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2015年3月6日金曜日

全校に対して平等に接する

 私は、いけないことをしていたら、誰であっても厳しく叱る。
 信頼関係が築けている自分のクラスで厳しく叱ることはあっても、
その他となれば、「注意」ぐらいで終わるのが普通かもしれない。

 しかし、私は違う。
 自分のクラスの子と同じように叱る。

 一方で、
 私は普段接さない子でも、気付けば褒める。
 何年生であっても、褒める。
 褒めたくなったら、褒める。

 楽天前監督の星野仙一氏が言っていた。
 「トップは、怒ることがはっきりしている方がよい。」
 基準をはっきり示せということだ。

 だから、”私”という人物像が明確になる。

 朝会で司会を担当するときがある。
 私が前に立つと、全学年十数秒以内にシーンとなる。
 私は一言も発しない。
 ただ、全体に対して目配せをするだけだ。

 穏やかに「さすが高学年。静かで姿勢が立派です。」とだけ言い、朝会が始まる。

 もう一度言う。
 私が前に立っただけで、シーンとなるのだ。

 「お口を閉じます。」
 「静かにするんですよ。」
 などと発する必要がない。

 立つだけである。

 それくらい、基準を明確に示したい。
 「よい」「悪い」がはっきり分かる人間でありたい。

2013年2月19日火曜日

机の上を空にしなさい!

これも、だいぶ使っている口癖です。

朝の会など、私の話を聞かせるときに言います。
机の上を空にすることで、話に集中させるためです。

物が乗っていると、
それをいじる子、片付け途中の子、
教室が何だか雑然としています。
話をしても、すぐに質問に来ます。

もちろん、聞いていない子に責任がないわけではないですが、
教師の指示の通し方にも問題があるでしょう。

私は、朝の会・帰りの会の開始前に言います。

「机の上を空にしなさい。」

整然とした雰囲気で始めます。

2013年2月18日月曜日

机整頓!

年明けからでしょうか、口癖になりつつあります。
もちろん、年が明けてから、クラスの環境が乱れ始めたわけではありません。

もっと子どもたちに整頓する気持ちよさを感じてほしいので、始めました。

特に、帰りのあいさつの前、全員が起立しているときには、毎日言います。
もちろん、その後下校するので、多少乱れはします。
しかし、「そういうふうにするものだ」というのを感じてほしいのです。

机が場所よりも前に出すぎると、
「出しゃばるな(笑)」と言います(笑)
『あ~あ、出しゃばっちゃった』と子どもは言います。

最近は「整頓!」と一言です。

もちろん、帰りは一番最後に教室を出ます。
乱れている机を直します。

次の日、やはり気持ちの良い、整然とした教室に入りたいですから。

2013年2月4日月曜日

「ドンマイ!」

私のクラスの合い言葉のようなものである。

長縄など、クラスで真剣に何か挑戦しているとき、
誰かが失敗したら全員で「ドンマイ!」と大声で言う。

これが表面的に見えるかもしれないが、
幾人かは「また挑戦しよう!」と前向きな気持ちになっている。

こういう言葉がじわじわと効く。

2011年11月17日木曜日

魔法の言葉

小学校では、
今年度から新学習指導要領が本格実施された。
それに伴い、算数は3割内容増となった。

前の学年や中学校の内容が下りてきている。
学年相当か?という単元もあるが、
学習指導要領にある以上は教えなければならない。

そこで、私は
「大丈夫」「これはね、とっても簡単なんです」
などという言葉を意識して遣うようにしている。

教師は、これまでは上の学年にあったとか、
中学校の内容だったとかをよく知っている。
だから、単元の導入で思わず
「これは前、6年生でやっていたんだよなあ」
と言ってしまいそうである。

