学校にはたくさんの「主任」がいる。
教務主任、研究主任、学年主任、教科主任、領域主任、
安全主任、給食主任、視聴覚主任、生徒指導主任などなど。
主任以外にその仕事を担う人がいなくても(=たとえ1人でも)
「主任」がつく(笑)
現時点で考える主任の一番の仕事。
それは「スケジュール管理」だと考える。
『○月に~をする』『△月に提案する。』など、
日時と内容の大まかを把握し、動かすのが仕事だ。
先週のある日、私の都合で外国語活動の時間を変えてもらうよう、
外国語活動主任に相談し、了解を得た。
なのに、指導を担当する外国の先生には伝わっていない。
結局、私が連絡した。
こんなことも回らないのかと思ってしまった。
「主任」になったからには、4月初っ端に年間スケジュールを確認する。
基本的には、ノートで引き継がれる。
そして、理想的には2ヶ月先を考えて、動き出す。
「1ヶ月先」だと、どうしても慌ただしくなってしまう。
2ヶ月がいい。
その校務分掌の仕事を実際にするのは、主任中心でなくてよい。
スケジュール把握さえきちんとできていれば、
各部員に仕事を割り当てられるし、
部員外の職員にも協力をお願いできる。
「主任」の仕事とは、こういうことだと思っている。
2011年11月30日水曜日
「分数のたし算とひき算」を終えて(東書5下)
今日で「分数のたし算とひき算」の学習が終了。
問題数が多いため、テストを2日間に分けて行った。
教科書の問題数と比較すれば、
この業者テストを1単位時間でやれるのは、
問題解決学習で進めてきたクラスの優秀な子どもくらいだろう。
平均点は84.4点。
やはり、約分ミスが目立った。
「これは約分できそうだ。」という感覚を育てる必要があった。
しかし、業者テストの問題点は、
教科書の練習問題からジャンプする問題があるということだ。
22
―
42
計算すると、こうなる問題があった。(テスト)
教科書の練習問題には、このような問題はなかったと思う。
一方で、私自身「偶数は2で絶対に割り切れる」を徹底できなかった。
明日から、「四角形と三角形の面積」に入る。
第1時は平行四辺形を扱うが、
指導書では「四角形への変形」で1時間、
「平行四辺形の公式」で1時間である。
本当は一気にいきたいし、実際いけるのだが、
練習問題を扱うとなると悩む。
かれこれ、3日間ばかり、時数で悩んでいる。
公式まで一気に扱い、
練習問題にじっくり取り組ませるのも一つの手だとは思う。
教科書をこれからしつこいくらい見てみる。
問題数が多いため、テストを2日間に分けて行った。
教科書の問題数と比較すれば、
この業者テストを1単位時間でやれるのは、
問題解決学習で進めてきたクラスの優秀な子どもくらいだろう。
平均点は84.4点。
やはり、約分ミスが目立った。
「これは約分できそうだ。」という感覚を育てる必要があった。
しかし、業者テストの問題点は、
教科書の練習問題からジャンプする問題があるということだ。
22
―
42
計算すると、こうなる問題があった。(テスト)
教科書の練習問題には、このような問題はなかったと思う。
一方で、私自身「偶数は2で絶対に割り切れる」を徹底できなかった。
明日から、「四角形と三角形の面積」に入る。
第1時は平行四辺形を扱うが、
指導書では「四角形への変形」で1時間、
「平行四辺形の公式」で1時間である。
本当は一気にいきたいし、実際いけるのだが、
練習問題を扱うとなると悩む。
かれこれ、3日間ばかり、時数で悩んでいる。
公式まで一気に扱い、
練習問題にじっくり取り組ませるのも一つの手だとは思う。
教科書をこれからしつこいくらい見てみる。
2011年11月27日日曜日
「叱る」我慢
クラスに30、40人子どもがいれば、
そりゃあ気持ちの切り替えがさっとできない子どもが何人かいる。
もちろん、私のクラスにもいる。
勤労感謝の日がちょうど中休みになり、
木曜日には「月曜日モード」の子どもがいた。
休みがあるのは嬉しいことだが、
こうなればなったで困ったものだ(笑)
そういう子どもがいた皆さんは、
一体、どのような対応・指導をなさっただろうか?
