休憩時間が保障されない日があるのはどうしてだろう。
今日、救急法の研修があった。
6時間授業なので、15:30~16:15が休憩時間である。
15:45から始まった。
終了がなんと、16:55。
違法ではないのだろうか。
設定する体育部も体育部だが、それを了承する管理職にも疑問符がつく。
見通しを持てない人に合わせるのはつらい。
2016年5月19日木曜日
2016年4月9日土曜日
学年会計を買って出る
私は、毎年、学年会計を買って出ている。
(学年主任ではないから。)
「学年会計」はなぜか煙たがられる仕事だ。
どうしてなのか、私は不思議に思っている。
なぜ、買って出るのか。
理由は2つある。
(1)作業が単純で決まっているから。
(2)教材選択の主導権を握れるから。
(1)作業が単純で決まっているから。
出す書類、決算の仕方など、毎年一緒だ。
一度覚えてしまうと、とても楽なのである。
それも数値を扱うので、頭を悩ませることもない。
(2)教材選択の主導権を握れるから。
予算をどう配分するのか、見通すことができる。
「〇〇円使えるので、**を取ってもいいですか?」と切り出せる。
今年度、希望する教材を全て買うことができた。
1 あかねこ漢字スキル
2 あかねこ計算スキル
3 正進社テスト(国・算・理) ※3年生だから「社」なし
4 話す・聞くスキル
みんなが面倒がるから、買って出ると喜ばれる。
(学年主任ではないから。)
「学年会計」はなぜか煙たがられる仕事だ。
どうしてなのか、私は不思議に思っている。
なぜ、買って出るのか。
理由は2つある。
(1)作業が単純で決まっているから。
(2)教材選択の主導権を握れるから。
(1)作業が単純で決まっているから。
出す書類、決算の仕方など、毎年一緒だ。
一度覚えてしまうと、とても楽なのである。
それも数値を扱うので、頭を悩ませることもない。
(2)教材選択の主導権を握れるから。
予算をどう配分するのか、見通すことができる。
「〇〇円使えるので、**を取ってもいいですか?」と切り出せる。
今年度、希望する教材を全て買うことができた。
1 あかねこ漢字スキル
2 あかねこ計算スキル
3 正進社テスト(国・算・理) ※3年生だから「社」なし
4 話す・聞くスキル
みんなが面倒がるから、買って出ると喜ばれる。
2013年3月29日金曜日
「編成」と「編制」
「へんせい」には、2つある。
「編成」と「編制」
学級「へんせい」は……「学級『編制』」である。
列車などの10両「へんせい」は……「10両『編成』」である。
どうでもいいか?
いや、教務や学籍ならば知っておいた方がよい。
「編成」と「編制」
学級「へんせい」は……「学級『編制』」である。
列車などの10両「へんせい」は……「10両『編成』」である。
どうでもいいか?
いや、教務や学籍ならば知っておいた方がよい。
2012年10月2日火曜日
専科の指導力
今や、小学校では「専科」が当たり前の存在になった。
自治体や学校によっての違いはあるが、
「理科」「音楽」「図工」「家庭」が多いのではないだろうか。
私は、専科ではないが、学年の理科を担当している。
私は、一度でも自分の授業時間で起こった他クラスの(ちょっとした)問題を、
学級担任に不満として漏らしたことはない。
なぜなら、その時間の責任は、全て私にあるからだ。
そのときできなかったのは、私の指導力不足が原因である。
ただそれだけ。他に依るところなどあるわけがない。
委員会活動やクラブ活動の指導でも、同様だ。
報告ならするかもしれないが、それを学級担任のせいにはしない。
しかし、教え方が下手な教師に限って、責任を学級担任になすりつける。
授業がおもしろくないから、そういう状況になる。
おもしろくなかったとしても、躾ができればそういう状況にはならない。
(私は、専ら後者だ。これはこれで課題である。)
そんな学級担任のせいにするのなら、専科をやめればいい。
学級担任に戻ればいい。専科としての仕事が成り立っていないのだから。
それに、こんな教師がいる。
担任が見ていないところで、トラブルが起こったとする。
それを、別の教師が見ていたとする。
そうすれば、その教師だけが指導をすればいいのだ。
そこで「複数対応だ」と、訳の分からないことを言って、
担任やら、学年の教師やら、同じフロアの教師やらを呼ぶ教師がいる。
私は、それに巻き添えをくらい、5対1の状況に「いさせられた」ことがある。
1対1でも、教師と子どもなのだから、教師が有利に決まっている。
それを5対1にまでするのだ。明らかに教育的配慮を欠いている。
これはもはや「指導」ではない。「拷問」だ。
この「複数対応」を声高々に言う教師は決まっている。
授業が下手な教師。
褒めない教師。
趣意のないルールをつくる教師。
一部の学級担任ではない教師。
問題を起こした子にだって、プライドはある。
担任に見られていないのなら、担任に知られたくないのだ。
相手は、たかだか生まれてこの方、十数年しか生きていない子どもである。
それを警察ではあるまいし、執拗に「指導」という建前で、取り調べをしている。
私には、全く理解できない。
私が管理職なら、保護者に「やり過ぎだ」と言われれば、
「そんなことはありません」と、突っぱねる自信はない。
私は一度としてこの複数対応をしたことがない。
私が目撃したのなら、私が状況を把握して、事実を確認し、
必要であれば謝らせるなどの指導をする。
たまに複数対応が頭にある一部の教師が寄ってくるが、
私はその人たちに話を一切振らない。
子どもだって、状況を知らない人にあーだこーだ言われても納得いかないだろう。
私だって、その場を見ていないのに、「先生、何かありますか?」と話を振られても、
心のこもった指導はできない。
そのときの何がいけなかったのかが分からないのだから当然だ。
自治体や学校によっての違いはあるが、
「理科」「音楽」「図工」「家庭」が多いのではないだろうか。
私は、専科ではないが、学年の理科を担当している。
私は、一度でも自分の授業時間で起こった他クラスの(ちょっとした)問題を、