それを聞くと、子どもたちは「難しいんだ……」と
思うかもしれない。
「難しいけど、頑張るか」と思うかもしれない。

後者ならよいが、前者も絶対にいる。

そう思ってしまうと、
分かるはずの内容まで、分からなくなってしまう。
自分で壁を自然とつくってしまうのだ。

今、私は「分数のたし算とひき算」を教えている。
これは、6年生にあった内容だ。
しかし、そんなことは一切子どもに言っていない。

「この勉強はね、たし算・ひき算だからとっても簡単だよ。
だけどね、簡単だと思って丁寧さを抜くと、
たくさん間違えてしまうからね。」

私はこのように言った。

通分・約分ができれば、何のことはない単元である。
だから、簡単さを言いつつも、
丁寧さを抜かないように強調した。

授業では、基本的なたし算・ひき算や
教科書に書いてあることを問うときに、

「とっても簡単なことを聞きます。」

と言う。

これで、子どもたちはおおよその見当をつける。

冬休み明け、5年生の最難関単元と言われる
「百分率とグラフ」(割合だ)があるが、
この授業のときには、なおのこと

「これは5年生で一番難しいんだよ。」

とは言わないようにする。

教師の何気ない言葉を、
意外と子どもたちはしっかりと聞き、覚えているものだ。

2011年10月11日火曜日

本物になれ

今日は後期の始業式。
とはいっても、先週金曜日が前期の終業式のため、
あまり学期が変わったという感じはしない。

しかし、節目ということで、
新年度の「黄金の3日間」、夏休み明けの「白銀の3日間」のように、
今日、何かをリセットできるのではないかと思い、いくつか指導をした。

始業式後、まずは教師の演説。
2点話した。

1点目は、偽物は許さないということ。
例えば、私の前では立派でも、他の人の前だとだらけるということ。

2点目は、たくさんチャレンジするということ。
授業中の発言でもいいし、行事でもいい。
必ず先生が支えるということを伝えた。
そのせいか、今日の算数の授業ではいつもより挙手が多かった。
たとえ続かなかったとしても、
とりあえず今日やってみようという姿勢は素直で嬉しいことだ。

それから、給食の片付け、掃除についてもレベルアップしようと話した。
具体的には、必要最低限の会話しかしないということである。
(5年生になって、今更その指導かと思われた方がいたなら申し訳ない。)

子どもたちはよく頑張り、給食の片付けも早かったし、
教室掃除にいたっては、いつも10分かかるのが、6分半で終わった。
もちろん質を保ってである。
ここでも、言われたことを素直にやろうとするから嬉しい。

今日褒め忘れてしまったのが後悔だが、
明日は真っ先にこのことを褒めようと思う。

やっぱり褒め続ける、励まし続けることで、定着することは明らかである。

あとは、今日言ったことを貫き通すだけだ。
諦めたら、そこで「定着」は遥か遠のいてしまう。
まじめな子が、私が諦めかけたときにでも、
私の言ったことを貫こうとする姿が時々見られ、私も大いに励まされた。

この仕事、教室で子どもたちと生活を営むのが本当に柱となれば、
またとない素晴らしい仕事だと思う。

2011年10月10日月曜日

「前へ倣え」のさせ方

朝会の司会は各学年で持ち回りのため、
色々な先生の「前へ倣え」のさせ方が見られて興味深い。

「おはようございます!」の前に行う集団行動である。
整列させることで、緊張感を生む目的もある。

しかし、「前へ倣え」のさせ方も大きく2つに分かれる。
皆さんはどちらだろうか?


  A 「前へ倣え!」(一息で言う)
  B 「前へ……倣え!」(「前へ」の後に間をつくる)


私は絶対にBである。
それに、効果的な「前へ倣え」はBであると考えている。

間をつくることで、子どもたちに心の準備をさせるのだ。

ちょっとよそ見をしている子どもでも、
教師が「前へ……」と言うと、「前倣えをするんだな」と心の準備ができ、
「倣え!」で全員が同じ動作をすることができる。

しかし、間がないと、ちょっとよそ見をしている子どもは、
周りが「前へ倣え!」をしている状態のときに、よそ見をしてる最中である。
そういう子どもは、列の前だったり真ん中だったり色々なところにいるから、
結果として列は揃わない。
それで、かわいそうなことに叱られるのである。

私が小学生のときには、どの先生もBであった。
しかし、今はAの先生もかなり多い。
そのAの先生は、おまけに語調までやんわりとしているから、
何だか緊張感が生まれない。

