私は、いけないことをしていたら、誰であっても厳しく叱る。
信頼関係が築けている自分のクラスで厳しく叱ることはあっても、
その他となれば、「注意」ぐらいで終わるのが普通かもしれない。
しかし、私は違う。
自分のクラスの子と同じように叱る。
一方で、
私は普段接さない子でも、気付けば褒める。
何年生であっても、褒める。
褒めたくなったら、褒める。
楽天前監督の星野仙一氏が言っていた。
「トップは、怒ることがはっきりしている方がよい。」
基準をはっきり示せということだ。
だから、”私”という人物像が明確になる。
朝会で司会を担当するときがある。
私が前に立つと、全学年十数秒以内にシーンとなる。
私は一言も発しない。
ただ、全体に対して目配せをするだけだ。
穏やかに「さすが高学年。静かで姿勢が立派です。」とだけ言い、朝会が始まる。
もう一度言う。
私が前に立っただけで、シーンとなるのだ。
「お口を閉じます。」
「静かにするんですよ。」
などと発する必要がない。
立つだけである。
それくらい、基準を明確に示したい。
「よい」「悪い」がはっきり分かる人間でありたい。
2015年3月6日金曜日
2015年2月4日水曜日
「あゆみ」の記入を始める
2月は成績処理の月だ。
「あゆみ」(通知票・連絡票)の記入を始めた。
今まで1日3人にしていたが、今回から1日2人にしてみる。
理想は、朝に1人、放課後に1人。
朝に余裕がなかったとしても、放課後に2人ならそう負担ではない。
放課後に3人となると、少し気合いが必要だ(笑)
記入は、基本的に肯定的なことしか書かない。
課題は、その都度伝えればよい。
課題があるのなら、その都度知りたいと、保護者は思うのではないだろうか。
また、高学年ともなれば、課題を書かない方がいいときもある。
ほとんどいいことが書いてあるのに、
課題が1つあるだけで、そのことで叱られる子もいるからだ。
何のための「あゆみ」なのかが分からなくなる。
基本的には、個性の伸長なのだ。
「あゆみ」(通知票・連絡票)の記入を始めた。
今まで1日3人にしていたが、今回から1日2人にしてみる。
理想は、朝に1人、放課後に1人。
朝に余裕がなかったとしても、放課後に2人ならそう負担ではない。
放課後に3人となると、少し気合いが必要だ(笑)
記入は、基本的に肯定的なことしか書かない。
課題は、その都度伝えればよい。
課題があるのなら、その都度知りたいと、保護者は思うのではないだろうか。
また、高学年ともなれば、課題を書かない方がいいときもある。
ほとんどいいことが書いてあるのに、
課題が1つあるだけで、そのことで叱られる子もいるからだ。
何のための「あゆみ」なのかが分からなくなる。
基本的には、個性の伸長なのだ。
2013年9月9日月曜日
あゆみ(通信票・通信簿)の所見を書く
私には、絶対のこだわりが一つだけある。
【悪いところは書かない】
ということだ。
子どもたちには、笑顔で「はい、あゆみ!」と言って、
保護者に渡せるようにさせたい。
「課題を伝えてもらわないと……」というのも一理ある。
しかし、他の方法でも伝えられる。
その子の課題なんてそうそう変わるものではない。
個人面談で十分ではないだろうか。
記録に残ると、言葉で言われるよりも印象深い。
だから、良いことの方を書きたい。
「あゆみ」にも成果と課題をというのも分かるが、
そんなにかしこまらなくても……というのが正直なところである。
よく、「中学生になったら成績がこんなに悪いなんて」という
話が持ち出され、さも小学校が甘いように言われる。
それは違う。
中学校に入ったら、もう小学校とは無縁なのであって、
中学校での頑張りの結果なのである。
何でもかんでも、前段階の「小学校が……」と言われたものでは
たまったものではない。
逆を言えば、「小学校ではできるようにさせたのに、中学校では
一体どんな教育をしているんだ」ともなる。
そう言う人がいないのが、よくよく考えてみれば不思議である。
【悪いところは書かない】
ということだ。
子どもたちには、笑顔で「はい、あゆみ!」と言って、
保護者に渡せるようにさせたい。
「課題を伝えてもらわないと……」というのも一理ある。
しかし、他の方法でも伝えられる。
その子の課題なんてそうそう変わるものではない。
個人面談で十分ではないだろうか。
記録に残ると、言葉で言われるよりも印象深い。
だから、良いことの方を書きたい。
「あゆみ」にも成果と課題をというのも分かるが、
そんなにかしこまらなくても……というのが正直なところである。
よく、「中学生になったら成績がこんなに悪いなんて」という
話が持ち出され、さも小学校が甘いように言われる。
