるのでは?」ともっともらしいことを言うが、
なんてことはない。

我が子の「面倒臭い」を、大人の言葉で代弁しているだけだ。

もちろん、それらをさせる趣意説明は必要である。
しかし、それでも同意されないのであれば、
あっさりと引き下がればよい。

「それでも我が子は別がいいというのであれば、どうぞ。
でも、必要であれば、戻してもいいですからね。」

かわいそうだが、親が「指導方法」というプロの仕事に、
アマチュアのアマチュアが口出しするのだから、
そういう子どものことに責任は負わないことにする。

「向山型算数」を実践するには、多くの壁があるだろう。
「問題解決学習」大好きな管理職や指導主事。
そして、稀有の一点張りで
「先生のおっしゃることだから、やってみなさい。」
という姿勢を見せられない親。

しかし、力強い味方がいる。

向山洋一『教え方のプロ・向山洋一全集78
       “教えないから分かる”向山型算数』明治図書、2006

この中には、こうした壁に立ちはだかる教師への
力強いメッセージが記されている。

くじけそうになったとき、弱音を吐きそうになったときに、
ぜひ手元に置いて、読んでいただきたい。

(馬鹿馬鹿しくも期限付きだが)教員免許という専門資格があり、
難関試験を突破した教育の「プロ」という自覚をもち、
これからも、子どもたちのために邁進していきたい。

今日、三角形の面積の授業で、
長方形や平行四辺形に変形する内容から、
公式を導き、公式を用いて練習問題を解くまで、
2時間分を1時間で行った。

普段あまり発言しない女子児童が、
「もっと算数やりたいな。」
とこぼしていた。

あくまで、教師は子どもたちが「どうなったか」で勝負する。

他のクラスの算数

今日、訳あって隣のクラスに、算数の補欠に入った。
とはいっても、授業スタイルが違うから、
教科書の残っていた練習問題をやらせるのみで、
あとは「難問」を扱った。

まず、進度に驚いた。
私のクラスより14時間分遅い。
算数の大きな単元1つ分と捉えていいだろう。

そして、できない子どもが多すぎる。
前時には「通分」を学習している。
その練習問題。
「通分」がろくにできていないのだ。

7/9と5/6の通分でつまずいているのだ。
練習問題の一番最初の問題である。

書き方は滅茶苦茶。
ノートの書き方も統一されていない。
もちろん行間を空けて「ゆったり」など書いていない。

私のクラスは、どの子も通分は「簡単!」とやってのけてしまう。

②    ③
 7     5         14   15
-    -    =   -    -
 9     6         18   18
⑱    12
      ⑱

このシステムで通分させる。
ものによっては、下に倍数を多く書く場合もある。
だが、「ものによって」であって、「ほとんど」ではない。

私のクラスで一番算数が苦手な子どもでも、
このシステムに則って、どんどん通分してしまう。


さらに、空き時間で隣の隣のクラスの算数を、廊下から見た。
私のクラスより、16時間分遅れている。
廊下から見ただけなので、ノートなどは分からない。


どちらのクラスも、1単元残して冬休みを迎えるかもしれない。
私は、指導書の予定している内容は、
冬休みの1週間前にテストまで終わる予定だ。

残りの1週間(5日間)は、冬休み明け(割合の単元)に備え、
面積図のトレーニングをしようかと思っている。


算数だけは教え残しができない。
例え、国語や社会で読んで簡単にまとめられたとしても、
算数に限ってはそうもいかない。

新学習指導要領のもとでは、
「問題解決学習」の弱点ばかりが露呈されることであろう。

2011年12月5日月曜日

研究授業の参観者としての心得

校内でも研究授業が行われる。

1年生の古典単元を参観したときのことだ。
自分の好きな昔話を紹介するというのが、
本時展開の中でも柱だったようである。

往々にして教師には世話好きな人が多い。

この日も、活動が始まるや否や、
何名かの教師がグループになっている子どものところへ行く。
そこで、時折何かを話しながら活動を進めさせている。

私はこのような光景を見ると、不思議でならない。

普通、授業というのは教師1人で行うものだ。
「T.T(Team Teaching)」という形式もあるが、
ほとんどは教師1人で行う。

ということは、この研究授業のように、
1人で進められない授業は「授業」として成立しないのである。

いや、正確に言えば、勝手に補助に入る教師のせいで、
授業が成立しなくなっているのである。
さらに、班で話し合い活動をしているところに、
お節介な教師が介入すると、
話す子どもは、その介入してきた教師の方を向いて話す。

作業している子どものノートを見るのはいい。
むしろ、子どもの事実を掴んで研究会に臨むことは大切である。
しかし、同じ勤務校の同僚であっても、
他の人の授業を参観するにあたっては、
越えてはいけない一線があるように、私は思う。

2011年12月1日木曜日

チョークにこだわる

毎日使う「チョーク」に少しこだわりがある。

まず、完全に好みではあるが、
「羽衣チョーク」よりは「ダストレスチョーク」の方が好きだ。

そして、赤色のチョークであるが、
普通の赤色のチョークは使わない。
蛍光の赤色のチョークを使っている。

黒板に書けば一目で分かる。
発色がよく、見やすいのだ。
クラスに多ければ3人はいるかもしれない「赤緑色盲」。
「傾向」も含めて、そんな子どもへの配慮だ。

決定的な色盲の子どもがいれば、
赤色で書く部分は黄色を使うといいだろう。

蛍光の赤色は、学校にストックがないので、自費で購入している。
白色のチョークに比べれば、使用頻度なんてたかが知れている。

委員会活動などで、他学年・他学級の子どもが私のクラスに来ると、
蛍光の赤色のチョークに驚く。
そして「見やすい」と口を揃えて言う。

おすすめである。

2011年11月30日水曜日

主任の仕事

学校にはたくさんの「主任」がいる。

教務主任、研究主任、学年主任、教科主任、領域主任、
安全主任、給食主任、視聴覚主任、生徒指導主任などなど。

主任以外にその仕事を担う人がいなくても(=たとえ1人でも)
「主任」がつく(笑)

現時点で考える主任の一番の仕事。

それは「スケジュール管理」だと考える。

『○月に~をする』『△月に提案する。』など、
日時と内容の大まかを把握し、動かすのが仕事だ。

先週のある日、私の都合で外国語活動の時間を変えてもらうよう、
外国語活動主任に相談し、了解を得た。
なのに、指導を担当する外国の先生には伝わっていない。
結局、私が連絡した。

こんなことも回らないのかと思ってしまった。

「主任」になったからには、4月初っ端に年間スケジュールを確認する。
基本的には、ノートで引き継がれる。
そして、理想的には2ヶ月先を考えて、動き出す。
「1ヶ月先」だと、どうしても慌ただしくなってしまう。
2ヶ月がいい。

その校務分掌の仕事を実際にするのは、主任中心でなくてよい。
スケジュール把握さえきちんとできていれば、
各部員に仕事を割り当てられるし、
部員外の職員にも協力をお願いできる。

「主任」の仕事とは、こういうことだと思っている。

「分数のたし算とひき算」を終えて(東書5下)

今日で「分数のたし算とひき算」の学習が終了。
問題数が多いため、テストを2日間に分けて行った。

教科書の問題数と比較すれば、
この業者テストを1単位時間でやれるのは、
問題解決学習で進めてきたクラスの優秀な子どもくらいだろう。

平均点は84.4点。
やはり、約分ミスが目立った。
「これは約分できそうだ。」という感覚を育てる必要があった。

しかし、業者テストの問題点は、
教科書の練習問題からジャンプする問題があるということだ。

22

42

計算すると、こうなる問題があった。(テスト)
教科書の練習問題には、このような問題はなかったと思う。
一方で、私自身「偶数は2で絶対に割り切れる」を徹底できなかった。

明日から、「四角形と三角形の面積」に入る。
第1時は平行四辺形を扱うが、
指導書では「四角形への変形」で1時間、
「平行四辺形の公式」で1時間である。

本当は一気にいきたいし、実際いけるのだが、
練習問題を扱うとなると悩む。

かれこれ、3日間ばかり、時数で悩んでいる。

公式まで一気に扱い、
練習問題にじっくり取り組ませるのも一つの手だとは思う。
教科書をこれからしつこいくらい見てみる。

2011年11月27日日曜日

「叱る」我慢

クラスに30、40人子どもがいれば、
そりゃあ気持ちの切り替えがさっとできない子どもが何人かいる。
もちろん、私のクラスにもいる。

勤労感謝の日がちょうど中休みになり、
木曜日には「月曜日モード」の子どもがいた。
休みがあるのは嬉しいことだが、
こうなればなったで困ったものだ(笑)

そういう子どもがいた皆さんは、
一体、どのような対応・指導をなさっただろうか?
去年の私なら、間違いなく叱っていた。

今回は、私はふと叱るのを踏み止まった。
「叱ることで、授業に取り組むのか?」

叱ることで、その子どもが授業に集中する確信がなかった。

そこで聞いてみた。

T「昨日も試合だったの?」
C(うなずく)
T「試合で疲れちゃった?」
C(黙る)
T(ほほえむ)

これで、その子どもは、
ぱっと切り替えて授業に取り組み始めた。

これがプロの教師の仕事なんだなと思った。
叱らないで、お互い良い結果になるならそれでよい。

明日は月曜日。
同じように対応していきたいと思う。

行事 vs 日々

来月に区球技大会が控えている。
5年生の行事で、どうやらどの区でも行われているらしい。

なぜ「5年生」なのか?
6年生には体育大会があるからか?
たった数時間試合をしただけで、親睦が深まるのか?
こうでもしないと、技能が上がらないのか?
ねらいが達成されたかの検証は行われているのか?