去年の私なら、間違いなく叱っていた。
今回は、私はふと叱るのを踏み止まった。
「叱ることで、授業に取り組むのか?」
叱ることで、その子どもが授業に集中する確信がなかった。
そこで聞いてみた。
T「昨日も試合だったの?」
C(うなずく)
T「試合で疲れちゃった?」
C(黙る)
T(ほほえむ)
これで、その子どもは、
ぱっと切り替えて授業に取り組み始めた。
これがプロの教師の仕事なんだなと思った。
叱らないで、お互い良い結果になるならそれでよい。
明日は月曜日。
同じように対応していきたいと思う。
そりゃあ気持ちの切り替えがさっとできない子どもが何人かいる。
もちろん、私のクラスにもいる。
勤労感謝の日がちょうど中休みになり、
木曜日には「月曜日モード」の子どもがいた。
休みがあるのは嬉しいことだが、
こうなればなったで困ったものだ(笑)
そういう子どもがいた皆さんは、
一体、どのような対応・指導をなさっただろうか?
去年の私なら、間違いなく叱っていた。
今回は、私はふと叱るのを踏み止まった。
「叱ることで、授業に取り組むのか?」
叱ることで、その子どもが授業に集中する確信がなかった。
そこで聞いてみた。
T「昨日も試合だったの?」
C(うなずく)
T「試合で疲れちゃった?」
C(黙る)
T(ほほえむ)
これで、その子どもは、
ぱっと切り替えて授業に取り組み始めた。
これがプロの教師の仕事なんだなと思った。
叱らないで、お互い良い結果になるならそれでよい。
明日は月曜日。
同じように対応していきたいと思う。
行事 vs 日々
来月に区球技大会が控えている。
5年生の行事で、どうやらどの区でも行われているらしい。
なぜ「5年生」なのか?
6年生には体育大会があるからか?
たった数時間試合をしただけで、親睦が深まるのか?
こうでもしないと、技能が上がらないのか?
ねらいが達成されたかの検証は行われているのか?
謎だらけの行事であるが、
やるっていうんだから、やるしかない。
この行事やら運動会前になると「体育」の時間が増える。
だいたいの子どもたちにとっては問題なく、
一部の子どもたちは体育が多いと喜ぶ。
私が日々疑問なのは、それが「学校なのか」ということだ。
ある先生は、
「社会のこの単元は読んで終わりにするかな(笑)」
と言うときがある。
これは犯罪に近い。
経験がある人が言うのだから、なおさら悪い。
それならば、こういう体育の時間を減らせばいいのだ。
保護者はどちらの先生を信頼するだろう。
行事前は熱心に体育を行うが、
その分のしわ寄せが他教科に及び、
下手すれば読んで終わりの単元もある先生。
行事前の体育の時数はやや不足気味だが、
日々の授業はコンスタントに行い、
読んで終わりにしない先生。
私は絶対に後者だと思う。
前者のような先生は、絶対に
「一つの行事には、子どもたちの達成感を」
なんて決まり切ったことを言う。
そんなのは分かっている。
もちろん、行事も一生懸命、授業も一生懸命が理想なのだが。
少なくとも前者のような先生にはなりたくないし、
なるつもりもない。
このような「体育」や専科の関係で、
月曜日に自分がクラスで行う授業は、なんと1時間だ。
元々、その1時間さえも外国語活動にあてられるはずだった。
しかし、それではいけないと思い、
無理矢理外国語活動を翌日に移動してもらった。
火曜日には、外国語活動と国際理解教室が1時間ずつある。
それでも、月曜日に1時間授業をすることが大事だと判断した。
もちろん、その1時間は「算数」をする。
自分のカリキュラム・マネジメントの甘さを痛感する。
やはり、4月からの積み重ねが大事なのだ。
来年度の大きな目標ができた。
5年生の行事で、どうやらどの区でも行われているらしい。
なぜ「5年生」なのか?
6年生には体育大会があるからか?
たった数時間試合をしただけで、親睦が深まるのか?
こうでもしないと、技能が上がらないのか?
ねらいが達成されたかの検証は行われているのか?