学級担任に不満として漏らしたことはない。
なぜなら、その時間の責任は、全て私にあるからだ。
そのときできなかったのは、私の指導力不足が原因である。
ただそれだけ。他に依るところなどあるわけがない。
委員会活動やクラブ活動の指導でも、同様だ。
報告ならするかもしれないが、それを学級担任のせいにはしない。
しかし、教え方が下手な教師に限って、責任を学級担任になすりつける。
授業がおもしろくないから、そういう状況になる。
おもしろくなかったとしても、躾ができればそういう状況にはならない。
(私は、専ら後者だ。これはこれで課題である。)
そんな学級担任のせいにするのなら、専科をやめればいい。
学級担任に戻ればいい。専科としての仕事が成り立っていないのだから。
それに、こんな教師がいる。
担任が見ていないところで、トラブルが起こったとする。
それを、別の教師が見ていたとする。
そうすれば、その教師だけが指導をすればいいのだ。
そこで「複数対応だ」と、訳の分からないことを言って、
担任やら、学年の教師やら、同じフロアの教師やらを呼ぶ教師がいる。
私は、それに巻き添えをくらい、5対1の状況に「いさせられた」ことがある。
1対1でも、教師と子どもなのだから、教師が有利に決まっている。
それを5対1にまでするのだ。明らかに教育的配慮を欠いている。
これはもはや「指導」ではない。「拷問」だ。
この「複数対応」を声高々に言う教師は決まっている。
授業が下手な教師。
褒めない教師。
趣意のないルールをつくる教師。
一部の学級担任ではない教師。
問題を起こした子にだって、プライドはある。
担任に見られていないのなら、担任に知られたくないのだ。
相手は、たかだか生まれてこの方、十数年しか生きていない子どもである。
それを警察ではあるまいし、執拗に「指導」という建前で、取り調べをしている。
私には、全く理解できない。
私が管理職なら、保護者に「やり過ぎだ」と言われれば、
「そんなことはありません」と、突っぱねる自信はない。
私は一度としてこの複数対応をしたことがない。
私が目撃したのなら、私が状況を把握して、事実を確認し、
必要であれば謝らせるなどの指導をする。
たまに複数対応が頭にある一部の教師が寄ってくるが、
私はその人たちに話を一切振らない。
子どもだって、状況を知らない人にあーだこーだ言われても納得いかないだろう。
私だって、その場を見ていないのに、「先生、何かありますか?」と話を振られても、
心のこもった指導はできない。
そのときの何がいけなかったのかが分からないのだから当然だ。
2012年6月17日日曜日
学年会
「学年会」ほど学校の中においていい加減な会議はないかもしれない。
理由は3つ。
1.設定日でないときにも頻繁に開かれることがある。
(たまに、急に開かなければならないときや、行事前など設定日以外に設けられることがあることは致し方ない。)
2.学年の担任が揃っていなくても開かれることがある。
(もちろん、出張で不在なのは仕方がない。)
3.終了時間が曖昧である。
(職員会議についてもいえることである。)
今年は6年生担任。
昨年度と学年主任が替わったくらいだが、新しく着任した職員はいないため、全員顔見知りだ。わたしが在籍3年目で一番浅いが、他2名は在籍6年目。)
上記の理由の「2」が、今年度は多い。
気付けば「○○を申し込みしました」という報告が多い。
文部科学省の通達「学校教育法施行規則の一部を改正する省令の施行について」(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19760113001/t19760113001.html)に、
「学年主任は、校長の監督を受け、学年の経営方針の設定、学年行事の計画・実施等当該学年の教育活動に関する事項について、当該学年の学級担任及び他の学年主任、教務主任、生徒指導主事等との連絡調整に当たるとともに、当該学年の学級担任に対する指導、助言に当たるものであること。」(装飾筆者)
基本的出張でない限り、学年の職員が不在であるときに開かれてはならないのである。
緊急を要するものならば、学年が回らないのだから「仕方ない」と思えるが、そうでないものを勝手に決められると憤慨ものである。
前にも何かの記事で書いたが、「主任」の仕事は見通しをもたせることが一番だと考えている。
「いつまでに」「何を」すればよいのかが分かれば、こちらも考えて動くことができる。
理由は3つ。
1.設定日でないときにも頻繁に開かれることがある。
(たまに、急に開かなければならないときや、行事前など設定日以外に設けられることがあることは致し方ない。)
2.学年の担任が揃っていなくても開かれることがある。
(もちろん、出張で不在なのは仕方がない。)
3.終了時間が曖昧である。
(職員会議についてもいえることである。)
今年は6年生担任。
昨年度と学年主任が替わったくらいだが、新しく着任した職員はいないため、全員顔見知りだ。わたしが在籍3年目で一番浅いが、他2名は在籍6年目。)
上記の理由の「2」が、今年度は多い。
気付けば「○○を申し込みしました」という報告が多い。
文部科学省の通達「学校教育法施行規則の一部を改正する省令の施行について」(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19760113001/t19760113001.html)に、
「学年主任は、校長の監督を受け、学年の経営方針の設定、学年行事の計画・実施等当該学年の教育活動に関する事項について、当該学年の学級担任及び他の学年主任、教務主任、生徒指導主事等との連絡調整に当たるとともに、当該学年の学級担任に対する指導、助言に当たるものであること。」(装飾筆者)
基本的出張でない限り、学年の職員が不在であるときに開かれてはならないのである。
緊急を要するものならば、学年が回らないのだから「仕方ない」と思えるが、そうでないものを勝手に決められると憤慨ものである。