謎だらけの行事であるが、
やるっていうんだから、やるしかない。

この行事やら運動会前になると「体育」の時間が増える。
だいたいの子どもたちにとっては問題なく、
一部の子どもたちは体育が多いと喜ぶ。

私が日々疑問なのは、それが「学校なのか」ということだ。

ある先生は、
「社会のこの単元は読んで終わりにするかな(笑)」
と言うときがある。

これは犯罪に近い。
経験がある人が言うのだから、なおさら悪い。
それならば、こういう体育の時間を減らせばいいのだ。

保護者はどちらの先生を信頼するだろう。

行事前は熱心に体育を行うが、
その分のしわ寄せが他教科に及び、
下手すれば読んで終わりの単元もある先生。

行事前の体育の時数はやや不足気味だが、
日々の授業はコンスタントに行い、
読んで終わりにしない先生。

私は絶対に後者だと思う。

前者のような先生は、絶対に
「一つの行事には、子どもたちの達成感を」
なんて決まり切ったことを言う。

そんなのは分かっている。

もちろん、行事も一生懸命、授業も一生懸命が理想なのだが。

少なくとも前者のような先生にはなりたくないし、
なるつもりもない。

このような「体育」や専科の関係で、
月曜日に自分がクラスで行う授業は、なんと1時間だ。

元々、その1時間さえも外国語活動にあてられるはずだった。
しかし、それではいけないと思い、
無理矢理外国語活動を翌日に移動してもらった。

火曜日には、外国語活動と国際理解教室が1時間ずつある。
それでも、月曜日に1時間授業をすることが大事だと判断した。
もちろん、その1時間は「算数」をする。

自分のカリキュラム・マネジメントの甘さを痛感する。
やはり、4月からの積み重ねが大事なのだ。
来年度の大きな目標ができた。

2011年11月20日日曜日

給食指導(報告)

http://kyouikunichikamichinashi.blogspot.com/2011/09/blog-post_5078.html

この記事での方法を継続している。

結果、前より食べる量が増えた。
極端に残ることもなくなった。

「減らしにいらっしゃい。」
で減らしたのに、

最後の5分間で、一口ずつランダムに配っていると、
ある子は減らしたおかずを欲しいと言う(笑)

わんこそばの要領で注いでやると、
男子はなんだか楽しいみたいだ(笑)

忘れてはならないのが「褒める」こと。
褒めて、爽やかな気分で「ごちそうさま」をしたい。

2011年11月19日土曜日

「分数のたし算とひき算」通分の指導(第3時・東書5下)

この単元は、通分さえ身に付けてしまえば怖くない。
シンプルに教え、練習問題を解くことで場数を増やし、
通分の仕方を確実に身に付けさせたい。

「1/2+1/3」は次の基本形で解かせる。
③    ②
1    1    3    2
- + - = - + -
2    3    6    6
4    ⑥


最後に「=5/6」を書いて完成。

分母の下に倍数を書いていく。
分子の上に何倍したかを書く。

この基本形だと、算数が苦手な子どもでも、
システムに則ってスムーズに解くことができる。

問題によっては、10行くらい書くこともあるが、

「たまにはね、たまには、こんな問題もあるんです。」

と言って、和やかな雰囲気をつくることが大事だ。

「何行になっても、絶対に答えが出せる方法です。」

と確実に答えが出せることも言っておく。

「最小公倍数を~」などと言うと、
とても堅苦しい学習時間になってしまう。

基本形をさっと教え、
練習問題で定着を図りたい。

全校遠足を終えて

昨日は、全校で遠足に行った。
たてわり班で活動する。

私は、今年度から教科外担当が
「総合的な学習の時間」(総合部)になったので、
実行委員担当として仕事をした。

総合部として、職員会議で2回提案をした。
子どもたちにこういう活動をさせたい、
ということも確認した。

もちろん不備はある。
それは来年度に生かす。

しかし、提案資料に明記され、
口頭でも確認したことが、なかなか職員に浸透しない。

当日の朝、「○○はどうなっているんですか?」
と何度聞かれたことか。

そりゃあ少しくらいはあるだろう。
だが多すぎる。

結局、担当外の職員はよく読んでいないのだ。

管理職はチームで云々言う。
職員の仲は良い方だと言う。
私もそれはそう思う。

だが、実際に仕事をするとなると、
チームではない。

職員会議や前日の打ち合わせでなぜ言わないのか?

それに、自分の役割が明記されていても、
それに必要な物などを当日まで確認しない。
だから、総合部の準備が悪いと言われてしまう。

今回の全校遠足。
子どもたちにもっとこう動いて欲しいと思う場面が多々あった。

その原因を探ってみると、
明らかに職員の動き方に問題があるのだ。

例えば、

「6年生のリーダーシップを育むためにも、
学校から出したら、危険な場所(横断歩道や電車への乗車)
以外は極力手を貸さない。」

という方針があった。

だが、子どもたちは、時刻を聞いてくる。
歩道を広がって歩く。
班行動が乱れてくる。

その背景はこうだ。
職員が容易く時刻を教えている。
先頭を切って頻繁に整列指導する。
合同班になってしまう計画を立てさせている。

こんなんじゃあ、子どもたちは育たない。

職員へ浸透させることの難しさを知った。

2011年11月17日木曜日

中学校の授業

今日は、中学校の授業参観に行った。
「小中交流」で、学区の小学校が参観に来る。
年に一度の行事である。

世間一般には、中学2年生が「中だるみ」と呼ばれている。
2年生の担当となれば、おそらく口酸っぱく言うのだろう。
(私も、中2では言われてきた。)

ところが、一番落ち着きのないのが1年生だった。
参観者がいるという条件はあっても、
それは全学年共通であるから、関係ない。

落ち着かないのならまだよい。
何より驚いたのが、その落ち着きのない状態を、
授業をしている教師が放置しているということだ。

その教師は、子どもの言葉をほぼ聞き流し、
緩急のない常に大きな声で、
ある特定の生徒とのやり取りのみで授業をしている。

褒める言葉や励ます言葉などない。
たまに注意するくらいだ。
それも、年配の先生に多い。
若手の先生の授業の方が、遥かに落ち着いていた。

年配の先生は、教卓から一歩も動かない。
PCをTVにつないで授業をしている先生がおり、
一見、授業方法を工夫しているように思えたが、
意図がよく分からない用い方であった。
見かけ倒しだ。
そして、褒めない。

同じような状況が、自分のクラスでなっていたら、
私は間違いなく「崩壊予備軍」と称すだろう。

一方、若手の先生。
褒め言葉こそほぼない状態であったが、
問題を解くとなると、一生懸命に机間巡視をしていた。
一生懸命な感じが、生徒に伝わっているかもしれない。
そして、板書が年配の先生より丁寧であった。

一般的に考えて、
小学校の先生の方が、授業の上手さは上だと感じた。

魔法の言葉

小学校では、
今年度から新学習指導要領が本格実施された。
それに伴い、算数は3割内容増となった。

前の学年や中学校の内容が下りてきている。
学年相当か?という単元もあるが、
学習指導要領にある以上は教えなければならない。

そこで、私は
「大丈夫」「これはね、とっても簡単なんです」
などという言葉を意識して遣うようにしている。

教師は、これまでは上の学年にあったとか、
中学校の内容だったとかをよく知っている。
だから、単元の導入で思わず
「これは前、6年生でやっていたんだよなあ」
と言ってしまいそうである。

それを聞くと、子どもたちは「難しいんだ……」と
思うかもしれない。
「難しいけど、頑張るか」と思うかもしれない。

後者ならよいが、前者も絶対にいる。

そう思ってしまうと、
分かるはずの内容まで、分からなくなってしまう。
自分で壁を自然とつくってしまうのだ。

今、私は「分数のたし算とひき算」を教えている。
これは、6年生にあった内容だ。
しかし、そんなことは一切子どもに言っていない。

「この勉強はね、たし算・ひき算だからとっても簡単だよ。
だけどね、簡単だと思って丁寧さを抜くと、
たくさん間違えてしまうからね。」

私はこのように言った。

通分・約分ができれば、何のことはない単元である。
だから、簡単さを言いつつも、
丁寧さを抜かないように強調した。

授業では、基本的なたし算・ひき算や
教科書に書いてあることを問うときに、

「とっても簡単なことを聞きます。」

と言う。

これで、子どもたちはおおよその見当をつける。

冬休み明け、5年生の最難関単元と言われる
「百分率とグラフ」(割合だ)があるが、
この授業のときには、なおのこと

「これは5年生で一番難しいんだよ。」

とは言わないようにする。

教師の何気ない言葉を、
意外と子どもたちはしっかりと聞き、覚えているものだ。

2011年11月15日火曜日

教え残しを出さないために

今日、職員室で少しの間、進度について話題が出た。

算数は、4年生も6年生も
下巻に入っていないクラスがほとんどらしい。
我が5年生も、
隣のクラスが明日から下巻に入れるくらいで、
他1クラスはまだ上巻だ。

ちなみに、私のクラスは、
下巻で10時間目の授業を明日行う。
とはいっても、指導書通りの進度である。
(本当はもう少し早く進みたかった)

最新号『教室ツーウェイ』の特集の題は、
「分厚い新教科書・積み残しを出さない工夫(算数・理科編)」だ。
巨大教育雑誌で特集が組まれるほど、
積み残し・教え残しは全国的な課題なのであろう。

新学習指導要領の影響が大きい。
あと1ヶ月半で今年の授業が終わる。
そろそろ調整しないと、本当にまずいことになる。

ちなみに、私も反省がないわけではない。

国語(光村) やや遅れているが、今日から「大造じいさんとガン」。
まだ取り返せるし、そこまで焦るほどではない。
漢字も単元と同時並行で、スキルは下巻。

社会(光村) これが一番まずい。指導書より1ヶ月遅れだ。
社会科見学の都合で、「水産業」の前に「自動車工業」を行った。
明日から、「水産業」に入る。(秋のサンマが教科書に出てくる)
単元一つ一つの時数配当が多いので、
その辺を工夫して取り返したい。

算数(東書) 先にも触れた通り。現在「分数のたし算とひき算」
約分・通分が終わり、明日はいよいよたし算を指導する。
指導書通りの時間配分でいけば、
冬休みに入る3日前に12月配当の単元が終わる。
校内では進んでいる方の私のクラスでさえ、ギリギリである。

来年度は、教師達の意識もだいぶ変わるのではないかと思う。

2011年11月13日日曜日

授業時間を守るために

「授業時間」ラベルの一番最初の記事で、
授業時間を守ることについては触れた。

そのために、45分間の組み立てをし、
そして授業中は時間を気にしつつ授業をする。

なので、私は教室の後方の壁に、
もう1つ時計を掛けている。

前にも時計はある。
教師は、授業中、基本的に後方を向いている。
(=黒板を背にしている。)
いちいち体ごと振り返って時計を見ていたのでは、
動きが大きくて、子どもたちの思考を邪魔してしまう。