それは違う。
中学校に入ったら、もう小学校とは無縁なのであって、
中学校での頑張りの結果なのである。
何でもかんでも、前段階の「小学校が……」と言われたものでは
たまったものではない。
逆を言えば、「小学校ではできるようにさせたのに、中学校では
一体どんな教育をしているんだ」ともなる。
そう言う人がいないのが、よくよく考えてみれば不思議である。
2012年9月18日火曜日
「評価」のさらなる具現化
本校は2学期制なので、成績を提出した。
評価する材料はあっても、乏しさを感ぜざるを得なかった。
だから、同僚の評価方法を見て、真似するところから始めることにした。
それは「座席表」の活用である。
わたしは今まで名簿を使用していた。
それを座席表に変えた。
一時期、座席表を使っていた時期があったが、
授業中に記録などできないと思い込み、
それならまとめて記述できる名簿にしようとしていた。
だが、授業風景を蘇らせると、
「あそこの席に座っている……」と詰まることが度々あった。
だから、映像として思い起こすときの助けになるかな、
と座席表に切り替えて、今試している最中だ。
座席表は使い捨て。
記録を、評価を観点別に転記するためのオリジナル閻魔帳に転記する。
そして、座席表を捨てる。
早速、今日から実行している。
何かおすすめの方法があれば、コメントをしていただきたい。
評価する材料はあっても、乏しさを感ぜざるを得なかった。
だから、同僚の評価方法を見て、真似するところから始めることにした。
それは「座席表」の活用である。
わたしは今まで名簿を使用していた。
それを座席表に変えた。
一時期、座席表を使っていた時期があったが、
授業中に記録などできないと思い込み、
それならまとめて記述できる名簿にしようとしていた。
だが、授業風景を蘇らせると、
「あそこの席に座っている……」と詰まることが度々あった。
だから、映像として思い起こすときの助けになるかな、
と座席表に切り替えて、今試している最中だ。
座席表は使い捨て。
記録を、評価を観点別に転記するためのオリジナル閻魔帳に転記する。
そして、座席表を捨てる。
早速、今日から実行している。
何かおすすめの方法があれば、コメントをしていただきたい。
2012年2月29日水曜日
年度末評価
明日、評価・評定の締め切りである。
締め切り日というのは、「朝」に提出が常識である。
(学校では、何かと忙しさに託けて免れられる)
やはり、前期末の記事でも書いたが、人数合わせが行われる。
どんなに素晴らしい指導をして、成果を上げたとしても、
結局、それが成績に反映されない。
市販テストは、単元末に行われる。
だから成績はみんなよくて当たり前、という人もいる。
なので、学習状況調査と結果が一致していないとおかしい、と言う。
そんなに言うのなら、市販テストなどやめて、
中学校や高校のように、中間・期末試験にすればいいのである。
ちなみに、算数でいうと、私のクラスがあるクラスよりも倍以上成績がよかった。
3クラス中、私のクラスが一番である。社会もそうだ。
だが、結局、軒並みという形で落ち着くようだ。
平均点90点を実現した教師と、そうでない教師とが、
結局、「成績」という目に見える形で同列になるのは納得がいかない。
仕事に残念さがある方に、結局は合わせなくてはならないのだ。
残念な限りである。
締め切り日というのは、「朝」に提出が常識である。
(学校では、何かと忙しさに託けて免れられる)
やはり、前期末の記事でも書いたが、人数合わせが行われる。
どんなに素晴らしい指導をして、成果を上げたとしても、
結局、それが成績に反映されない。
市販テストは、単元末に行われる。
だから成績はみんなよくて当たり前、という人もいる。
なので、学習状況調査と結果が一致していないとおかしい、と言う。
そんなに言うのなら、市販テストなどやめて、
中学校や高校のように、中間・期末試験にすればいいのである。
ちなみに、算数でいうと、私のクラスがあるクラスよりも倍以上成績がよかった。
3クラス中、私のクラスが一番である。社会もそうだ。
だが、結局、軒並みという形で落ち着くようだ。
平均点90点を実現した教師と、そうでない教師とが、
結局、「成績」という目に見える形で同列になるのは納得がいかない。
仕事に残念さがある方に、結局は合わせなくてはならないのだ。
残念な限りである。
2011年12月14日水曜日
子どもたちのわたしの評価
本校では、今月「学校評価」を行った。
児童・保護者・教職員別にアンケートがある。
アンケートは4段階評価である。
高学年は、専科が関係してくる(本校では3教科)ため、
