教師なら必ずしも叱らなければならない場面に出くわす。
そのときは、相当気分が重い。
叱られている子どもも気分が重いだろうが、
それと同じくらい、またはそれ以上に、教師の気分も重い。
でも、それも「仕事」だから仕方がないことだ。
子どもたちが社会に出たとき、どれだけ良識ある行動ができるか。
教師の指導こそ、そこにかかっていると思う。
叱り方が上手な教師と、そうでない教師がいる。
私は、くどくどと説教はしない。
ときには、授業時間を2時間分も潰して、説教する教師がいるから驚きだ。
私の叱り方はとにかく理詰めである。
関係ある人数が1人でも複数でも、方針は一緒だ。
軽いものについては、
T「いいことをしましたか?」
C「(首を横に振る)」
T「悪いことをしたと分かっているんですね?」
C「(首を縦に振る)」
T「じゃあ、次から気を付けなさい。」
これで終わる。
そうそう、繰り返すことはない。
私が絶対に言わないのは、
T「やられた人の気持ちを考えたことがありますか?」
という類の言葉である。
なぜか。
対象とした人の気持ちが分からないから、
そういうことをしてしまったからである。
しかも、教師自身、やられた子どもの気持ちを十分に把握している前提。
そんなの教師自身にも分かりっこないのである。
だから、善悪の判断を自分でさせる。
悪いことをしたと認めさせれば、その子どもとの約束にもなる。
叱る時間はなるべく短い方がいい。
長いと、子どもは「早く終わらないかなあ」と思っている。
私もそうだった。
皆さんもそうだったのではないだろうか。
ちなみに言うと、
「『怒る』は感情的で、『叱る』は指導だ。」とエラソウニに言う人に、私は嫌気がさす。
そんな定義はいいから、よりよい指導法を見つけろ!と言いたくなる。
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