教師が時計をわざわざ見てしまうと、
どんなに賢い子どもでも、
「あ、あと○○分で終わりだ。休み時間にならないかなあ。」
と少しは考えるだろう。

だから、私は教室の後方に時計を掛けている。

これで、視線を子どもたちから大きく外さなくても、時間が分かる。

電波時計でも、1000円出せば手に入る。

2011年11月12日土曜日

行事の精選

ある日、管理職がふとこう言った。
「どうやったら放課後の時間を確保できるのかなあ」

答えは、実に明快だ。
放課後に行われる「物事」を減らせばよいのだ。

放課後に行われる物事は、会議や打ち合わせである。

それらは、何のために行われるのか。
それは、実施される「行事」のためである。

つまり、行事を減らせば放課後の時間が確保できると考える。


行事を精選する。
必要な行事と不必要な行事に分けていかなければならない。

横浜市で教員をしていて、不必要なのが「区」関連の行事。
区巡回書写展、区巡回図工展、区球技大会。

それぞれは、例年に則って行われるだろうが、
やるからには提案する人、準備する人、片付ける人がいる。

しかし、これらは「区」単位であるから、
なくすのなら、区全体の了解が必要である。

そこで、学校単独行事はそれらよりは融通が利く。
教員がスポンジに例えられたとしても、
スポンジにも水を含められる限界はある。


「校内図工作品展」

本校では毎年12月に開催される。
各学年が平面・立体の各個人作品を制作し、
体育館に一同に展示する。
図工ばかりする週が生じてしまう指導上の課題もあれば、
体育館の準備が大がかりだという問題もある。

私が不必要だと感じるのは、この行事の開催によって、
子どもたちに何をねらっているのかイマイチ不明確な点。
そして、ねらいを振り返る作業が行われていない点である。


「区教育研究会」
横浜市では、A研(教科)とB研(教科外)が、
それぞれ月1度行われる。

ある地方では、隔月開催。
このような取り組みがない自治体もある。

問題点は、研究するのは大いに結構なのだが、
その研究結果が各校に還元されていないという点。
区教育研究会は「出張」のため、全員参加。
だから、各校の教科・教科外担当が各校の代表者になる。
その代表者が各校に生かさなければならないのだが、
そんな時間がない。
形式上の研究会だ。


「ありがとうの会」(名称は各校様々)

PTA、地域、ボランティア等を招待して行われる感謝の会。
本校では今年度10月の開催であった。
この行事の問題点は2つ。
1点目は、教師の誘導による児童の強制提案である点。
2点目は、学校が下手になりすぎている点である。
要は、地域に媚びをうるための行事なのだ。


「会計の仕事」

各学年には会計担当がいる。
行事が多い学年になると、行事の特別会計を行う者を、
別に設ける学年主任もいる。
(ちなみに、今年度、私は行事会計担当)

予算執行計画、集金作業、支払業務、出納簿作成。
これら全てが、会計については「アマ」の教師が行う。
その取りまとめ役が、教頭・副校長である。

集金は担任がやった方が効率的なのだが、
殊「数字」に関することは、
明らかに事務職員の仕事であるのだと思うのだが。

仮に、学級担任が人と対峙する「営業」なのであるならば、
関係する費用の細かい業務は「経理」である。

事務職員の増員はあまり話題にならないが、
教師の仕事の負担を軽減する上では、重要な課題である。


ほんの一部だが、
やっぱり教師の仕事は必要以上に多いのである。
要は、仕事内容での住み分けが不十分なのだ。

2011年11月11日金曜日

1時間の重み

新学習指導要領が本格実施され、
授業1単位時間の大切さが、これまでより身に染みる。

今日、同学年の同僚と何気ない会話をしていたら、
算数も社会も1単元分、私のクラスの方が進んでいた。
別のクラスとは、算数は2単元弱分進んでいる。

週時数はもちろん一緒だ。

どんな行事が控えていようと、「子どもの達成感」を建前に、
学校の本分である授業時間が蔑ろにされてはならない。

その建前に、異様に体育の時間が増えたり、
学活の時間が増えたりしてはならない。

運動会は、どうしても他学級・他学年との兼ね合いもあるが、
極力授業時間は確保した。
算数だけは、やらない日がないように調整した。

横浜市は、(必要か不必要かは別として)行事が多い。
高学年になればなるほど多い。

まずは、この状態でいかに授業時間が確保されるか、
今年度だいぶ浮き彫りになるのではないかと思う。

そして、管理職は、「担任の裁量」だの「教師の腕」だのに
託けないで、行事の精選をしてほしい。
(行事の精選に関してはいつかまた…)

教師の仕事は、あくまで「授業」なのである。

2011年11月10日木曜日

漢字ノートを美しく書かせる方法

親は、漢字ノートを美しく書いてほしいと願う。
その思いとは逆に、子どもたちは早く終わらせたいと思う。

そこで、教師の赤ペンの腕の見せ所だ。

私は、ノートに褒め言葉しか書かない。

「うまい」「美しい」「きれい」「じょうず」
「すばらしい」「芸術品」「文句なし」
「うますぎる」「美しすぎる」「きれいすぎる」「じょうずすぎる」
「すばらしすぎる」「お手本のようだ」などなど。

この一言が嬉しくて、子どもたちはノートをきれいに書く。
だから、帰り際に係の子どもにノート返却をさせると、
ノートが返ってきた子どもたちはすかさずコメントを読む。
この一言が結構嬉しいのだ、と保護者からも教えていただいた。

汚いノートでも、ある1文字がきれいなら、
「この字がとてもきれい」

字が濃ければ
「こい字で見やすい」

マスに大きく書けていれば
「マスに大きく書いてあって読みやすい」


1週間もあれば、だいたいどの子どものノートもきれいになる。


あとは、授業時間に、
「漢字ノートをあれだけきれいに書ける人がいっぱいいるんだよね。
うわあ、○○さんのノートはきれいだなあ!」

と発すと、授業で使うノートもきれいに書くようになる。

「図形の角」を終えて

今日、下巻最初の単元「図形の角」のテストをした。
平均点は、文句なしの93点!
子どもたちは大喜びだった。

しかし、平均点が90点を超えたものの、
ある程度の力をつけてあげられなかった1名がいた。
これではいけない。「全員」にこだわりたい。

授業場面で、「詰める」ことが少なかったと反省している。
授業時間に、適度に張りをもたせていきたい。


この単元は、「逐一指導」にならないように気を付けた。
四角形の内角の和が360°であることを学習するときに、
図形に対角線をひいて、三角形に分割する方法を学習する。

その後、五角形、六角形と多角形を同様にして求めていくが、
そのときに「前と同じようにやってごらん。」で、
問題解決の基本を教えた上で、自力解決をさせてみた。
(その辺の「問題解決学習」との大きな違いだ。)

そうすることで、進度のペースは安定するし、
子どもたちの応用力も養うことができる。


明日からは、分数のたし算とひき算だ。
心配されるのは計算ミス。
「丁寧さ」を詰めるように指導していきたい。

2011年11月7日月曜日

何を叱るか

教師をやっている以上、褒めることが一番大事なのだが、
それでも叱らなければならないときがある。
叱られた子どもたちは嫌だろうが、
それ以上に教師も叱るのが嫌なのである。

私は、学習内容のできる・できないは絶対に叱らない。
この辺を「愛の鞭」だとか言って、叱る人がいる。
一気に子どもたちから信頼されなくなる。

私が叱るのは、「人として許せないこと」である。

話の内容が理解できないことを叱らないが、
話を聞く態度は叱る。

勉強していることをなかなか理解できないことを叱らないが、
学習用具が猶予があっても揃えられないときは叱る。

今の時代、
人として大事なことも学校で教えなければならないときがある。


どんなに叱ったあとでも、話が終わったら絶対にその話を繰り返さない。
一気に話題を変え、何事もなかったかのようにする。

私のクラスの子どもたちは、
私のそういった振る舞いを知っている。

だから、どんなに叱ったあとでも、
その後の休み時間はいつも通り私と接す。

去年、アンケートでこんなことを書いた子どもたちがいた。

「先生は、叱るときはしっかり叱るので好きです。」
「先生は怒るとちょっとアレだけど、普段は丁寧です。」

まあ、2つめはご愛敬で(笑)

叱るときに叱らない先生は、
叱られる対象ではない子どもから信頼されなくなる。

意外と子どもたちはしっかり見ているのだ。

2011年11月2日水曜日

算数科における問題解決学習

今日、同じ学年のクラスに補欠で入り、テスト返却をした。
単元は「単位量あたりの大きさ」。
テストを返していて、つくづく問題解決学習はやらないと心に決めた。

まず、テストの平均点が、私のクラスと10点は開こうか。
50点未満がごろごろいるのである。
結局、子どもたちに力がついていないということである。

テストでは、いくらか数値が変わっているが、
基本的に問われていることは、教科書と一緒だ。
それなのに、テストの「問題」を「解決」「できていない」のである。

そして、授業の進度が遅くなる。
指導書の配当時間の1.5~2倍の時間がかかる。
教科書の内容3割増の新学習指導要領において、
時間がかかる、おまけに力がつかないのでは意味がない。

ちなみに、私のクラスとは9時間分違う。おおよそ1単元分だ。

2011年10月27日木曜日

「分数と小数」を終えて(東書5上)

今日、「分数と小数」のテストを行った。

平均点は、
表面のみだと94点、裏面も合わせると87点。

裏面はなんのことはない普通の文章題。
むしろ、表面の文章題の方が少し難しい。

「○○は△△の□倍」

これの立式に苦労していた。
「~をもとにすると(=を1とみると)」と
「―は何倍ですか(=はいくつにあたりますか)」の
見分けがポイントとなる。

「比べる量」を赤鉛筆で囲むなどの指導が必要だったのでは
ないかと反省している。

それでも、表面はびっくりするくらい頑張った。

今回は、おまけで表面のみの平均点を子どもたちに発表した。
大喜びだった。

最近、周年行事関係で学校自体が慌ただしいので、
気分をすっきりさせたかった。

明日から下巻に入る。
「図形の角」だ。
指導書よりも少しばかり早く進んでいる。
やっと、ペースを戻してきたという感じだ。

指導書通りのペース配分でいけば、とてもすっきりする。

1時間で予定通りに終わるよう、しっかりと言葉を削りたい。

2011年10月23日日曜日

専科

専科の先生にこう言う人がいる。

「担任の先生の授業じゃないとね、どうもだらけてしまって……」

こう言って相談するのならまだしも、
専科の授業時間に、態度が悪いのは担任の指導がなってないからだ、
と主張してくる先生がいる。

専科の授業時間に態度が悪いのは、
それはその授業時間を担当する専科の先生の責任なのである。

私も、実行委員やら横割り・たて割りで、
他学年・他学級の子どもと接することはある。
でも、しっかり話を聞くよう、
出会いは「黄金の3日間」のように、緊張感をもって指導する。
そういう指導をすれば、絶対に子どもたちは変わる。