授業についての評価は、全て私の評価というわけではない。
それでも、大部分は私であるから、気になるところだ。
とはいえ、主観によるアンケートである。
気にしすぎる必要はないが、気にする必要はある。
やはり、児童と保護者の評価は、結構食い違うものだ。
そりゃあ、30人以上も担任すれば、
私と合わないであろう保護者もいるはずだ。
そんな保護者は、自由記述欄に、
私の授業にも専科の授業にも意見を書いている。
ちなみに、私の授業については、
「算数で式と答え以外に書くことが多すぎる。」と。
私は、そんな解答をつくろうものなら、
逆に親から叱られたものである。「過程を残せ」と。
現に、中学校以上では、数学の解答用紙に、
ただ枠だけが示されることがある。
思考の過程を、採点者に示すためだ。
このようなトレーニングも必要だとは思うのだが。
これについては、あまり気にしていない。
保護者の中には、「分かりやすい授業を行っているか。」
という設問に対して、
4段階中、下から2番目の評価をする保護者もいる。
しかし、子どもたちは、一番上か上から2番目だ。
授業を受けているのは、何より子どもたちだから、
子どもたちからそう評価されたのは嬉しいことだ。
中には、「これからも分かりやすい授業をしてください。」
というコメントを書く子どももいた。
これも嬉しいことだ。
だが、全員からそう書かれるようにしたいと思った。
決して驕らないこと。謙虚でありたい。
だから、先の保護者に対しても、
学級通信で、
「なぜ、全員同じ解き方で解かせるのか。」ということについて、
触れていきたい。こちらから近寄っていくしかないし、
それも教師の仕事の一つだろう。
たまに、教育観を語らねば、
学級通信はただの広告や報告書に過ぎなくなってしまう。
最後の連については、別記事で。
児童・保護者・教職員別にアンケートがある。
アンケートは4段階評価である。
高学年は、専科が関係してくる(本校では3教科)ため、
授業についての評価は、全て私の評価というわけではない。
それでも、大部分は私であるから、気になるところだ。
とはいえ、主観によるアンケートである。
気にしすぎる必要はないが、気にする必要はある。
やはり、児童と保護者の評価は、結構食い違うものだ。
そりゃあ、30人以上も担任すれば、
私と合わないであろう保護者もいるはずだ。
そんな保護者は、自由記述欄に、
私の授業にも専科の授業にも意見を書いている。
ちなみに、私の授業については、
「算数で式と答え以外に書くことが多すぎる。」と。
私は、そんな解答をつくろうものなら、
逆に親から叱られたものである。「過程を残せ」と。
現に、中学校以上では、数学の解答用紙に、
ただ枠だけが示されることがある。
思考の過程を、採点者に示すためだ。
このようなトレーニングも必要だとは思うのだが。
これについては、あまり気にしていない。
保護者の中には、「分かりやすい授業を行っているか。」
という設問に対して、
4段階中、下から2番目の評価をする保護者もいる。
しかし、子どもたちは、一番上か上から2番目だ。
授業を受けているのは、何より子どもたちだから、
子どもたちからそう評価されたのは嬉しいことだ。
中には、「これからも分かりやすい授業をしてください。」
というコメントを書く子どももいた。
これも嬉しいことだ。
だが、全員からそう書かれるようにしたいと思った。
決して驕らないこと。謙虚でありたい。
だから、先の保護者に対しても、
学級通信で、
「なぜ、全員同じ解き方で解かせるのか。」ということについて、
触れていきたい。こちらから近寄っていくしかないし、
それも教師の仕事の一つだろう。
たまに、教育観を語らねば、
学級通信はただの広告や報告書に過ぎなくなってしまう。
最後の連については、別記事で。
2011年9月20日火曜日
成績をつけること
本校は2学期制なので、もうすぐで期末だ。
今日は、成績一覧表のしめきりであった。
成績をつけることは、教師にとって大事な仕事である。
嬉しくもなるし、悲しくもなる。
日々の評価と照らし合わせて、
申し送られた情報以上によく頑張っていると嬉しくなる。
前に(3段階で)「C」だった子どもが「B」になると嬉しい。
だが、そうでない場合もある。
何かしら「C」がついてしまう子どももいる。
私にとっては、30数人の内の1人の成績に過ぎないが、
その子どもにとっては、自分自身の成績なのである。
「C」をつけざるを得ないとき、自分の指導不足を痛いほど感じる。
そう、うだうだしていられないのだが、
ここが更なる指導の出発点となる。
さあ、明日からまた頑張ろう!