前にも何かの記事で書いたが、「主任」の仕事は見通しをもたせることが一番だと考えている。
「いつまでに」「何を」すればよいのかが分かれば、こちらも考えて動くことができる。
2012年6月3日日曜日
授業参観を考える
学校には「授業参観」がある。
頻度は学校によって異なるが、本校は一昨年度、
月に一度のペースであった。
これは多すぎる。
もちろん、私はいつでも授業を見にきてもらって構わない。
しかし、「授業参観」となると話は違う。
平日にぷらっと寄る保護者は、我が子の「普段の」様子が気になる。
だからいつも通りの授業でよい。
「授業参観」に来る保護者は、我が子が「活躍する」様子が見たいのだ。
だからいつも通りの授業では足りないときがある。
なので、私は授業参観は、普段の授業とは別物と考える。
全員の子どもが活躍・活動的になる授業を考える。
また、「授業参観」は担任やクラスの雰囲気を
保護者にアピールする絶好の機会だと私は捉えている。
係活動の掲示物がたくさんあったり、
全員達成・合格した記録が掲示してあったり、
記念写真を拡大して掲示してあったり(いずれも私が行っていること)と、
そうすれば、いつ見に来られても堂々としていられる。
授業参観をしきりに嫌がる教師はだいたい決まっている。
授業参観で、私は保護者の信頼を得たい!と切に願っている。
確かに緊張はするが、だからといって妥協したくない。
「学年で何かしましょう」としつこく食い下がる教師はだいたい決まっている。
こういう教師から学ぶことって、本当に少ない。
(昨日の授業参観、本当に無駄にしてしまった。)
頻度は学校によって異なるが、本校は一昨年度、
月に一度のペースであった。
これは多すぎる。
もちろん、私はいつでも授業を見にきてもらって構わない。
しかし、「授業参観」となると話は違う。
平日にぷらっと寄る保護者は、我が子の「普段の」様子が気になる。
だからいつも通りの授業でよい。
「授業参観」に来る保護者は、我が子が「活躍する」様子が見たいのだ。
だからいつも通りの授業では足りないときがある。
なので、私は授業参観は、普段の授業とは別物と考える。
全員の子どもが活躍・活動的になる授業を考える。
また、「授業参観」は担任やクラスの雰囲気を
保護者にアピールする絶好の機会だと私は捉えている。
係活動の掲示物がたくさんあったり、
全員達成・合格した記録が掲示してあったり、
記念写真を拡大して掲示してあったり(いずれも私が行っていること)と、
そうすれば、いつ見に来られても堂々としていられる。
授業参観をしきりに嫌がる教師はだいたい決まっている。
授業参観で、私は保護者の信頼を得たい!と切に願っている。
確かに緊張はするが、だからといって妥協したくない。
「学年で何かしましょう」としつこく食い下がる教師はだいたい決まっている。
こういう教師から学ぶことって、本当に少ない。
(昨日の授業参観、本当に無駄にしてしまった。)
2012年4月28日土曜日
会議での過ごし方
職員会議、打ち合わせ、職員朝会(朝礼)、その他会議と、
学校現場は意外と会議が多い。
(「会議の精選」はもちろん必要である。)
私はどんな会議でも絶対に「内職」はしない。
その時間は、「会議に参加すること」が仕事だからだ。
ところが職員室を見渡してみると、
ただ連絡事項を述べているだけなのに、
一生懸命パソコンのキーボードをはじいていたり、
赤ペンを持って手首が丸を描いていたりする人がいる。
連絡する方はたまったものではない。
「聞いていない」と感じるのはかなり寂しいものだ。
(ソーシャル・スキル・トレーニングの代表格で、
わざと「聞かないふり」をするトレーニングをして、
話の聞き方を勉強する内容があるほどだ。)
それだけでも辛いのに、数日経って
「これなんでしたっけ?」と平然と聞いてくる。
「打ち合わせで言ってましたよ」と私は絶対に付け加える。
そういう教師に限って、授業が下手だったり、
打ち合わせ(根回し)不足だったり、話が唐突だったりする。
学校現場は意外と会議が多い。
(「会議の精選」はもちろん必要である。)
私はどんな会議でも絶対に「内職」はしない。
その時間は、「会議に参加すること」が仕事だからだ。
ところが職員室を見渡してみると、
ただ連絡事項を述べているだけなのに、
一生懸命パソコンのキーボードをはじいていたり、
赤ペンを持って手首が丸を描いていたりする人がいる。
連絡する方はたまったものではない。
「聞いていない」と感じるのはかなり寂しいものだ。
(ソーシャル・スキル・トレーニングの代表格で、
わざと「聞かないふり」をするトレーニングをして、
話の聞き方を勉強する内容があるほどだ。)
それだけでも辛いのに、数日経って
「これなんでしたっけ?」と平然と聞いてくる。
「打ち合わせで言ってましたよ」と私は絶対に付け加える。
そういう教師に限って、授業が下手だったり、
打ち合わせ(根回し)不足だったり、話が唐突だったりする。
2012年4月2日月曜日
10年
職員室で確固たる理由があるわけではないのだが、
深く頷ける会話がされていた。
「今の学校、10年ももつんでしょうかね?」
本校云々ではなく、現代の公立学校のあり方が、
10年先でも同じように機能しているかどうかということだ。
特に、横浜市についてだろう。
今の教え子たちが社会へ羽ばたく10年後、
一体、社会は教育はどうなっているのだろう。
深く頷ける会話がされていた。
「今の学校、10年ももつんでしょうかね?」
本校云々ではなく、現代の公立学校のあり方が、
10年先でも同じように機能しているかどうかということだ。
特に、横浜市についてだろう。
今の教え子たちが社会へ羽ばたく10年後、
一体、社会は教育はどうなっているのだろう。
2012年3月31日土曜日
平成23年度終了
あと1時間ほどで、平成24年度ですね。
教室の片付けもほぼ終え、木曜日から年休を取りました。
毎日の学級経営の積み重ねを痛感した1年でした。
高学年ならではの壁にぶつかりましたが、
周りの人の協力があって乗り越えられました。
同時に、高学年ならではの楽しさもたくさんありました!