クラスの子どもたちには「白銀の3日間」で、
「本物を目指すこと」を指導した。
専科の時間に態度を変えるのは本物ではない、
という内容のことも話した。

もちろん、
「夏休み明け、先生は『本物を目指しなさい』と言ったよね?」
を建前に指導はするが、そんなにきつくは言わない。

ある時間、子どもたちを預かったらその人の責任なのだ。
専科の時間に、子どもが誤ってケガをすれば、
担任の責任ではないことは明確である。

授業態度についても、それと同じだ。

冒頭でも述べたが、「相談」という形でなら、
私ももちろん無関係とは言わず、絶対に協力する。

分数と小数 第4時までを終えて(東書5上)

この単元、内容はさほど難しいものではない。
しかし、教科書が新しくなって、練習問題数がかなり増えている。
かといって、その練習問題も複雑ではない。

やはり、ポイントは「テンポとリズム」である。
例題をのたのたやっていたのでは、
10時間くらいかかってしまうだろう。(配当時数は6時間)

私は、今のところ、指導書の配当時数・配当ページ通り進んでいる。

毎回毎回言っているようだが、
他のクラスとはだいぶ進度に差が出てきている。
7時間くらい、つまり1単元分開いている。

高学年は専科の時間も多い。
自分の時間が1時間は最低でも確保されるよう、
(=これはもちろん「算数」のため)
私も何でも専科から出された時間通りにはしない。

ただ、内容が簡単な単元だけに、
調子に乗って基本形を守らない子どもが出てくる。
しっかりと詰める。
基本形を守る子どもは、
大抵何でも丁寧にまじめにこなす子どもだ。

「守らなかったらやり直し」は宣言している。
だから、鬼畜と言われようと、やり直しをさせる。

2011年10月17日月曜日

分数と小数 第1時(東書5上)

今日から、「分数と小数」に入った。

第1時。
□÷○=□/○
になることをおさえ、解けるのが本時目標である。
何が何でもおさえさせたい内容である。

『向山型算数授業法事典〔小学5年〕』(木村重夫編)を追試した。
教科書は、ページ数にして3ページを一気に扱う。
練習問題も12問あるため、
練習問題が尻切れトンボにならないように、
前半はとにかくテンポを大事にした。

ただ、原実践と異なるのは、
  □÷○=□/○
これに矢印を書かせたことである。

そうすると、みんな「簡単、簡単。」と言っていた。
「この部分なら、100点取れる。」と言う子もいた。

教科書の練習問題が終わって、7分余った。
バラドリルの当該ページをやって、答え合わせもできた。

「チャレンジしてごらん。」と言ったら、挙手が増えた。
とっても嬉しい光景だった。

サッカー 第2時の指導(5年)

今日は、久しぶりのサッカー。

係に準備運動をお願いする。
かけ声が職員室まで届き、とても清々しい。
学習カードを使っているが、
それが朝礼台の上にきちんと並べて置いてある。
私が言っていないのに、進んで行動したのだ。
しっかりと褒めた。

今日は、全員シュートを経験することが目標だ。

1.ボールタッチ(30秒)
左右の足の裏で、交互にタッチする。
90回以上できたのは、サッカー経験者。
苦手な子が、どれだけ伸びるのか楽しみである。

2.ボールはさみタッチ(30秒)
今度は、左右の足の内側で、交互にタッチする。

3.追いドリブル

4.1対1

5.2対2

6.4対4(ノーマルver.)
「3.」から「6.」までは前時と一緒だ。

7.4対4(全員シュートver.)
全員帽子を赤にする。(別に白でもよい)
シュートをして決まったら白にする。
チーム4人全員が白になった方が勝ち。
これで、苦手な子にもパスを回さなければならなくなる。
そして、苦手な子もシュートを経験できる。
決まったときの喜びを体感させたかった。

一番早く終わったのが女子チーム。
こういうルールでは、女子の方がよく動ける。
全体的に見ると、やや男子の方が赤帽子(=未得点者)が多かった。

休憩時間などないから、みんな汗だくである。
運動量は確保できたようだ。
朝礼台前に集合→説明→プレー→集合→説明→・・・・・
というように、一々集合するから、それだけでも相当走っている。
もちろん、先生が言う「集合」なので、ダッシュだ(笑)

女子もよく動いていた。
ただ、声は男子の方が出ていた。
その点を褒め忘れたのが今日の反省だ。

2011年10月16日日曜日

算数だけは絶対に進めること

新しい学習指導要領が実施されて、
算数科は3割の内容増になった。
配列も変わり、
学年によっては中学校の内容も下りてきた。

昨年度(4年生)、年度末に大変な思いをした。(汗)
だから、今年度(5年生)は絶対にそうなるまいと決意した。

新年度、一番最初に授業を行ったのは算数であるし、
今日まで、行事がない限り欠かさず行っているのも算数である。
それでも、クラスの実態や急な予定変更で、
現在、指導書通りのペースを保てている状態だ。

たとえば、5時間授業の日で、
1・2校時が運動会の練習、3・4校時が家庭科(専科)の日は、
5校時に絶対に算数を入れる。
他の教科が算数に比べて遅れていたとしても算数を入れる。

国語は、「漢字」が絶対に外せない。
単元を丸ごと1単元カットできたとしても、漢字はカットできない。

算数は、どの内容も絶対にカットできない。
だから、算数だけは毎日進める。
どんな行事があろうと、1時間は確保して算数を進める。

そうしないと、あっという間に指導書から1単元は平気で遅れる。
ペースを守ることも大事だが、
この内容増は適当なのかどうかをまずは検討せねばならない。

2011年10月15日土曜日

「単位量あたりの大きさ」を終えて

昨日テストを実施した。平均87点。
平均90点超えはならなかった。

原因は、2つある。

1つは、「単元を貫く基本形」が安定しなかったからである。
おおよそどの問題にも対応できる、基本形の吟味が不十分であった。

もう1つは、「筆算の能力の向上」が不十分だったからである。
人口密度などの問題には、4けたの数も出てくる。
そうなると、子どもたちの筆算の力に差が出た。

市販のテストは、計算スペースが不十分ではない。
何か簡単にこの問題を補う手立てはないものか。
筆算用のプリントを準備すべきなのか。
今考えつく手立てはこれだ。
何かアイディアがあれば教えていただきたい。

来週からは、「分数と小数」に入る。
夏休みが明けた時点で進度がほぼ揃っていたのに、
ここに来て他のクラスより5、6時間進んでいる。
(私のクラスは、一応指導書通りの進度)

配当時数を削っているわけではない。
とても不思議だ。

週明けから新しい単元。
週末は基本形の吟味に時間を費やしたい。
次こそは、目指せ、平均90点!

2011年10月12日水曜日

45分で合唱をよりよく仕上げる指導(条件あり)

授業参観の日に、全学年で発表をする日がある。
その学年での練習が今日から始まった。
音楽的な発表は合奏と合唱のグループに分かれる。
私は、合唱の主担当になった。

ちなみに、本校の上学年の音楽は専科による。
昨年度は4年生だったため、私は音楽の授業をしたことがない。
通常の授業ではないが、大きく見れば、
今日が人生で初めての音楽の授業である。

終わったあと、学年の50代のベテランの先生から
「今日の授業は神がかっていたね!手応えあったでしょ?」
と言われた。
それほど、45分での子どもの変貌ぶりはすごかった。

曲は「君をのせて」で、授業で一通り学習している。
二部合唱も経験している。
その専科の先生の指導があったから、
私はとても今日、楽しく授業できたので、感謝感謝である。

以下のように展開した。
本時目標は、初めての練習でもあったので、
とにかく声を出すことと、声を出すことで安定してハーモニーが
つくれることを体感することであった。


1.ゴールの確認
いつ、どのように発表するのかを分かっていない子どもが結構いた。
どこに向かっていくのかを全員で確認した。

2.ウォーミングアップ
既習であるため、一度自分のパートで歌わせた。
うまい具合に、上下のパートが半数ずついたため、
パートはそのままとした。

3.声をぶつける練習
黒板に投てき板やダーツの的のような絵を描く。
その中心に声をぶつけなさいと言う。
届けるのではなく、ぶつけるのだと強調した。
T「ぶつけるとどうなる?」 C「はね返る!」
T「だから、ぶつけて声がはね返ってきたら合格だよ。」
強弱記号を無視してとにかく声を出させる。
この時点で、地声とまではならない。

4.1年生の声で合唱
「1年生の合唱をしなさい。」と言う。
もちろん強弱記号は無視だ。
この練習のねらいは2つ。
1つは、悪い例をとにかく演じることで、良い歌い方を意識させること。
もう1つは、緊張からの解放である。とにかく大声で歌うことで、
身体的にだいぶ発散できるはずである。
音楽は表現なのだから、「はっちゃける」ことで、
最後にまとめることに向かって、スムーズにもっていける。

5.中学年の声で合唱
ちょっと難しくなる。「中学年?」という感じで、
ほどほどに地声を混ぜてくる。
このとき、子どもの頭の中では、
「これが終わったら高学年だな」と予想している。
そうすると、より歌い方を自分で意識するだろうと考えた。

6.高学年の声で合唱
まろやかな声で歌う。まとまりが出てくる。
ただし、このときに、「6年生の声で」とは言わない。
5年生からみれば1つ上の学年。
「5年生」である自分たちにもプライドはある。
だから、「高学年」と言った。
4年生で少し合唱を指導したときは
「6年生の声で」と言った。目標をより明らかにした。

7.発声に気を付けての合唱
あ行、な行、ま行などは非常に発音が曖昧になる。
そこで、「この行には気を付けるんだよ。」という指導では、
インパクトにかけるし、なかなか徹底しない。
ここで、魔法の言葉である。
「普通に教えるだけなら、先生は絶対に教えないんだけど、
みんながよく歌えるから、特別に教えるね。」とか、
「これは中学生に教えることなんだけど、
特別に教えるね。」とか、
特別感を演出する。
そうすると、子どもたちはお得だと感じ、食い入るように聞く。