謎だらけの行事であるが、
やるっていうんだから、やるしかない。
この行事やら運動会前になると「体育」の時間が増える。
だいたいの子どもたちにとっては問題なく、
一部の子どもたちは体育が多いと喜ぶ。
私が日々疑問なのは、それが「学校なのか」ということだ。
ある先生は、
「社会のこの単元は読んで終わりにするかな(笑)」
と言うときがある。
これは犯罪に近い。
経験がある人が言うのだから、なおさら悪い。
それならば、こういう体育の時間を減らせばいいのだ。
保護者はどちらの先生を信頼するだろう。
行事前は熱心に体育を行うが、
その分のしわ寄せが他教科に及び、
下手すれば読んで終わりの単元もある先生。
行事前の体育の時数はやや不足気味だが、
日々の授業はコンスタントに行い、
読んで終わりにしない先生。
私は絶対に後者だと思う。
前者のような先生は、絶対に
「一つの行事には、子どもたちの達成感を」
なんて決まり切ったことを言う。
そんなのは分かっている。
もちろん、行事も一生懸命、授業も一生懸命が理想なのだが。
少なくとも前者のような先生にはなりたくないし、
なるつもりもない。
このような「体育」や専科の関係で、
月曜日に自分がクラスで行う授業は、なんと1時間だ。
元々、その1時間さえも外国語活動にあてられるはずだった。
しかし、それではいけないと思い、
無理矢理外国語活動を翌日に移動してもらった。
火曜日には、外国語活動と国際理解教室が1時間ずつある。
それでも、月曜日に1時間授業をすることが大事だと判断した。
もちろん、その1時間は「算数」をする。
自分のカリキュラム・マネジメントの甘さを痛感する。
やはり、4月からの積み重ねが大事なのだ。
来年度の大きな目標ができた。
2011年11月20日日曜日
給食指導(報告)
http://kyouikunichikamichinashi.blogspot.com/2011/09/blog-post_5078.html
この記事での方法を継続している。
結果、前より食べる量が増えた。
極端に残ることもなくなった。
「減らしにいらっしゃい。」
で減らしたのに、
最後の5分間で、一口ずつランダムに配っていると、
ある子は減らしたおかずを欲しいと言う(笑)
わんこそばの要領で注いでやると、
男子はなんだか楽しいみたいだ(笑)
忘れてはならないのが「褒める」こと。
褒めて、爽やかな気分で「ごちそうさま」をしたい。
この記事での方法を継続している。
結果、前より食べる量が増えた。
極端に残ることもなくなった。
「減らしにいらっしゃい。」
で減らしたのに、
最後の5分間で、一口ずつランダムに配っていると、
ある子は減らしたおかずを欲しいと言う(笑)
わんこそばの要領で注いでやると、
男子はなんだか楽しいみたいだ(笑)
忘れてはならないのが「褒める」こと。
褒めて、爽やかな気分で「ごちそうさま」をしたい。
2011年11月19日土曜日
「分数のたし算とひき算」通分の指導(第3時・東書5下)
この単元は、通分さえ身に付けてしまえば怖くない。
シンプルに教え、練習問題を解くことで場数を増やし、
通分の仕方を確実に身に付けさせたい。
「1/2+1/3」は次の基本形で解かせる。
③ ②
1 1 3 2
- + - = - + -
2 3 6 6
4 ⑥
⑥
最後に「=5/6」を書いて完成。
分母の下に倍数を書いていく。
分子の上に何倍したかを書く。
この基本形だと、算数が苦手な子どもでも、
システムに則ってスムーズに解くことができる。
問題によっては、10行くらい書くこともあるが、
「たまにはね、たまには、こんな問題もあるんです。」
と言って、和やかな雰囲気をつくることが大事だ。
「何行になっても、絶対に答えが出せる方法です。」
と確実に答えが出せることも言っておく。
「最小公倍数を~」などと言うと、
とても堅苦しい学習時間になってしまう。
基本形をさっと教え、
練習問題で定着を図りたい。
シンプルに教え、練習問題を解くことで場数を増やし、
通分の仕方を確実に身に付けさせたい。
「1/2+1/3」は次の基本形で解かせる。
③ ②
1 1 3 2
- + - = - + -
2 3 6 6
4 ⑥
⑥
最後に「=5/6」を書いて完成。
分母の下に倍数を書いていく。
分子の上に何倍したかを書く。
この基本形だと、算数が苦手な子どもでも、
システムに則ってスムーズに解くことができる。
問題によっては、10行くらい書くこともあるが、
「たまにはね、たまには、こんな問題もあるんです。」
と言って、和やかな雰囲気をつくることが大事だ。
「何行になっても、絶対に答えが出せる方法です。」
と確実に答えが出せることも言っておく。
「最小公倍数を~」などと言うと、
とても堅苦しい学習時間になってしまう。
基本形をさっと教え、
練習問題で定着を図りたい。
全校遠足を終えて
昨日は、全校で遠足に行った。
たてわり班で活動する。
私は、今年度から教科外担当が
「総合的な学習の時間」(総合部)になったので、
実行委員担当として仕事をした。
総合部として、職員会議で2回提案をした。
子どもたちにこういう活動をさせたい、
ということも確認した。
もちろん不備はある。
それは来年度に生かす。
しかし、提案資料に明記され、
口頭でも確認したことが、なかなか職員に浸透しない。
当日の朝、「○○はどうなっているんですか?」
と何度聞かれたことか。
そりゃあ少しくらいはあるだろう。
だが多すぎる。
結局、担当外の職員はよく読んでいないのだ。
管理職はチームで云々言う。
職員の仲は良い方だと言う。
私もそれはそう思う。
だが、実際に仕事をするとなると、
チームではない。
職員会議や前日の打ち合わせでなぜ言わないのか?