同じ学年で組んでいる50代の男性の先生。
私が今まで聞いた中で、一番ビリッとする「前へ……倣え!!!」である。
この先生が整列を担当すると、一発で揃う。
ざわざわした雰囲気が一発で静かになる。

ハンドサイン

本校は2学期制なので、先週金曜日が終業式だった。
そこでの並ばせ方である。


  1年生

  体育館の所定の場所まで2列で連れてくる。
  それぞれのクラスが並ぶ場所で、担任が「前へ倣(なら)え!」
  担任が列を回りチェックする。


至って当たり前の指導である。
私(5年生)も同じように「前へ倣え」をさせる。
「前へ倣え」は集団行動の基本動作の一つである。

ところがだ。


  2年生

  体育館の所定の場所まで2列で連れてくる。
  担任が拳(グー)を挙げている。
  子どもたちは整列する。


2年生全学級がそうしているのだから、揃えているのだろう。
しかし、私には稀有、いや滑稽に見える。
1年生が、担任の「前へ倣え!」で整列できるのだ。
なぜ、上級生である2年生がそれで整列できないのだろう。

昨年、幼稚園(年長)の様子を見る機会があった。
幼稚園でも、「前へ倣え!」で整列できていた。

朝会などで、全校で一度整列するときも、
担当の先生が「前へ倣え!」と声を出す。
そのときは、2年生もそれで整列している。

こういう基本動作は、
全国共通のルールで通用できるようにしなければならない。

まあ、2年生の内にこのような並び方は卒業させるだろう。

仮に、2年生でハンドサインで整列させていたとしても、
1年生が号令で整列している様子を見て、
2年生の担任が何とも思わなかったとしたら、
それはそれで問題である。知的でない。