「あの ちへいせん ~」という歌詞なら、
最初の「あ」を極端に強くさせる。
このフレーズは、mpなのだが、
「あ」だけは、fffに>(アクセント)がつくくらい。

そこで微調整に入る。
T「mpは『少し弱く』だから、『あ』も『少しはっきり』にしようね。」
あとは教師が調整する。
丁度よくなったら、うんと褒める。

そうしたら、全員で一度歌詞を読む。
気を付ける言葉を、テンポ良く洗い出していく。
1分程度で確認したら、まとめの合唱だ。

8.まとめの合唱
ポイントをおさらいする。
  (1)声を的にぶつける。
  (2)高学年の声で。
  (3)発声
これで歌わせる。
歌っている最中、とにかく褒める。
褒めて褒めて褒めまくる。
これで42分くらい。
時間前に「終わります!」と言って気持ち良く解散。
NHKのコンクールに出られるんじゃない?
と気分を高める。

放課後、「君をのせて」を楽しそうに口ずさむ男子がいた。

今日の音楽は、体育で運動量を確保するのと同じ考えで、
とにかく歌う時間を多く設けようとした。
ポイントの指導は、一度静かにさせて指導するパターンと、
歌っている最中に褒めてどんどん指導するパターンがある。

音楽は絶対に怒ってはならない。
どの教科にも共通だが、学習の内容で怒ってはならない。
話を聞く態度だとか、準備物だとかは怒ってもいい。
ただし、特に音楽はできるできないで怒ってはならない。

男子も女子も気持ち良く帰っていった。

2011年10月11日火曜日

本物になれ

今日は後期の始業式。
とはいっても、先週金曜日が前期の終業式のため、
あまり学期が変わったという感じはしない。

しかし、節目ということで、
新年度の「黄金の3日間」、夏休み明けの「白銀の3日間」のように、
今日、何かをリセットできるのではないかと思い、いくつか指導をした。

始業式後、まずは教師の演説。
2点話した。

1点目は、偽物は許さないということ。
例えば、私の前では立派でも、他の人の前だとだらけるということ。

2点目は、たくさんチャレンジするということ。
授業中の発言でもいいし、行事でもいい。
必ず先生が支えるということを伝えた。
そのせいか、今日の算数の授業ではいつもより挙手が多かった。
たとえ続かなかったとしても、
とりあえず今日やってみようという姿勢は素直で嬉しいことだ。

それから、給食の片付け、掃除についてもレベルアップしようと話した。
具体的には、必要最低限の会話しかしないということである。
(5年生になって、今更その指導かと思われた方がいたなら申し訳ない。)

子どもたちはよく頑張り、給食の片付けも早かったし、
教室掃除にいたっては、いつも10分かかるのが、6分半で終わった。
もちろん質を保ってである。
ここでも、言われたことを素直にやろうとするから嬉しい。

今日褒め忘れてしまったのが後悔だが、
明日は真っ先にこのことを褒めようと思う。

やっぱり褒め続ける、励まし続けることで、定着することは明らかである。

あとは、今日言ったことを貫き通すだけだ。
諦めたら、そこで「定着」は遥か遠のいてしまう。
まじめな子が、私が諦めかけたときにでも、
私の言ったことを貫こうとする姿が時々見られ、私も大いに励まされた。

この仕事、教室で子どもたちと生活を営むのが本当に柱となれば、
またとない素晴らしい仕事だと思う。

2011年10月10日月曜日

「前へ倣え」のさせ方

朝会の司会は各学年で持ち回りのため、
色々な先生の「前へ倣え」のさせ方が見られて興味深い。

「おはようございます!」の前に行う集団行動である。
整列させることで、緊張感を生む目的もある。

しかし、「前へ倣え」のさせ方も大きく2つに分かれる。
皆さんはどちらだろうか?


  A 「前へ倣え!」(一息で言う)
  B 「前へ……倣え!」(「前へ」の後に間をつくる)


私は絶対にBである。
それに、効果的な「前へ倣え」はBであると考えている。

間をつくることで、子どもたちに心の準備をさせるのだ。

ちょっとよそ見をしている子どもでも、
教師が「前へ……」と言うと、「前倣えをするんだな」と心の準備ができ、
「倣え!」で全員が同じ動作をすることができる。

しかし、間がないと、ちょっとよそ見をしている子どもは、
周りが「前へ倣え!」をしている状態のときに、よそ見をしてる最中である。
そういう子どもは、列の前だったり真ん中だったり色々なところにいるから、
結果として列は揃わない。
それで、かわいそうなことに叱られるのである。

私が小学生のときには、どの先生もBであった。
しかし、今はAの先生もかなり多い。
そのAの先生は、おまけに語調までやんわりとしているから、
何だか緊張感が生まれない。

同じ学年で組んでいる50代の男性の先生。
私が今まで聞いた中で、一番ビリッとする「前へ……倣え!!!」である。
この先生が整列を担当すると、一発で揃う。
ざわざわした雰囲気が一発で静かになる。

ハンドサイン

本校は2学期制なので、先週金曜日が終業式だった。
そこでの並ばせ方である。


  1年生

  体育館の所定の場所まで2列で連れてくる。
  それぞれのクラスが並ぶ場所で、担任が「前へ倣(なら)え!」
  担任が列を回りチェックする。


至って当たり前の指導である。
私(5年生)も同じように「前へ倣え」をさせる。
「前へ倣え」は集団行動の基本動作の一つである。

ところがだ。


  2年生

  体育館の所定の場所まで2列で連れてくる。
  担任が拳(グー)を挙げている。
  子どもたちは整列する。


2年生全学級がそうしているのだから、揃えているのだろう。
しかし、私には稀有、いや滑稽に見える。
1年生が、担任の「前へ倣え!」で整列できるのだ。
なぜ、上級生である2年生がそれで整列できないのだろう。

昨年、幼稚園(年長)の様子を見る機会があった。
幼稚園でも、「前へ倣え!」で整列できていた。

朝会などで、全校で一度整列するときも、
担当の先生が「前へ倣え!」と声を出す。
そのときは、2年生もそれで整列している。

こういう基本動作は、
全国共通のルールで通用できるようにしなければならない。

まあ、2年生の内にこのような並び方は卒業させるだろう。

仮に、2年生でハンドサインで整列させていたとしても、
1年生が号令で整列している様子を見て、
2年生の担任が何とも思わなかったとしたら、
それはそれで問題である。知的でない。

ちなみに言うと、小学校の教師で、
2列まとめて「1号車」「2号車」などという教師もどうかと思う。
ましてや、高学年担任でも使う人がいる。

2011年10月6日木曜日

単位量あたりの大きさ 第10時(東書5上)

3.右の表は、同じ種類の米をつくる
AとBの田の面積ととれた米の重さを
表したものです。
 米がよくとれたといえるのは、A、
Bのどちらの田ですか。

A …… 11a、570kg
B …… 14a、680kg


東京書籍5上、「単位量あたりの大きさ」第10時である。

ここでの指導のポイントは「よくとれた」である。
子どもたちは意外と、
  よくとれた=とれた量が(面積に関係なく)多い
と思っているようだ。

どちらがよくとれる田かを予想させたら、
圧倒的にBが多かった。

理由を聞いてみると、
「Bは広いし、重さもAより重い。」と言うのだ。

そこで、
「確かにAよりBの方が広いし、とれた米の重さも、
Bの方が重いよね。だけど、よくとれたというのは、
違うんだよ。」

ここを押さえなければならない。

本時は、教科書に書いてる情報は少ないようだが、
立式→筆算→答えをテンポ良く指示していかないと、
最後にある練習問題2題を答え合わせまで終わらせられない。

今日の実践でも、45分ギリギリであった。
(無駄に待つ時間が多かったためと思われる。
早くできた子にさっさと板書させて、時間調整するべきであった。)

2011年10月4日火曜日

サッカー 第1時の指導(5年)

本時は、とにかく運動量を確保して、ボールに触れる時間を確保することを目標にした。
以下、本時展開である。

1.準備運動
係の児童に任せる。
ボール系の準備運動は、現在模索中。

2.語り
サッカーは、放課後にクラブ等で習っている子どもが多いスポーツである。
そこを全ての子どもに分からせた上で、
  ・上手な人だけがプレーしていてもつまらないこと。
  ・上手な人も活躍できなければつまらないこと。
  ・だから、上手な人は教えて励ましたり褒めたりすること。
  ・苦手な人は、上手な人に励まされたり、褒められたりすると嬉しいこと。
以上を語った。

3.チーム分け(男女別)
チームを子どもたちに考えさせてみた。
自分たちでメンバーを決めることで、チームに連帯感と責任感をもたせることをねらった。
また、普段ボールを操作する様子は子どもの方がよく見ていることもある。
「必要な時間は?」と聞いたら「5分」と答えたので、5分間あげた。
時間ぴったり(女子は少し早め)にチームは決まった。それを褒めた。

4.2人1組追いドリブル
先頭の人についていき、ドリブルを真似していく内容である。
活動に入る前に、ボールはゴロでということを伝えた。

  (1)ざっと説明だけして、とりあえず1分間やらせる。
  (2)数人の後ろの子どもが、ドリブルせずに、ボールを持ってついていっていた。
     素早く集合させて、後ろもドリブルしてついていくことを伝える。
     前後を交換して1分間やらせる。
  (3)前の人が暴走して、ペアがくっついていない子どもたちがいる。
     素早く集合させて、歩きながらのドリブルでいいことを伝える。
     前後を交換して1分間やらせる。
  (4)うまくお互いを気にしたり、声をかけたりしているペアがいた。
     素早く集合させて、できていたペアを褒める。(女子ペアが意外と上手)
     前後を交換して1分間やらせる。

5.適当な人数を選び、校庭の至る所にハードルを設置させる。(本時は11台設置)

6.ハードルをゴールに見立てての、1対1(男女別)
1対1でゲームをする。
ルールは以下の通りである。

  ・ハードルの前後どちらから入れてもゴールになること。
  ・同じハードルに連続でゴールできない。
  ・他のゴールに入れることができれば、同じハードルにゴールできる。

これは2分間やらせた。
女子の中にも、相手が入れそうなハードルに先回りする子どもが出てくる。
(思考・判断の評価になるように素早く名簿でチェック)

7.2対2(男女別)
「6.」と同じルール。これも2分間やらせる。

8.4対4(男女別)
これまた同じルール。これも2分間やらせる。


今日はここまでで45分が終了。
本校は、教室の移動から始まるため、時間を計算しても「?」だが、時間ぴったりであった(笑)

