向山型算数では、単元を貫く基本形があり、
それは最低でもその単元の間、徹底的に守らせる。
これは、ただ頑固なのではない。
ある教育的配慮があってだ。
それは、学力低位層の子どもたちに力をつけるためだ。
公立学校教員なら、必ず学力が低い子どもたちと出会う。
教師ならば、その子どもたちを救いたいと思うだろうし、
それこそが「公立学校」の教員の使命だ。
だから、学力が低い子どもたちの悪口を、
放課後に職員室でぶちまける教師は、
さっさと退職願を出し、有名私立小学校の教員になればよい。
学力が低い子どもたちのために、色々な指導法がある。
一つが、問題解決学習で見られるヒントカードがある。
自力解決できないときの、お助けのアイテムだ。
しかし、それを取りに行かない子どももいるという報告がある。
なぜか。
それは「どの子にもプライドがある。」からである。
そのような子どもでも、自分が算数ができないことを知っている。
誰でも、できないことを、周囲に知られるのは恥ずかしい。
どんなに担任が「大丈夫」と言っても、
全ての子どもから、その恥は拭えない。
それが人間の心理だからだ。
面積を求める学習。
「自分に合った学習方法でやりなさい。公式を書かなくてもいい人は、
書かなくていいし、書いた方がいい人は書きなさい。」
こう言ったとしても、次の時間には、
公式書いて求める子どもはほぼ0になるだろう。
(私自身経験済みである)
どうしてか。
頭のいい子が、黒板で問題を解くと、
一切公式を書いていないことを知る。
そうすると、自分のやり方は恥ずかしいと思う。
自分の周囲のノートを見てみると、
(偶然だったとしても)公式を書いている子がいない。
やっぱり、自分が恥ずかしくなる。
それだったらと、公式が必要な子も公式を書かなくなる。
テストには、公式を書く問題が出てくる。
公式を反復して学習していないから、公式が書けない。
テストでいうと、表の左半分の上側にある問題だ。
全員が公式を書いて解けば、
公式が本当に必要な子も、安心して公式を書く。
何回も書くから、反復して学習することになる。
声に出していなくても、脳に何度もインプットされる。
それを繰り返している内に、意識しなくても公式が出てくる。
これが「公式を学習した」という状態だ。
小学校で学習する公式は、たかが知れている。
5年生では、これが一番長い。
ひし形「一方の対角線×もう一方の対角線÷2=ひし形の面積」
これでは、ノートからはみ出る。
以下のようにすれば、できる子にも負担がない。
それに、ノートにぴったりと収まる。
ひし形「一方対×もう一方対÷2=ひし面」
全員で勉強して、全員ができるようになる。
平均点90点を上回るためには必要不可欠だ。
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