最後の日、子どもたちと集合写真を撮るのに、
黒板に思い切り落書きさせました!
普段は、学習用具の一部として落書きできませんから、
勢いといったらそれはそれは凄まじいものでしたよ(笑)
「サイコーの中間!」と書いてあって、
子どもならではの残酷さが出たか、と思いきや、
にんべんが見えづらいだけで「サイコーの仲間!」で一安心しました(笑)
来年度の学年も決まり、ここ2週間ばかりは本を買い漁っています。
しかし、身銭を切って買った本は財産になります。
来年度、今年度よりも楽しい1年にしていきたいです!
教室の片付けもほぼ終え、木曜日から年休を取りました。
毎日の学級経営の積み重ねを痛感した1年でした。
高学年ならではの壁にぶつかりましたが、
周りの人の協力があって乗り越えられました。
同時に、高学年ならではの楽しさもたくさんありました!
最後の日、子どもたちと集合写真を撮るのに、
黒板に思い切り落書きさせました!
普段は、学習用具の一部として落書きできませんから、
勢いといったらそれはそれは凄まじいものでしたよ(笑)
「サイコーの中間!」と書いてあって、
子どもならではの残酷さが出たか、と思いきや、
にんべんが見えづらいだけで「サイコーの仲間!」で一安心しました(笑)
来年度の学年も決まり、ここ2週間ばかりは本を買い漁っています。
しかし、身銭を切って買った本は財産になります。
来年度、今年度よりも楽しい1年にしていきたいです!
2012年2月29日水曜日
管理職
本日、横浜にしては珍しい降雪量。
そして、日中も降り続いたため、夜も雪が残っている。
東北育ちの私にとっては、過保護と言いたくなるところだが、
下校付き添いにも、「ここは関東」と割り切って従う。
帰ってくると、数名の教員が雪かきをしていた。
まあ、正門周辺だけでも、とそれはよい心がけである。
しかし、管理職や教務主任の姿が1人たりとも見えない。
下校指導にも行かなかったのに、である。
校長・副校長・教務主任ともに50代。
こういうところから信頼感は崩れていくのである。
担任とてそうである。
「学級」が、担任と児童ならば、
「学校」は、3役とその他職員である。
担任が範を示さねばならないように、
3役もそうである。
「若い人が」を建前にするのもいいが、
同時に失うものの方が大きい。
そして、日中も降り続いたため、夜も雪が残っている。
東北育ちの私にとっては、過保護と言いたくなるところだが、
下校付き添いにも、「ここは関東」と割り切って従う。
帰ってくると、数名の教員が雪かきをしていた。
まあ、正門周辺だけでも、とそれはよい心がけである。
しかし、管理職や教務主任の姿が1人たりとも見えない。
下校指導にも行かなかったのに、である。
校長・副校長・教務主任ともに50代。
こういうところから信頼感は崩れていくのである。
担任とてそうである。
「学級」が、担任と児童ならば、
「学校」は、3役とその他職員である。
担任が範を示さねばならないように、
3役もそうである。
「若い人が」を建前にするのもいいが、
同時に失うものの方が大きい。
2012年2月2日木曜日
特別支援学級担任の事務
特別支援学級担任がいる。
特別支援学級に在籍している児童の担任である。
一般学級担任ならば、その学級およびその学年の事務を行う。
特別支援学級担任ならば、特別支援学級のそれを行う。
事務の中には、「会計」も含まれる。
一般学級でいうところの、「学年会計」(学級会計)である。
だが、一部教科では、一般学級の児童も、
特別支援学級の児童も同じ教材を使う場合がある。
理科や図画工作が多いだろう。
そのとき、在籍学級が違うので、別会計となる。
だから、特別支援学級担任は、一般学級担任へ、
どんな物を買う(買った)のかを、伺う必要がある。
週案や学年だよりを特別支援学級にも渡しているのだから、
「知りませんでした。」は通用しない。
児童を教育する点では、学級の種別など関係ない。
どうも、特に小学校は、特別支援学級担任を、
必要以上に負担減にしようという傾向がある。
一般学級担任とて、大変さは一緒である。
児童の実態は違えど、人数や扱う教科数・内容も異なる。
もっと意識を高くもてばならない教員が、山ほどいる。
特別支援学級に在籍している児童の担任である。
一般学級担任ならば、その学級およびその学年の事務を行う。
特別支援学級担任ならば、特別支援学級のそれを行う。
事務の中には、「会計」も含まれる。
一般学級でいうところの、「学年会計」(学級会計)である。
だが、一部教科では、一般学級の児童も、
特別支援学級の児童も同じ教材を使う場合がある。
理科や図画工作が多いだろう。
そのとき、在籍学級が違うので、別会計となる。
だから、特別支援学級担任は、一般学級担任へ、
どんな物を買う(買った)のかを、伺う必要がある。
