2011年9月17日土曜日

叱ること

教師なら必ずしも叱らなければならない場面に出くわす。
そのときは、相当気分が重い。
叱られている子どもも気分が重いだろうが、
それと同じくらい、またはそれ以上に、教師の気分も重い。

でも、それも「仕事」だから仕方がないことだ。

子どもたちが社会に出たとき、どれだけ良識ある行動ができるか。
教師の指導こそ、そこにかかっていると思う。


叱り方が上手な教師と、そうでない教師がいる。

私は、くどくどと説教はしない。
ときには、授業時間を2時間分も潰して、説教する教師がいるから驚きだ。

私の叱り方はとにかく理詰めである。
関係ある人数が1人でも複数でも、方針は一緒だ。

軽いものについては、

T「いいことをしましたか?」
C「(首を横に振る)」
T「悪いことをしたと分かっているんですね?」
C「(首を縦に振る)」
T「じゃあ、次から気を付けなさい。」

これで終わる。
そうそう、繰り返すことはない。

私が絶対に言わないのは、

T「やられた人の気持ちを考えたことがありますか?」

という類の言葉である。

なぜか。
対象とした人の気持ちが分からないから、
そういうことをしてしまったからである。

しかも、教師自身、やられた子どもの気持ちを十分に把握している前提。
そんなの教師自身にも分かりっこないのである。

だから、善悪の判断を自分でさせる。
悪いことをしたと認めさせれば、その子どもとの約束にもなる。

叱る時間はなるべく短い方がいい。
長いと、子どもは「早く終わらないかなあ」と思っている。
私もそうだった。
皆さんもそうだったのではないだろうか。

ちなみに言うと、
「『怒る』は感情的で、『叱る』は指導だ。」とエラソウニに言う人に、私は嫌気がさす。
そんな定義はいいから、よりよい指導法を見つけろ!と言いたくなる。

0 件のコメント:

コメントを投稿