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2012年9月18日火曜日

「誰が」叱るか

自分のクラスではない子が、目の前で悪さをしたとする。

さて、どうするか?

A:自分が話を聞き叱る。
B:担任などを呼んで複数対応する。

わたしは、無論「A」である。

なぜか。
目撃した人に叱られる方が、叱られる方も納得いくからだ。

見ていない人に同席されたって何の効果もない。
むしろ、叱られる方を晒し者にしている。
叱られる方にだって、守ってやらねばならないプライドがある。
それはもうズタズタだ。

ましてや、たかだか十数年生きているか生きていないかの子どもを、
いい年した大人が複数で囲むのである。状況を見てもいないのに。
一種の「いじめ」である。

見た人が叱る。
ドラえもんに出てくる「雷さん」がまさにそうだ。
決して、のび太の自宅までは行かない。

見てもいないのに、「担任だから」の理由で呼ばれても、
見てもいないのだから、叱る気になれない。

2011年11月27日日曜日

「叱る」我慢

クラスに30、40人子どもがいれば、
そりゃあ気持ちの切り替えがさっとできない子どもが何人かいる。
もちろん、私のクラスにもいる。

勤労感謝の日がちょうど中休みになり、
木曜日には「月曜日モード」の子どもがいた。
休みがあるのは嬉しいことだが、
こうなればなったで困ったものだ(笑)

そういう子どもがいた皆さんは、
一体、どのような対応・指導をなさっただろうか?
去年の私なら、間違いなく叱っていた。

今回は、私はふと叱るのを踏み止まった。
「叱ることで、授業に取り組むのか?」

叱ることで、その子どもが授業に集中する確信がなかった。

そこで聞いてみた。

T「昨日も試合だったの?」
C(うなずく)
T「試合で疲れちゃった?」
C(黙る)
T(ほほえむ)

これで、その子どもは、
ぱっと切り替えて授業に取り組み始めた。

これがプロの教師の仕事なんだなと思った。
叱らないで、お互い良い結果になるならそれでよい。

明日は月曜日。
同じように対応していきたいと思う。

2011年11月7日月曜日

何を叱るか

教師をやっている以上、褒めることが一番大事なのだが、
それでも叱らなければならないときがある。
叱られた子どもたちは嫌だろうが、
それ以上に教師も叱るのが嫌なのである。

私は、学習内容のできる・できないは絶対に叱らない。
この辺を「愛の鞭」だとか言って、叱る人がいる。
一気に子どもたちから信頼されなくなる。

私が叱るのは、「人として許せないこと」である。

話の内容が理解できないことを叱らないが、
話を聞く態度は叱る。

勉強していることをなかなか理解できないことを叱らないが、
学習用具が猶予があっても揃えられないときは叱る。

今の時代、
人として大事なことも学校で教えなければならないときがある。


どんなに叱ったあとでも、話が終わったら絶対にその話を繰り返さない。
一気に話題を変え、何事もなかったかのようにする。

私のクラスの子どもたちは、
私のそういった振る舞いを知っている。

だから、どんなに叱ったあとでも、
その後の休み時間はいつも通り私と接す。

去年、アンケートでこんなことを書いた子どもたちがいた。

「先生は、叱るときはしっかり叱るので好きです。」
「先生は怒るとちょっとアレだけど、普段は丁寧です。」

まあ、2つめはご愛敬で(笑)

叱るときに叱らない先生は、
叱られる対象ではない子どもから信頼されなくなる。

意外と子どもたちはしっかり見ているのだ。

2011年9月17日土曜日

叱ること

教師なら必ずしも叱らなければならない場面に出くわす。
そのときは、相当気分が重い。
叱られている子どもも気分が重いだろうが、
それと同じくらい、またはそれ以上に、教師の気分も重い。

でも、それも「仕事」だから仕方がないことだ。

子どもたちが社会に出たとき、どれだけ良識ある行動ができるか。
教師の指導こそ、そこにかかっていると思う。


叱り方が上手な教師と、そうでない教師がいる。

私は、くどくどと説教はしない。
ときには、授業時間を2時間分も潰して、説教する教師がいるから驚きだ。

私の叱り方はとにかく理詰めである。
関係ある人数が1人でも複数でも、方針は一緒だ。

軽いものについては、

T「いいことをしましたか?」
C「(首を横に振る)」
T「悪いことをしたと分かっているんですね?」
C「(首を縦に振る)」
T「じゃあ、次から気を付けなさい。」

これで終わる。
そうそう、繰り返すことはない。

私が絶対に言わないのは、

T「やられた人の気持ちを考えたことがありますか?」

という類の言葉である。

なぜか。
対象とした人の気持ちが分からないから、
そういうことをしてしまったからである。

しかも、教師自身、やられた子どもの気持ちを十分に把握している前提。
そんなの教師自身にも分かりっこないのである。

だから、善悪の判断を自分でさせる。
悪いことをしたと認めさせれば、その子どもとの約束にもなる。

叱る時間はなるべく短い方がいい。
長いと、子どもは「早く終わらないかなあ」と思っている。
私もそうだった。
皆さんもそうだったのではないだろうか。

ちなみに言うと、
「『怒る』は感情的で、『叱る』は指導だ。」とエラソウニに言う人に、私は嫌気がさす。
そんな定義はいいから、よりよい指導法を見つけろ!と言いたくなる。