週案や学年だよりを特別支援学級にも渡しているのだから、
「知りませんでした。」は通用しない。
児童を教育する点では、学級の種別など関係ない。
どうも、特に小学校は、特別支援学級担任を、
必要以上に負担減にしようという傾向がある。
一般学級担任とて、大変さは一緒である。
児童の実態は違えど、人数や扱う教科数・内容も異なる。
もっと意識を高くもてばならない教員が、山ほどいる。
2012年1月15日日曜日
提案文書
前回書いた提案文書が、何とか終わった。
たてわり班活動に関する提案である。
この内容の提案が最初にされたのが、どうやら4年前であることが分かった。
つまり、この4年間、提案文書の蓄積・伝達がなされなかったのである。
なので、今回は来年度以降も使える文書にしたいと思った。
担当者がいつ変わるか分からない。
誰が見ても、大筋をとらえて動けるような文書にしたい。
1回このような提案を頑張れば、来年度以降楽になる。
つまり、提案文書を一から作成したり、
それにまつわる準備を一から考えたりする時間が不要になる。
自分たちで、校務を楽にすることを考えていかなければならない。
だから、「入学式」「運動会」「卒業式」という学校の三大行事は、
古い歴史があるのだから、本来、提案で苦労しない行事だ。
ところが、運動会の提案となると、
しきりに体育部が忙しくなるときがある。
毎年提案はされているのに、文書の蓄積・伝達を行っていないのだ。
そのような状況で「忙しい、忙しい」と言っているのは非常に馬鹿馬鹿しい。
このようになってしまうのは、提案に対してなされた修正を、
文書に生かしていないからだろう。
「提案」だから意見が出て、提案内容と変更がある場合がある。
それをその年度だけにとどめていないだろうか。
変更があったら、文書も変更しておく必要がある。
少しでも日々の校務を楽にするために、
提案文書に変更があったら、文書もその場で変更することが大事ではないか。
たてわり班活動に関する提案である。
この内容の提案が最初にされたのが、どうやら4年前であることが分かった。
つまり、この4年間、提案文書の蓄積・伝達がなされなかったのである。
なので、今回は来年度以降も使える文書にしたいと思った。
担当者がいつ変わるか分からない。
誰が見ても、大筋をとらえて動けるような文書にしたい。
1回このような提案を頑張れば、来年度以降楽になる。
つまり、提案文書を一から作成したり、
それにまつわる準備を一から考えたりする時間が不要になる。
自分たちで、校務を楽にすることを考えていかなければならない。
だから、「入学式」「運動会」「卒業式」という学校の三大行事は、
古い歴史があるのだから、本来、提案で苦労しない行事だ。
ところが、運動会の提案となると、
しきりに体育部が忙しくなるときがある。
毎年提案はされているのに、文書の蓄積・伝達を行っていないのだ。
そのような状況で「忙しい、忙しい」と言っているのは非常に馬鹿馬鹿しい。
このようになってしまうのは、提案に対してなされた修正を、
文書に生かしていないからだろう。
「提案」だから意見が出て、提案内容と変更がある場合がある。
それをその年度だけにとどめていないだろうか。
変更があったら、文書も変更しておく必要がある。
少しでも日々の校務を楽にするために、
提案文書に変更があったら、文書もその場で変更することが大事ではないか。
2012年1月12日木曜日
見通しをもつこと
今日、突然仕事が舞い込んできた。
2月と3月のたてわり班活動の計画を立てることだ。
それも、再来週の職員会議で提案しろと言う。
今回は、「卒業」にまつわる活動だ。
これは毎年行ってきていること。
それならば、いつ提案しなければならないかを、
総合的な学習の時間主任は把握しているはずである。
いや、把握していなければならない。
その「把握」こそが、主任の「仕事」なのだから。
再来週月曜日に職員会議がある。
その前に印刷し、資料の綴じ込みがあるから、
来週の木曜日までに仕上げなければならない。
あと1週間である。
あまりの怒りに、その主任とは目を合わさないで話をした。
いくらなんでも遅すぎる。
急遽必要になった仕事ではない。
それも、「よろしく!」の一言で済まされた。
相手が主任の先輩教師ならば、大目玉である。
この主任は、冬休みに1日も出勤しなかった。
見通しがもてる人ならば、冬休みのある日午前中に出勤して、
昨年度の資料を引っ張り出してくることぐらいはする。
「職務怠慢」もいいところだ。
少し仕事ができない人と一緒に仕事をするときは、
こちらのアイディアと、相手のアイディアの折り合いをつけながら、
時には私が強引に進めていくことができる。
しかし、ここまで仕事ができない人と一緒に仕事をするとなると、
これはたまらない。
こういう情報の蓄積・収集・整理ができない人に振り回されて、