サッカーの授業のルールとして、指示があるまでボールを蹴らない約束にした。
また、集合するときは、ボールを持って集合するように言った。
そうした方が、素早く集合できるからである。

男女別で行ったのは、苦手な女子は、女子の中なら楽しめるのではないかと考えたからだ。
女子は割と「キャーキャー」楽しそうにゲームをしていた。
体育の授業という点からは、男女混合のゲームも行う必要はある。
スポーツという点からは、男女混合にこだわる必要はない。
本時は第1時であったから、いきなり男女混合にはしなかった。

体育の副読本には、とりあえずゲームをしてみて課題を見つけるという展開になっていた。
それも考えたがやめた。
せっかくのサッカーとの出会い。
苦手な子どももたくさん動いて楽しい出会いにさせたかったからだ。

感想こそ記録させていないが、みんな前半ではあはあ言っていた。
集合させては簡単な説明をし、すぐにゲーム再開だからだ。
1時間目に行ったので、その後どうやらお疲れになっていたらしい(笑)
だらしないのは嫌いだが、ある程度疲れたのなら、ねらい達成である。

次回は、1人1回ゴールできるような指導をしていきたいと考えている。

2011年10月3日月曜日

地図帳に親しませるための指導(中学年~高学年)

過去に『話を聞かない男、地図が読めない女』という本が話題になった。
私の母も地図を読むことはどうやら苦手のようだ。
でも、学校現場でどうにかできるのでは?と思った。

「地図帳を開くのが楽しい」
そうどの子どもにも思ってほしくて、社会の授業は必ず地図帳ゲームから始まる。
といっても、もちろん知的にだ。
地図帳を使うにあたって重要な事項の指導が含まれている。

例えば「索引」である。
「○○ページを開いて。そこに『あ』とあるね。だから、『あ』から始まる地名は……」
という指導をしたら、絶対に地図帳嫌いになる子どもが増える。

私は、索引の指導を次のように行った。

  T「地図帳ゲームをします。今からいう地名を探しなさい。1問目『いよ』」
  C「いよ?(伊予は意外と子どもたちに知られていない)」
  C「・・・・・・」

しかし、必ず索引のページを見ている子どもがいる。
私の学級にも1人いた。
その子どもをすかさず取り上げて褒める。

  T「お!○○さん、そのページを見れば見つかるんだよね!さすがだなあ!」

そうすると、どの子どももあっという間に「伊予」を見つける。
この後、2、3問、適当な地名を出して索引に慣れ親しませる。
ものの10分くらいで、「索引」の指導はできる。

だが、問題を出すときには、必ず教師が事前に見ておく必要がある。
「横浜市(神奈川県)」「横浜町(青森県)」のように、
市町村が異なる地名があるからである。

今、私のクラスでは索引ではない出し方をしている。
それは後日ふれることにする。

2011年10月2日日曜日

「日本の農業」(5年) 人力vs機械

少し遅れていて、毎日1時間は行っている社会。

先週、「米作りは、人力で行うのと機械で行うのとでは、どちらが儲かるか」という題で、
子どもたちに討論させてみた。

きっかけは、導入で「○○したら米作りで儲かる」をひたすら挙げさせたときに、
「機械代を減らすために、全て人力で行う」という意見が出たからだ。


多少強引に、「指名なし討論」にしてみた。
そうすると、なかなかおもしろい展開になった。

資料集から、労働人口の減少、労働層の高齢化などを自然と見つけては、討論している。
また、ただ意見を出し合うだけでなく、出された意見に付け加えたり、反論したりもしている。
最初の方は、よく発言する子どもが意見を述べていたが、
じっくり聞いて考えている子どももいるもので、
後半には初めて意見を述べる子どももちらほらと出てきた。

大論争とまではいかなかったのは私の指導不足だ。
みっちり調べさせたり、ノートに意見を書かせたりすることは省いた。
(どうしても時間数との兼ね合いがうまくいかなかったから。これまた、私の責任であることはもちろん。)

あまり良い環境とはいえなかったが、唯一、場数を踏むことはプラスであった。
こういうスタイルの討論の雰囲気に慣れさせたかった。


最近の私の重点目標は、最低1日に1回は、全ての子どもが声を出すことである。
音読でもいいし、問題文を読むのでもいい。
黙っている時間を極力減らしたい。

算数の時間では、教科書に書いてあることを問うて、指名することもある。

そのうち、討論で1人1回は意見を言えるようにさせたいというのが、大きな目標である。

2011年9月28日水曜日

3.11 子どもへの対応

2011.3.11、東日本大震災が発生した。
私は、5時間目の授業中だった。

大きく、そして長い時間揺れた。
心配されていた「東海大地震」が来ると思った。
ともかく長かった。

第一に考えたことが、「子どもを安心させること」である。

とにかく子どもをパニック状態にしてはならない。
パニックを起こせば、避難する際に混乱をきたすし、
その混乱によって、二次災害に遭う危険性を察知したからだ。

そこで私はこう言った。

  大丈夫、大丈夫。
  先生は、これよりも大きい地震を、高校時代に2回経験しています。
  先生が慌てていないから大丈夫です。

実際に、高校時代に震度5弱を2回経験している。
その経験も良くはたらき、子どもを安心させることができた。

後日、保護者と会った際に、

  本当はとても怖かったみたいです。
  でも、先生が「先生はこれよりも大きい地震を2回経験している」と
  言ってくれたおかげで、だいぶ安心したようです。

と言われた。

私が「大丈夫」と言っている最中、騒ぐ子どもなどいない。
だが、本当は怖がっている子どもがもっといたはずだ。

そんな中で、「先生が落ち着いているから大丈夫です」と言うことはプラスだ。
ましてや、私は地震を割と経験しているから、自信をもって「大丈夫」と言えた。

地震を経験していない人でも、

  先生たちは毎年訓練しているから大丈夫です。
  どの先生も慌てていないから大丈夫ですよ。

と言えるはずである。

教室で子どもが頼れるのは先生だけである。

その使命感を深く実感した3.11でもあった。

2011年9月25日日曜日

教師の言葉

今日は、機会あってある政党の党首の演説を生で聞くことができた。

そこで、とても勉強になったのが、話す言葉である。

フレーズの始めに、「えー」とか「ああ」とか、
間合いをとるための余計な言葉がないのである。

聞きながら、頭の中で文字に起こしてみた。

書いた文章そのもの、余計な言葉が一切入っていない。

なので、内容がすっと頭に入ってくる。
ここまで、頭に気持ち良く内容が入るのかと驚いた。

大舞台で話し慣れているのは当然だろうが、
やはり地元で活動している議会議員や国会議員とは、演説のうまさが比ではない。

そもそもいらない言葉を話していないだろうかと、自分を振り返る機会になった。
火曜日(明日は代休)から気を付けてみようと思う。

2011年9月21日水曜日

指示の出し方

教師は場面場面で子どもを動かす。
そのときに発せられる言葉が「指示」だ。

この指示の出し方でも、子ども相手では技術がいる。

ある運動会の練習での出来事である。
低学年と高学年がペアで行う競技の練習をしていた。

ルールを説明する。
そのときに、子どもがざわついているのに、ある教師は話を始めた。
顔が話をする教師の方を向いていないのに、話を始めた。

結果としては、1、2割の子どもにしか指示は通らなかった。

子どもに話を聞かせるときは、絶対に教師に集中させなければならない。

集中させるとは、
1.体を教師の方へ向かせる(「おへそを○○先生へ向けなさい。」)
2.顔を教師の方へ向かせる(下を向いている子どもは1人も見逃さない)
3.口は絶対に開かせない(質問は後で受け付ける。口を挟むのもだめだ。)

ということであり、これが成立して、初めて指示が通る。

私は日頃子どもたちにこう言っている。

「勉強できる子もいれば、苦手な子もいます。運動も図工もそうです。
勉強に関係することで、できないことは怒りません。
しかし、話を聞くとか、1回の指示で起立するとか、
全員ができることをしなかったときは怒ります。」


また、「趣意説明」も忘れてはならない。

どういう理由で、今そうするのかを子どもたちに説明するのだ。
暗黙の了解で理解する子どもはいるが、そうでない子どももいる。

なぜその行動をするのかを全員に理解させなければならない。

そうすると、自分で工夫して何か行動する子どもも出てくる。
それをすかさず褒める。
そうすると、規範意識が育つ。


指示を聞くことは、教師からすれば当たり前にできてほしいことである。
できるまで、教師は声をかけるなど色々と一生懸命になる。

しかし、できたところで褒めない教師が多い。

相手が高学年でも、当たり前のことが当たり前にできたら褒める。

「さすが高学年!
当たり前のことが当たり前にできるのは、高学年が一番ですね!」


褒める要素を忘れないように、指導していきたいものだ。

2011年9月20日火曜日

給食の残量が減ることを目指して

今日は、職場の先輩に教わった方法を少し加えて、給食指導をした。


1.食べきれない分を減らす。
※箸をつけたら、減らせないこと。
※減らしたら、残りは責任をもって食べること。

2.増やしたい分を増やす。
※増やしたら、責任をもって食べること。
※そうするために、少し増やしたい人は「少しでいいです。」と申し出ること。

3.個数もののおかずをじゃんけん。
※例えば、牛乳1つ、デザート1つなら、参加できるのはどちらか一方。
※牛乳で負けても、デザートには参加できない。

4.給食終了5~10分前に、食缶にある分を増やして回る。
※食べ終わっている子どもに、「もう一口ね」と言って回る。
※もちろん、無理強いはしない。


「4.」を初めてやってみた。

そうしたら、ほとんどの献立が、底が見えるくらいしか残らなかった。
(けれど、いつも注意してくる栄養士は褒めてくれなかった^^;)

「もう一口」を避けるために、わざと食べるスピードを遅くする子が出ないといいのだが(笑)

とりあえずは、この方法で続けようと思う。

もちろん、それでも残してしまう子どもはいるが、「完璧は目指さない」ことが大事である。
なにせ、子どもによっては生理的苦痛を伴うことがあるのだから。
それは、無理強いしてはいけない。それは教育ではない。
本来は、家庭でやるべき「躾」である。

しかし、残してしまった子どもでも、
「○○は残しちゃったけど、他は全部食べたよ!」と誇らしげであった。
それが、普段あまり食べない女子からの言葉だったのが、何より嬉しかった。