ちなみに言うと、小学校の教師で、
2列まとめて「1号車」「2号車」などという教師もどうかと思う。
ましてや、高学年担任でも使う人がいる。

2011年9月28日水曜日

3.11 子どもへの対応

2011.3.11、東日本大震災が発生した。
私は、5時間目の授業中だった。

大きく、そして長い時間揺れた。
心配されていた「東海大地震」が来ると思った。
ともかく長かった。

第一に考えたことが、「子どもを安心させること」である。

とにかく子どもをパニック状態にしてはならない。
パニックを起こせば、避難する際に混乱をきたすし、
その混乱によって、二次災害に遭う危険性を察知したからだ。

そこで私はこう言った。

  大丈夫、大丈夫。
  先生は、これよりも大きい地震を、高校時代に2回経験しています。
  先生が慌てていないから大丈夫です。

実際に、高校時代に震度5弱を2回経験している。
その経験も良くはたらき、子どもを安心させることができた。

後日、保護者と会った際に、

  本当はとても怖かったみたいです。
  でも、先生が「先生はこれよりも大きい地震を2回経験している」と
  言ってくれたおかげで、だいぶ安心したようです。

と言われた。

私が「大丈夫」と言っている最中、騒ぐ子どもなどいない。
だが、本当は怖がっている子どもがもっといたはずだ。

そんな中で、「先生が落ち着いているから大丈夫です」と言うことはプラスだ。
ましてや、私は地震を割と経験しているから、自信をもって「大丈夫」と言えた。

地震を経験していない人でも、

  先生たちは毎年訓練しているから大丈夫です。
  どの先生も慌てていないから大丈夫ですよ。

と言えるはずである。

教室で子どもが頼れるのは先生だけである。

その使命感を深く実感した3.11でもあった。

2011年9月25日日曜日

教師の言葉

今日は、機会あってある政党の党首の演説を生で聞くことができた。

そこで、とても勉強になったのが、話す言葉である。

フレーズの始めに、「えー」とか「ああ」とか、
間合いをとるための余計な言葉がないのである。

聞きながら、頭の中で文字に起こしてみた。

書いた文章そのもの、余計な言葉が一切入っていない。

なので、内容がすっと頭に入ってくる。
ここまで、頭に気持ち良く内容が入るのかと驚いた。

大舞台で話し慣れているのは当然だろうが、
やはり地元で活動している議会議員や国会議員とは、演説のうまさが比ではない。

そもそもいらない言葉を話していないだろうかと、自分を振り返る機会になった。
火曜日(明日は代休)から気を付けてみようと思う。

2011年9月21日水曜日

指示の出し方

教師は場面場面で子どもを動かす。
そのときに発せられる言葉が「指示」だ。

この指示の出し方でも、子ども相手では技術がいる。

ある運動会の練習での出来事である。
低学年と高学年がペアで行う競技の練習をしていた。

ルールを説明する。
そのときに、子どもがざわついているのに、ある教師は話を始めた。
顔が話をする教師の方を向いていないのに、話を始めた。

結果としては、1、2割の子どもにしか指示は通らなかった。

子どもに話を聞かせるときは、絶対に教師に集中させなければならない。

集中させるとは、
1.体を教師の方へ向かせる(「おへそを○○先生へ向けなさい。」)
2.顔を教師の方へ向かせる(下を向いている子どもは1人も見逃さない)
3.口は絶対に開かせない(質問は後で受け付ける。口を挟むのもだめだ。)

ということであり、これが成立して、初めて指示が通る。

私は日頃子どもたちにこう言っている。

「勉強できる子もいれば、苦手な子もいます。運動も図工もそうです。
勉強に関係することで、できないことは怒りません。
しかし、話を聞くとか、1回の指示で起立するとか、
全員ができることをしなかったときは怒ります。」


また、「趣意説明」も忘れてはならない。

どういう理由で、今そうするのかを子どもたちに説明するのだ。
暗黙の了解で理解する子どもはいるが、そうでない子どももいる。

なぜその行動をするのかを全員に理解させなければならない。

そうすると、自分で工夫して何か行動する子どもも出てくる。
それをすかさず褒める。
そうすると、規範意識が育つ。


指示を聞くことは、教師からすれば当たり前にできてほしいことである。
できるまで、教師は声をかけるなど色々と一生懸命になる。

しかし、できたところで褒めない教師が多い。

相手が高学年でも、当たり前のことが当たり前にできたら褒める。

「さすが高学年!
当たり前のことが当たり前にできるのは、高学年が一番ですね!」


褒める要素を忘れないように、指導していきたいものだ。

2011年9月2日金曜日

私が遣わない言葉

いくらかわいい子どもたちといえど、線引きは大事。
どんなに子どもたちと親しかろうと、所詮は「他人」。


その1 「~してください。」

教師の方が目上である。
子どもたちに指示を出すときに、「~してください。」だとどうも弱い。
「~します。」「~しなさい。」で指示は出す。

「~しなさい。」に抵抗がある人もいるかもしれないが、なんてことはない。
子どもたちはそれで恐怖感を覚えているわけではない。
言葉尻がどうこうよりも、明確に指示を出すことの方が、
よっぽど子どもからの信頼感は高まる。


その2 職員室での悪口

放課後の職員室。1日の中で、最も嫌気が差す時間だ。
もちろん全ての先生ではない。
しかし、一部では愚痴大会が始まる。

その人は、「子どもが悪い。」「親が悪い。」というメッセージを込めているかもしれない。

少なくとも私は、「私(教師)の指導不足です。」という意味に捉えてしまう。

子どもが教師の思う通りに動かなかったら、まずは自分自身を疑うべきだ。
指示の出し方が曖昧だったり、子どもに対して寛容でなかったりする。
だいたい愚痴を並べる先生に当てはまる。
子どもたちを的確に動かしたという事実をつくれなかったのだ。

想像してほしい。
もし、自分に子どもがいて、
自分の子どもが、所詮は他人の愚痴の対象になっているとしたら……。

もちろん、私が今担任していたり、過去に担任したりしたクラスに、
問題行動やちょっと気になる言動をする子どもがいなかったわけではない。

そういうときは、「○○が~なんですが、どうしたらいいでしょうか?」と相談する。

この辺は、改めて詳しく書きたい内容だ。



とりあえず、1週間が終わった。
シルバーの3日間。
夏休み前に曖昧だった部分を、クラスで考え直すことができた。

そして、笑顔で「さようなら」できたのが、何より安堵する瞬間だ。