教師の退勤時刻が遅くなっているという一面もあるだろう。
前にも書いたが、「主任」の仕事は、スケジュール管理である。
年間の予定を頭に入れ、「何月にこれがあるから、
何月には準備や提案をしないといけない」ということを、
把握しておくことが仕事である。
スケジュールの骨組みがしっかりしていれば、
あとは臨機応変に協力して仕事ができるものだ。
2月と3月のたてわり班活動の計画を立てることだ。
それも、再来週の職員会議で提案しろと言う。
今回は、「卒業」にまつわる活動だ。
これは毎年行ってきていること。
それならば、いつ提案しなければならないかを、
総合的な学習の時間主任は把握しているはずである。
いや、把握していなければならない。
その「把握」こそが、主任の「仕事」なのだから。
再来週月曜日に職員会議がある。
その前に印刷し、資料の綴じ込みがあるから、
来週の木曜日までに仕上げなければならない。
あと1週間である。
あまりの怒りに、その主任とは目を合わさないで話をした。
いくらなんでも遅すぎる。
急遽必要になった仕事ではない。
それも、「よろしく!」の一言で済まされた。
相手が主任の先輩教師ならば、大目玉である。
この主任は、冬休みに1日も出勤しなかった。
見通しがもてる人ならば、冬休みのある日午前中に出勤して、
昨年度の資料を引っ張り出してくることぐらいはする。
「職務怠慢」もいいところだ。
少し仕事ができない人と一緒に仕事をするときは、
こちらのアイディアと、相手のアイディアの折り合いをつけながら、
時には私が強引に進めていくことができる。
しかし、ここまで仕事ができない人と一緒に仕事をするとなると、
これはたまらない。
こういう情報の蓄積・収集・整理ができない人に振り回されて、
教師の退勤時刻が遅くなっているという一面もあるだろう。
前にも書いたが、「主任」の仕事は、スケジュール管理である。
年間の予定を頭に入れ、「何月にこれがあるから、
何月には準備や提案をしないといけない」ということを、
把握しておくことが仕事である。
スケジュールの骨組みがしっかりしていれば、
あとは臨機応変に協力して仕事ができるものだ。
2012年1月10日火曜日
とりあえず
本校だけだろうか。
「とりあえずやってみて、何か問題が起きたら・・・」という類の話が多い。
「とりあえず」と言われれば、「とりあえず」かと思い、「とりあえず」やってみる。
不安ながらも「とりあえず」何とかなるから、「とりあえず」が常になる。
私はこういう先読みの甘い問題が嫌いだ。
部活動で「とりあえず」なら、後々はだいたいが思い出になるだろう。
しかし、これは「仕事」だ。プロとしての仕事だ。
やってみなきゃ分からない部分も、もちろんある。
それならそうと、「とりあえず」がいつまでなのか。
何月何日何時から、反省をし、最終決定をするのか。
ここまで詰めることは誰にだって分かる。
だが、それができない人がいる。
年齢や経験年数は関係ない。
私が授業をするとき、「とりあえず」でやって成功した試しがない。
何かしら自分の中でストンと落ちるものがあると、まあ流れる。
自信のあるものは、大体成功する。
理論付けできないが、
最近、このような私の「勘」は、侮れないものだと感じている。
勘は所詮「勘」なので、そんなの・・・と言われればそれまでだが。
さて、学校の門を閉めるのは誰の仕事なのだろうか。
「とりあえずやってみて、何か問題が起きたら・・・」という類の話が多い。
「とりあえず」と言われれば、「とりあえず」かと思い、「とりあえず」やってみる。
不安ながらも「とりあえず」何とかなるから、「とりあえず」が常になる。
私はこういう先読みの甘い問題が嫌いだ。
部活動で「とりあえず」なら、後々はだいたいが思い出になるだろう。
しかし、これは「仕事」だ。プロとしての仕事だ。
やってみなきゃ分からない部分も、もちろんある。
それならそうと、「とりあえず」がいつまでなのか。
何月何日何時から、反省をし、最終決定をするのか。
ここまで詰めることは誰にだって分かる。
だが、それができない人がいる。
年齢や経験年数は関係ない。
私が授業をするとき、「とりあえず」でやって成功した試しがない。
何かしら自分の中でストンと落ちるものがあると、まあ流れる。
自信のあるものは、大体成功する。
理論付けできないが、
最近、このような私の「勘」は、侮れないものだと感じている。
勘は所詮「勘」なので、そんなの・・・と言われればそれまでだが。
さて、学校の門を閉めるのは誰の仕事なのだろうか。
2011年11月30日水曜日
主任の仕事
学校にはたくさんの「主任」がいる。
教務主任、研究主任、学年主任、教科主任、領域主任、
安全主任、給食主任、視聴覚主任、生徒指導主任などなど。
主任以外にその仕事を担う人がいなくても(=たとえ1人でも)