また、残りが少ない食缶を見せると、クラスから拍手が沸き起こった。
子どもにとっては、大きな喜びでもあったのかもしれない。

算数の授業

今年度から、新しい「学習指導要領」が完全実施になった。
それに伴い、教科の内容増が言われている。

算数に至っては、なんと3割も増えたのだ。

基本的に、下の学年にどんどん内容が下りている。
教科書を見渡す限り、一番きついのは4年生。
ついで5年生といったところか。

どのみち、特に算数においては、
年度内に教科書の内容を終えることが、より重要になってくる。

昨年度、4年生を担任していて、算数の進度で本当に苦労した(^^;)
だから、今年度、算数だけは何があっても進めようと努めてきた。
その日、担任が授業できる時間が1時間しかなかったら、迷わず「算数」だ。

だから、とりあえず指導書の配当時間で、予定通りに進んでいる。

これでも遅いと感じていたが、学年の他のクラスはもっと遅れていた。
ページにして、私より5、6ページ遅れていると思われる。

算数だけは、本当に「毎日」である。

成績をつけること

本校は2学期制なので、もうすぐで期末だ。
今日は、成績一覧表のしめきりであった。

成績をつけることは、教師にとって大事な仕事である。
嬉しくもなるし、悲しくもなる。

日々の評価と照らし合わせて、
申し送られた情報以上によく頑張っていると嬉しくなる。
前に(3段階で)「C」だった子どもが「B」になると嬉しい。

だが、そうでない場合もある。
何かしら「C」がついてしまう子どももいる。

私にとっては、30数人の内の1人の成績に過ぎないが、
その子どもにとっては、自分自身の成績なのである。

「C」をつけざるを得ないとき、自分の指導不足を痛いほど感じる。
そう、うだうだしていられないのだが、
ここが更なる指導の出発点となる。

さあ、明日からまた頑張ろう!

2011年9月18日日曜日

教師の話を聞かせるために

教師なら、子どもたちの前に立って、
話をしたり、指示を出したりすることが、当然、毎日のようにある。

そのときに、皆さんはどうされているだろうか?

私は、絶対に全員(1人残らず)が黙るまで話さない。
クラス(30人)でもそうだし、
学年集会(100人)でもそうだ。
朝会(600人)で司会をするときもそうだ。

そうしていても、聞いていない子どもがいるのだから、
ましてや、誰かが他の子どもと話している状況で、私は絶対に話さない。

クラスでは、黄金の3日間で徹底的に指導するから、
もう次の週辺りからは当たり前のルールになっている。

だが、学年集会や朝会となれば違う。
そういうルールが徹底されていないクラスが必ずあるからである。

そこで、決して妥協はしない。
少なくとも私が話すときは絶対に静かにするように指導する。
まあ、学年ぐらいは見渡せる範囲だから、そう大変でもない。

少し力を使うのが朝会である。
本校は、月曜日に朝会が設定されている。

全員に話を聞かせたい思いがある一方で、
月曜の朝っぱらから怒鳴りたくない思いもある。
月曜の朝は、爽やかに始めたい。

私は、朝会の司会で、一度も「静かにしなさい」と言ったことはない。
初任のときからそうだ。

では、どうするのか。
これも褒めて指導していくのである。

どう褒めていくのか。

絶対に6年生から褒めていくのである。

6年生は最高学年である。
6年生には最高学年としてのプライドがある。
だから、全校が集まる場では、6年生を絶対に褒めなければならない。

「6年生、さすがです!静かにできるどころか、頭も動きませんね。」
「さすが、6年生!一番に静かになりますね。」
「さすが、最高学年として立派ですね。」

他の学年よりも先に6年生を褒める。
たとえ、学年毎に見て、1年生の方が静かになっていたとしても、
6年生の静かにしている子どもを見つけて褒める。

「6年生の前の方、さすがですね!とても態度が立派です。」

これで、他の学年に伝わっていく。

初任の年に、初めて朝会の司会を担当したときには、
校長から「爽やかな司会でしたね。」と褒めていただいた。

【Aさせたいなら、Bと言え】

Bには褒める材料が当てはまるパターンが多数である。

朝会での指導、ぜひ試してほしい。

2011年9月17日土曜日

叱ること

教師なら必ずしも叱らなければならない場面に出くわす。
そのときは、相当気分が重い。
叱られている子どもも気分が重いだろうが、
それと同じくらい、またはそれ以上に、教師の気分も重い。

でも、それも「仕事」だから仕方がないことだ。

子どもたちが社会に出たとき、どれだけ良識ある行動ができるか。
教師の指導こそ、そこにかかっていると思う。


叱り方が上手な教師と、そうでない教師がいる。

私は、くどくどと説教はしない。
ときには、授業時間を2時間分も潰して、説教する教師がいるから驚きだ。

私の叱り方はとにかく理詰めである。
関係ある人数が1人でも複数でも、方針は一緒だ。

軽いものについては、

T「いいことをしましたか?」
C「(首を横に振る)」
T「悪いことをしたと分かっているんですね?」
C「(首を縦に振る)」
T「じゃあ、次から気を付けなさい。」

これで終わる。
そうそう、繰り返すことはない。

私が絶対に言わないのは、

T「やられた人の気持ちを考えたことがありますか?」

という類の言葉である。

なぜか。
対象とした人の気持ちが分からないから、
そういうことをしてしまったからである。

しかも、教師自身、やられた子どもの気持ちを十分に把握している前提。
そんなの教師自身にも分かりっこないのである。

だから、善悪の判断を自分でさせる。
悪いことをしたと認めさせれば、その子どもとの約束にもなる。

叱る時間はなるべく短い方がいい。
長いと、子どもは「早く終わらないかなあ」と思っている。
私もそうだった。
皆さんもそうだったのではないだろうか。

ちなみに言うと、
「『怒る』は感情的で、『叱る』は指導だ。」とエラソウニに言う人に、私は嫌気がさす。
そんな定義はいいから、よりよい指導法を見つけろ!と言いたくなる。

2011年9月15日木曜日

時間

教師の世界では、だいぶアバウトだ。
勤務開始時刻にはうるさいが、勤務終了時間にはうるさくない。

なぜか。

それは、授業時間を守らない教師が多いからである。

私は、とりあえず、1人で行う授業の時は、すぱっと終わる。
チャイムが鳴った瞬間、どんなに賢い子どもでも、
そこで授業の思考は終わる。
もう休み時間モードなのだ。
私もそうであった。

次の時間、冒頭数分を遣って残りをやる。
これで十分だ。

一見、まじめでおとなしそうな女子児童が家庭でこう言っていたそうだ。
「○○先生(私のこと)は、授業時間を守るからいい。
授業時間を守るから、みんなも時間を守って行動するのは納得がいく。」

子どもたちに時間を守らせたいのなら、
まずは、教師が授業時間を守ることである。

なので、私は、教師の後方に時計を1台追加した。
自分で授業中に見るためだ。

授業時間を守るだけで、教師への信頼感は高まる。

2011年9月14日水曜日

嬉しい一言

今日の算数の授業。

算数に苦手意識のある子どもがこう言った。
「最近、算数、なんか楽しい」

教師をしていて、至福を感じる言葉だ。

偶然そのときの気分によるものかもしれないし、
たまたまその単元が気に入ったのかもしれない。

しかし、たとえたった1回でも聞ければ嬉しいし、励みになる。

問題解決学習の授業をしていた頃には、一切聞けなかった言葉だ。

2011年9月13日火曜日

横浜版学習指導要領

「横浜版学習指導要領」(浜版)というものがある。

市教育委員会の関係者はこう言う。
「これは『指導資料』ですので、参考になさってください。」

だが、実際は違う。
ある指導主事がこう言っていた。
「横浜市の学力・学習状況調査の問題は、浜版をもとに作っています。」

それでは「指導資料」の性格を超えているではないか。
この横浜版学習指導要領の内容を教育していなければ、
学力・学習状況調査で得点が期待できない問題があるということだ。

我々教師は、文部科学省の「学習指導要領」に基づいて教育をすることが第一だ。
教科書も、それに基づいて作っている。
その教科書の内容を押さえただけでは、得点が期待できない問題がある。

どの講習会・研究会に行っても、市教育委員会の関係者がいれば、
「コレ(=浜版)を、ぜひ熟読してください。」
と絶対に言う。

教育が「商品」になってはダメだ。

ある指導主事が研究会でこう言っていた。
「我々が行っている教育も行政サービスですから……」

え?
教育公務員と市役所の窓口は一緒なのだそうだ。
(決して行政職公務員を罵っているわけではありません。)

教育を何だと思っているのだろうか。
行政サービス云々については、
これに理論的に反論できるほどのモノをもっていないのが悔しい。

市教育委員会が何かしらの形でからむと、いつも嫌気が差す。
でも、かわいいかわいい担任している子どもたちに、いつも救われている。

2011年9月11日日曜日

絶対評価と相対評価

本校は、2学期制である。
だから、もう今月下旬には、評価を出さなければいけない。

学校は今、「絶対評価」である。
ある到達目標に達成していれば、人数関係なく評価する。

「相対評価」は、クラスの何割がA、何割がB……といったような評価だ。

たとえ、全員が本来「A」だとしても、他の要素を加味して、
「B」や時には「C」評価をしなければならない。

だが、繰り返しになるが、今は「絶対評価」である。


ところが、本校は、完全に「絶対評価」ではない。

先週、職員室である先生が評価の話をしていた。
「何割ぐらいにしましょうね?」

その話自体、相対評価では?と思った。

あとは、管理職もこう言う。
全校の成績が揃ったところで、学年内で見てください、と。
人数にばらつきがあると、警告されるのだ。

指導する教師が違うのだから、評価も変わる。
A評価の人数も違って当然だ。

管理職の言い分はこうだ。

   学力状況調査(横浜市独自の)の結果が、クラス間でそう違いなければ、
   A、B、Cの人数比も、そう差が出ないはずだ。

何だか附に落ちない。
これを理論付けられないのは、私の力量不足だ。
それでも、何か違うのでは?と今思っている。


これについては、以下のことについても言及する必要がある。

(1)学力状況調査の結果そのものが、どれだけ有効な情報か。
(2)横浜市において、横浜版学習指導要領(市教育委員会で作成)をもとにして
   つくられた学力状況調査のテストが、評価を出す際の資料として妥当か。