今日は、成績一覧表のしめきりであった。
成績をつけることは、教師にとって大事な仕事である。
嬉しくもなるし、悲しくもなる。
日々の評価と照らし合わせて、
申し送られた情報以上によく頑張っていると嬉しくなる。
前に(3段階で)「C」だった子どもが「B」になると嬉しい。
だが、そうでない場合もある。
何かしら「C」がついてしまう子どももいる。
私にとっては、30数人の内の1人の成績に過ぎないが、
その子どもにとっては、自分自身の成績なのである。
「C」をつけざるを得ないとき、自分の指導不足を痛いほど感じる。
そう、うだうだしていられないのだが、
ここが更なる指導の出発点となる。
さあ、明日からまた頑張ろう!
2011年9月11日日曜日
絶対評価と相対評価
本校は、2学期制である。
だから、もう今月下旬には、評価を出さなければいけない。
学校は今、「絶対評価」である。
ある到達目標に達成していれば、人数関係なく評価する。
「相対評価」は、クラスの何割がA、何割がB……といったような評価だ。
たとえ、全員が本来「A」だとしても、他の要素を加味して、
「B」や時には「C」評価をしなければならない。
だが、繰り返しになるが、今は「絶対評価」である。
ところが、本校は、完全に「絶対評価」ではない。
先週、職員室である先生が評価の話をしていた。
「何割ぐらいにしましょうね?」
その話自体、相対評価では?と思った。
あとは、管理職もこう言う。
全校の成績が揃ったところで、学年内で見てください、と。
人数にばらつきがあると、警告されるのだ。
指導する教師が違うのだから、評価も変わる。
A評価の人数も違って当然だ。
管理職の言い分はこうだ。
学力状況調査(横浜市独自の)の結果が、クラス間でそう違いなければ、
A、B、Cの人数比も、そう差が出ないはずだ。
何だか附に落ちない。
これを理論付けられないのは、私の力量不足だ。
それでも、何か違うのでは?と今思っている。
これについては、以下のことについても言及する必要がある。
(1)学力状況調査の結果そのものが、どれだけ有効な情報か。
(2)横浜市において、横浜版学習指導要領(市教育委員会で作成)をもとにして
つくられた学力状況調査のテストが、評価を出す際の資料として妥当か。
「横浜版学習指導要領」については、改めて書きたい。
だから、もう今月下旬には、評価を出さなければいけない。
学校は今、「絶対評価」である。
ある到達目標に達成していれば、人数関係なく評価する。
「相対評価」は、クラスの何割がA、何割がB……といったような評価だ。
たとえ、全員が本来「A」だとしても、他の要素を加味して、
「B」や時には「C」評価をしなければならない。
だが、繰り返しになるが、今は「絶対評価」である。
ところが、本校は、完全に「絶対評価」ではない。
先週、職員室である先生が評価の話をしていた。
「何割ぐらいにしましょうね?」
その話自体、相対評価では?と思った。
あとは、管理職もこう言う。
全校の成績が揃ったところで、学年内で見てください、と。
人数にばらつきがあると、警告されるのだ。
指導する教師が違うのだから、評価も変わる。
A評価の人数も違って当然だ。
管理職の言い分はこうだ。
学力状況調査(横浜市独自の)の結果が、クラス間でそう違いなければ、
A、B、Cの人数比も、そう差が出ないはずだ。
何だか附に落ちない。
これを理論付けられないのは、私の力量不足だ。
それでも、何か違うのでは?と今思っている。
これについては、以下のことについても言及する必要がある。
(1)学力状況調査の結果そのものが、どれだけ有効な情報か。
(2)横浜市において、横浜版学習指導要領(市教育委員会で作成)をもとにして
つくられた学力状況調査のテストが、評価を出す際の資料として妥当か。
「横浜版学習指導要領」については、改めて書きたい。
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