「主任」がつく(笑)
現時点で考える主任の一番の仕事。
それは「スケジュール管理」だと考える。
『○月に~をする』『△月に提案する。』など、
日時と内容の大まかを把握し、動かすのが仕事だ。
先週のある日、私の都合で外国語活動の時間を変えてもらうよう、
外国語活動主任に相談し、了解を得た。
なのに、指導を担当する外国の先生には伝わっていない。
結局、私が連絡した。
こんなことも回らないのかと思ってしまった。
「主任」になったからには、4月初っ端に年間スケジュールを確認する。
基本的には、ノートで引き継がれる。
そして、理想的には2ヶ月先を考えて、動き出す。
「1ヶ月先」だと、どうしても慌ただしくなってしまう。
2ヶ月がいい。
その校務分掌の仕事を実際にするのは、主任中心でなくてよい。
スケジュール把握さえきちんとできていれば、
各部員に仕事を割り当てられるし、
部員外の職員にも協力をお願いできる。
「主任」の仕事とは、こういうことだと思っている。
教務主任、研究主任、学年主任、教科主任、領域主任、
安全主任、給食主任、視聴覚主任、生徒指導主任などなど。
主任以外にその仕事を担う人がいなくても(=たとえ1人でも)
「主任」がつく(笑)
現時点で考える主任の一番の仕事。
それは「スケジュール管理」だと考える。
『○月に~をする』『△月に提案する。』など、
日時と内容の大まかを把握し、動かすのが仕事だ。
先週のある日、私の都合で外国語活動の時間を変えてもらうよう、
外国語活動主任に相談し、了解を得た。
なのに、指導を担当する外国の先生には伝わっていない。
結局、私が連絡した。
こんなことも回らないのかと思ってしまった。
「主任」になったからには、4月初っ端に年間スケジュールを確認する。
基本的には、ノートで引き継がれる。
そして、理想的には2ヶ月先を考えて、動き出す。
「1ヶ月先」だと、どうしても慌ただしくなってしまう。
2ヶ月がいい。
その校務分掌の仕事を実際にするのは、主任中心でなくてよい。
スケジュール把握さえきちんとできていれば、
各部員に仕事を割り当てられるし、
部員外の職員にも協力をお願いできる。
「主任」の仕事とは、こういうことだと思っている。
2011年11月19日土曜日
全校遠足を終えて
昨日は、全校で遠足に行った。
たてわり班で活動する。
私は、今年度から教科外担当が
「総合的な学習の時間」(総合部)になったので、
実行委員担当として仕事をした。
総合部として、職員会議で2回提案をした。
子どもたちにこういう活動をさせたい、
ということも確認した。
もちろん不備はある。
それは来年度に生かす。
しかし、提案資料に明記され、
口頭でも確認したことが、なかなか職員に浸透しない。
当日の朝、「○○はどうなっているんですか?」
と何度聞かれたことか。
そりゃあ少しくらいはあるだろう。
だが多すぎる。
結局、担当外の職員はよく読んでいないのだ。
管理職はチームで云々言う。
職員の仲は良い方だと言う。
私もそれはそう思う。
だが、実際に仕事をするとなると、
チームではない。
職員会議や前日の打ち合わせでなぜ言わないのか?
それに、自分の役割が明記されていても、
それに必要な物などを当日まで確認しない。
だから、総合部の準備が悪いと言われてしまう。
今回の全校遠足。
子どもたちにもっとこう動いて欲しいと思う場面が多々あった。
その原因を探ってみると、
明らかに職員の動き方に問題があるのだ。
例えば、
「6年生のリーダーシップを育むためにも、
学校から出したら、危険な場所(横断歩道や電車への乗車)
以外は極力手を貸さない。」
という方針があった。
だが、子どもたちは、時刻を聞いてくる。
歩道を広がって歩く。
班行動が乱れてくる。
その背景はこうだ。
職員が容易く時刻を教えている。
先頭を切って頻繁に整列指導する。
合同班になってしまう計画を立てさせている。
こんなんじゃあ、子どもたちは育たない。
職員へ浸透させることの難しさを知った。
たてわり班で活動する。
私は、今年度から教科外担当が
「総合的な学習の時間」(総合部)になったので、
実行委員担当として仕事をした。
総合部として、職員会議で2回提案をした。
子どもたちにこういう活動をさせたい、
ということも確認した。
もちろん不備はある。
それは来年度に生かす。
しかし、提案資料に明記され、
口頭でも確認したことが、なかなか職員に浸透しない。
当日の朝、「○○はどうなっているんですか?」
と何度聞かれたことか。
そりゃあ少しくらいはあるだろう。
だが多すぎる。
結局、担当外の職員はよく読んでいないのだ。
管理職はチームで云々言う。
職員の仲は良い方だと言う。
私もそれはそう思う。
だが、実際に仕事をするとなると、
チームではない。
職員会議や前日の打ち合わせでなぜ言わないのか?