「横浜版学習指導要領」については、改めて書きたい。

褒めること その2

「褒める」と、子どもは向上心をもつ。
子どもは、褒められると、自分で不十分なところを意識する。
頑張る。
そして、それを教師がさらに褒める。

……というような循環になる。

逆に、叱ってばかりだと、嫌な気分になる。
今までできていたことにも、自信がもてなくなる。
自信がないから、快活でない。
その様子を、やる気がないと教師に叱られる。

……というような循環になる。

高校時代、あれができていない、これができていないという先輩がいた。
入部したてで、楽器のブランクが取り戻せていないのにである。
もう、自分自身が、訳分からなくなっていた。

でも、ある先輩は、いいところを見つけて褒めてくれた。
そうすると、その先輩との練習は楽しくなった。
今度一緒に練習するときは、もっと上手になっていよう、と心から思えた。

自分自身が経験しているんだもの、教師は「褒める」のも仕事だ。
頑張ったこと、できたことが、教師によって「評価」される。

そうすると、子どもたちの中でも、規範意識が育っていく。

教室は、基本的にこういう営みでなければいけないと思う。

給食をどこまで食べさせるか

私にとっては、非常に悩ましいところなのです。

給食をあまり食べないといわれる、今年の学年。
大学時代の実習校と比べれば、それは確かにそうなのです。

ですが、だからといってたくさん食べさせようと、心から思えないのです。
もちろん、たくさん食べてくれたら嬉しいし、
心身共に成長する源になりますから、
好き嫌いを肯定するわけではありません。

給食は、1日3食の内のわずか「1食」。
2/3は家庭で食事をとるわけです。

なにより、食事指導が学校教育でするべきことなのか、と。
食事は「躾」の一環であり、本来は家庭が担うべきではないのか、と。

「今の時代は、学校がやらなければいけないんだ!」との声もありそうです。
しかし、そんなこと言い出したら、学校はいつかパンクします。

学校の給食の時間は、忙しい日課の中で、息抜きできる貴重な時間。
あまり、やんややんやと言いたくないのですがね(^^;)

思わず食べたくなるような、食べるのが楽しくなるような、
そんな指導法を模索することが、今は一番適当なのだと思います。

褒めること その1

大人でも、褒められて嫌な気分になる人はいない。
それが子どもなら、ましてやだ。

先日の運動会の応援練習中。
一部の教師の怒号が飛び交う。
一部の教師は、それを「熱心だ」と勘違いしている。

なぜ勘違いか。
子どもの表情を見れば明らかである。

そこで私はこうした。


T「『オー!』を一番大きな声で言うのですよ。そうすると迫力が出ます。」

一部C「オー!!!」

T「そう、○○さん、よくできていますね。いいですね。」


これで、周囲の子どもへ指示をしていることにもなる。
そうすると、女子も段々と口が開いてくる。
ほんの少しであっても、大げさに褒める。

褒めた方が、子どもも教師も気分がよい。


それに、「自尊心の向上」の教育効果がある。

もちろん、クラスでも褒める。
そうすると、クラスへの帰属意識がより一層高まる。

褒めると、子どもたちは口々に
「5-1は天才!(笑)」とお茶目に言う。
かといって、他のクラスを批判する声が出るわけではない。

もちろん、私も人間だから、カーッとなるときはある(笑)

だが、そこをグッとこらえる。
そして、できている子どもを褒める。

これだけで、クラスの雰囲気は変わる。

2年生のクラスに補欠(自習)に入ったときも、褒めた。
そうすると、45分間、誰一人として席を立つことなく、
必要のない会話がされることもなかった。

たった一度の補欠でも、立派に過ごしていたのだから、
担任するクラスでとなれば、褒めることの重要さが際立つだろう。


最後に。

管理職も、教員を育てる意識で、もっと褒めることを大事にしてほしいものだ。

2011年9月5日月曜日

私の教室での特別支援

発達障害(傾向)の子どもは、どのクラスにいても当たり前の時代。

やはり、それなりに対策をするのが教師の仕事だと思います。
どの子どもに聞いても、学校は「勉強しに来る所」なのですから。

私の教室の前面には、何も掲示していません。
放送のスピーカーと時計だけです。

ちなみに、黒板にも何も情報はありません。
日付は書いていません。
日直の名前も掲示していません。
その日の予定や時間割も書いていません。
(写真を用意するのを忘れました……すみません)

子どもたちを黒板に集中させるためです。

クラスの中には、黒板に他の情報があると、
そちらに気がいってしまう子どもがいます。

「選択注意ができない」といいます。

そのような子どもへの特別支援の一環です。

日付……常に書いておく理由が見つかりません。
必要なときに、子どもたちに聞けば済みます。

日直……朝に一度日直を口頭で確認します。
あとは「にっ・ちょく・さん♪」の一言で済みます。

予定や時間割……別の小さめの黒板に書きます。
授業中は隅へ置き、子どもたちの視界から消します。

学級目標は、教室の後ろに掲示しています。


ほとんどの学校では、職員室の前方に
「学校教育目標」が掲示されているのではないでしょうか?

それを覚えていたり意識したりしている職員が何人いるでしょうか?

だから、そんなに前面への掲示って印象がないものです。

どんなに賢い子どもでも、ふとした瞬間に、余計な掲示物に目がいくものです。


選択注意ができない子ども(同一)を2年間もっています。

最初は、黒板の隅に時間割を書いていました。
そうすると、授業中にいきなり「○時間目に何をするんですか?」と聞いてきます。

ある日、前面への情報を一切取り除きました。

すると、その日からその子どもは一切何も聞かなくなりました。


私の教室を見て、「殺伐としている」という方がいます。

それはあくまで、「見た目だけ」の話です。

実際に、授業中の子どもの様子を見て、評価してほしいものです。

私のクラスの授業は「整然とした雰囲気」という特徴があるようです(笑)

2011年9月4日日曜日

海岸線の入り組んだ形に気付かせる実践(三浦半島・4年社会)

4年生の社会科。
年明けからは、「わたしたちの○○県」というような単元に入る。

神奈川県では、多くの学校が三浦半島を取り上げる。
漁業や農業が盛んであり、温暖な気候も関係しているからだ。
三浦半島は、海岸線が入り組んだ形をしている。
だから、「湾」が多く、水産資源に恵まれている。

海岸線が入り組んだ形をしていることに気付かせる授業があった。
入り組んでいない海岸線の地図を用いて、
見た目で判断させる授業も考えられた。

しかし、それでは不十分だと感じた。

そこで、自分でする作業を通して理解させようと思い、以下のように実践した。


1.地図を2種類用意する。(両面印刷ではない方がよい)
    (1)三浦半島の地図(入り組んでいる)  (2)横浜港付近の地図(入り組んでいない)

2.横浜港付近の地図で、海岸線を赤鉛筆でなぞらせる。

3.三浦半島の地図で、海岸線を赤鉛筆でなぞらせる。


これだけで、「3.」の段階で「うわあ、大変だよ」「手が疲れる」といった声が聞こえる。

入り組んでいない地形はすっとなぞることができる。
入り組んでいる地形はそうもいかない。
複雑だから、スピードは落ちるし、手が疲れるのである。


反省点は以下の通りである。

私は、地図を両面印刷してしまった。
しかし、視覚的に比較させることを考えれば、両面印刷ではない方がよい。

横浜港付近の地図は、なぞらせるスタート地点を指示するのに時間がかかった。
目標物が多すぎるからである。
地図に予め、スタート地点を書いておけばよかったのかもしれない。


この授業、子どもたちが「大変」と言ったら、
「どうして、なぞるのが大変なの?」と聞けばよい。

「複雑だから」「たくさん凸凹があるから」という答えが返ってくる。

2011年9月2日金曜日

私が遣わない言葉

いくらかわいい子どもたちといえど、線引きは大事。
どんなに子どもたちと親しかろうと、所詮は「他人」。


その1 「~してください。」

教師の方が目上である。
子どもたちに指示を出すときに、「~してください。」だとどうも弱い。
「~します。」「~しなさい。」で指示は出す。

「~しなさい。」に抵抗がある人もいるかもしれないが、なんてことはない。
子どもたちはそれで恐怖感を覚えているわけではない。
言葉尻がどうこうよりも、明確に指示を出すことの方が、
よっぽど子どもからの信頼感は高まる。


その2 職員室での悪口

放課後の職員室。1日の中で、最も嫌気が差す時間だ。
もちろん全ての先生ではない。
しかし、一部では愚痴大会が始まる。

その人は、「子どもが悪い。」「親が悪い。」というメッセージを込めているかもしれない。

少なくとも私は、「私(教師)の指導不足です。」という意味に捉えてしまう。

子どもが教師の思う通りに動かなかったら、まずは自分自身を疑うべきだ。
指示の出し方が曖昧だったり、子どもに対して寛容でなかったりする。
だいたい愚痴を並べる先生に当てはまる。
子どもたちを的確に動かしたという事実をつくれなかったのだ。

想像してほしい。
もし、自分に子どもがいて、
自分の子どもが、所詮は他人の愚痴の対象になっているとしたら……。

もちろん、私が今担任していたり、過去に担任したりしたクラスに、
問題行動やちょっと気になる言動をする子どもがいなかったわけではない。

そういうときは、「○○が~なんですが、どうしたらいいでしょうか?」と相談する。

この辺は、改めて詳しく書きたい内容だ。



とりあえず、1週間が終わった。
シルバーの3日間。
夏休み前に曖昧だった部分を、クラスで考え直すことができた。

そして、笑顔で「さようなら」できたのが、何より安堵する瞬間だ。

2011年9月1日木曜日

よろしくお願いします!

今日から、ブログを始めることにしました。

私は、公立小学校教員をしています。

日々の実践を記録していくことで、
特に良い実践は、「独り占め」しないで、共有できたらいいなと思い、
このブログを立ち上げることにしました。

今は、5年生の担任をしています。

今日から給食が始まりました。
昨日まで午前授業でしたが、今日から午後まで授業があります。

少し時間に余裕があったので、久しぶりに「五色百人一首」をやりました。

「百人一首の机!」と私が叫んだ瞬間、
子どもたちからは「やったー!」の声。

今日から毎日続けていきます。
毎日続けるからこそ、苦手だと思っている子どもも楽しく参加できます。

抜き打ちみたいに、やる日が固定されていないと、
「あ~あ、よりによって今日百人一首かよ……」と思うかもしれませんね。

子どもたちに、美しい日本語のリズムを感じさせるという目的でも、
「五色百人一首」は手軽な実践だと思います。