それに、自分の役割が明記されていても、
それに必要な物などを当日まで確認しない。
だから、総合部の準備が悪いと言われてしまう。
今回の全校遠足。
子どもたちにもっとこう動いて欲しいと思う場面が多々あった。
その原因を探ってみると、
明らかに職員の動き方に問題があるのだ。
例えば、
「6年生のリーダーシップを育むためにも、
学校から出したら、危険な場所(横断歩道や電車への乗車)
以外は極力手を貸さない。」
という方針があった。
だが、子どもたちは、時刻を聞いてくる。
歩道を広がって歩く。
班行動が乱れてくる。
その背景はこうだ。
職員が容易く時刻を教えている。
先頭を切って頻繁に整列指導する。
合同班になってしまう計画を立てさせている。
こんなんじゃあ、子どもたちは育たない。
職員へ浸透させることの難しさを知った。
2011年11月12日土曜日
行事の精選
ある日、管理職がふとこう言った。
「どうやったら放課後の時間を確保できるのかなあ」
答えは、実に明快だ。
放課後に行われる「物事」を減らせばよいのだ。
放課後に行われる物事は、会議や打ち合わせである。
それらは、何のために行われるのか。
それは、実施される「行事」のためである。
つまり、行事を減らせば放課後の時間が確保できると考える。
行事を精選する。
必要な行事と不必要な行事に分けていかなければならない。
横浜市で教員をしていて、不必要なのが「区」関連の行事。
区巡回書写展、区巡回図工展、区球技大会。
それぞれは、例年に則って行われるだろうが、
やるからには提案する人、準備する人、片付ける人がいる。
しかし、これらは「区」単位であるから、
なくすのなら、区全体の了解が必要である。
そこで、学校単独行事はそれらよりは融通が利く。
教員がスポンジに例えられたとしても、
スポンジにも水を含められる限界はある。
「校内図工作品展」
本校では毎年12月に開催される。
各学年が平面・立体の各個人作品を制作し、
体育館に一同に展示する。
図工ばかりする週が生じてしまう指導上の課題もあれば、
体育館の準備が大がかりだという問題もある。
私が不必要だと感じるのは、この行事の開催によって、
子どもたちに何をねらっているのかイマイチ不明確な点。
そして、ねらいを振り返る作業が行われていない点である。
「区教育研究会」
横浜市では、A研(教科)とB研(教科外)が、
それぞれ月1度行われる。
ある地方では、隔月開催。
このような取り組みがない自治体もある。
問題点は、研究するのは大いに結構なのだが、
その研究結果が各校に還元されていないという点。
区教育研究会は「出張」のため、全員参加。
だから、各校の教科・教科外担当が各校の代表者になる。
その代表者が各校に生かさなければならないのだが、
そんな時間がない。
形式上の研究会だ。
「ありがとうの会」(名称は各校様々)
PTA、地域、ボランティア等を招待して行われる感謝の会。
本校では今年度10月の開催であった。
この行事の問題点は2つ。
1点目は、教師の誘導による児童の強制提案である点。
2点目は、学校が下手になりすぎている点である。
要は、地域に媚びをうるための行事なのだ。
「会計の仕事」
各学年には会計担当がいる。
行事が多い学年になると、行事の特別会計を行う者を、
別に設ける学年主任もいる。
(ちなみに、今年度、私は行事会計担当)
予算執行計画、集金作業、支払業務、出納簿作成。
これら全てが、会計については「アマ」の教師が行う。
その取りまとめ役が、教頭・副校長である。
集金は担任がやった方が効率的なのだが、
殊「数字」に関することは、
明らかに事務職員の仕事であるのだと思うのだが。
仮に、学級担任が人と対峙する「営業」なのであるならば、
関係する費用の細かい業務は「経理」である。
事務職員の増員はあまり話題にならないが、
教師の仕事の負担を軽減する上では、重要な課題である。
ほんの一部だが、
やっぱり教師の仕事は必要以上に多いのである。
要は、仕事内容での住み分けが不十分なのだ。
「どうやったら放課後の時間を確保できるのかなあ」
答えは、実に明快だ。
放課後に行われる「物事」を減らせばよいのだ。
放課後に行われる物事は、会議や打ち合わせである。
それらは、何のために行われるのか。
それは、実施される「行事」のためである。
つまり、行事を減らせば放課後の時間が確保できると考える。
行事を精選する。
必要な行事と不必要な行事に分けていかなければならない。
横浜市で教員をしていて、不必要なのが「区」関連の行事。
区巡回書写展、区巡回図工展、区球技大会。
それぞれは、例年に則って行われるだろうが、
やるからには提案する人、準備する人、片付ける人がいる。
しかし、これらは「区」単位であるから、
なくすのなら、区全体の了解が必要である。
そこで、学校単独行事はそれらよりは融通が利く。
教員がスポンジに例えられたとしても、
スポンジにも水を含められる限界はある。
「校内図工作品展」
本校では毎年12月に開催される。
各学年が平面・立体の各個人作品を制作し、
体育館に一同に展示する。
図工ばかりする週が生じてしまう指導上の課題もあれば、
体育館の準備が大がかりだという問題もある。
私が不必要だと感じるのは、この行事の開催によって、
子どもたちに何をねらっているのかイマイチ不明確な点。
そして、ねらいを振り返る作業が行われていない点である。
「区教育研究会」
横浜市では、A研(教科)とB研(教科外)が、
それぞれ月1度行われる。
ある地方では、隔月開催。
このような取り組みがない自治体もある。
問題点は、研究するのは大いに結構なのだが、
その研究結果が各校に還元されていないという点。
区教育研究会は「出張」のため、全員参加。
だから、各校の教科・教科外担当が各校の代表者になる。
その代表者が各校に生かさなければならないのだが、
そんな時間がない。
形式上の研究会だ。
「ありがとうの会」(名称は各校様々)
PTA、地域、ボランティア等を招待して行われる感謝の会。
本校では今年度10月の開催であった。
この行事の問題点は2つ。
1点目は、教師の誘導による児童の強制提案である点。
2点目は、学校が下手になりすぎている点である。
要は、地域に媚びをうるための行事なのだ。
「会計の仕事」
各学年には会計担当がいる。
行事が多い学年になると、行事の特別会計を行う者を、
別に設ける学年主任もいる。
(ちなみに、今年度、私は行事会計担当)
予算執行計画、集金作業、支払業務、出納簿作成。
これら全てが、会計については「アマ」の教師が行う。
その取りまとめ役が、教頭・副校長である。
集金は担任がやった方が効率的なのだが、
殊「数字」に関することは、
明らかに事務職員の仕事であるのだと思うのだが。
仮に、学級担任が人と対峙する「営業」なのであるならば、
関係する費用の細かい業務は「経理」である。
事務職員の増員はあまり話題にならないが、
教師の仕事の負担を軽減する上では、重要な課題である。
ほんの一部だが、
やっぱり教師の仕事は必要以上に多いのである。
要は、仕事内容での住み分けが不十分なのだ。
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