それに、自分の役割が明記されていても、
それに必要な物などを当日まで確認しない。
だから、総合部の準備が悪いと言われてしまう。
今回の全校遠足。
子どもたちにもっとこう動いて欲しいと思う場面が多々あった。
その原因を探ってみると、
明らかに職員の動き方に問題があるのだ。
例えば、
「6年生のリーダーシップを育むためにも、
学校から出したら、危険な場所(横断歩道や電車への乗車)
以外は極力手を貸さない。」
という方針があった。
だが、子どもたちは、時刻を聞いてくる。
歩道を広がって歩く。
班行動が乱れてくる。
その背景はこうだ。
職員が容易く時刻を教えている。
先頭を切って頻繁に整列指導する。
合同班になってしまう計画を立てさせている。
こんなんじゃあ、子どもたちは育たない。
職員へ浸透させることの難しさを知った。
たてわり班で活動する。
私は、今年度から教科外担当が
「総合的な学習の時間」(総合部)になったので、
実行委員担当として仕事をした。
総合部として、職員会議で2回提案をした。
子どもたちにこういう活動をさせたい、
ということも確認した。
もちろん不備はある。
それは来年度に生かす。
しかし、提案資料に明記され、
口頭でも確認したことが、なかなか職員に浸透しない。
当日の朝、「○○はどうなっているんですか?」
と何度聞かれたことか。
そりゃあ少しくらいはあるだろう。
だが多すぎる。
結局、担当外の職員はよく読んでいないのだ。
管理職はチームで云々言う。
職員の仲は良い方だと言う。
私もそれはそう思う。
だが、実際に仕事をするとなると、
チームではない。
職員会議や前日の打ち合わせでなぜ言わないのか?
それに、自分の役割が明記されていても、
それに必要な物などを当日まで確認しない。
だから、総合部の準備が悪いと言われてしまう。
今回の全校遠足。
子どもたちにもっとこう動いて欲しいと思う場面が多々あった。
その原因を探ってみると、
明らかに職員の動き方に問題があるのだ。
例えば、
「6年生のリーダーシップを育むためにも、
学校から出したら、危険な場所(横断歩道や電車への乗車)
以外は極力手を貸さない。」
という方針があった。
だが、子どもたちは、時刻を聞いてくる。
歩道を広がって歩く。
班行動が乱れてくる。
その背景はこうだ。
職員が容易く時刻を教えている。
先頭を切って頻繁に整列指導する。
合同班になってしまう計画を立てさせている。
こんなんじゃあ、子どもたちは育たない。
職員へ浸透させることの難しさを知った。
2011年11月17日木曜日
中学校の授業
今日は、中学校の授業参観に行った。
「小中交流」で、学区の小学校が参観に来る。
年に一度の行事である。
世間一般には、中学2年生が「中だるみ」と呼ばれている。
2年生の担当となれば、おそらく口酸っぱく言うのだろう。
(私も、中2では言われてきた。)
ところが、一番落ち着きのないのが1年生だった。
参観者がいるという条件はあっても、
それは全学年共通であるから、関係ない。
落ち着かないのならまだよい。
何より驚いたのが、その落ち着きのない状態を、
授業をしている教師が放置しているということだ。
その教師は、子どもの言葉をほぼ聞き流し、
緩急のない常に大きな声で、
ある特定の生徒とのやり取りのみで授業をしている。
褒める言葉や励ます言葉などない。
たまに注意するくらいだ。
それも、年配の先生に多い。
若手の先生の授業の方が、遥かに落ち着いていた。
年配の先生は、教卓から一歩も動かない。
PCをTVにつないで授業をしている先生がおり、
一見、授業方法を工夫しているように思えたが、
意図がよく分からない用い方であった。
見かけ倒しだ。
そして、褒めない。
同じような状況が、自分のクラスでなっていたら、
私は間違いなく「崩壊予備軍」と称すだろう。
一方、若手の先生。
褒め言葉こそほぼない状態であったが、
問題を解くとなると、一生懸命に机間巡視をしていた。
一生懸命な感じが、生徒に伝わっているかもしれない。
そして、板書が年配の先生より丁寧であった。
一般的に考えて、
小学校の先生の方が、授業の上手さは上だと感じた。
「小中交流」で、学区の小学校が参観に来る。
年に一度の行事である。
世間一般には、中学2年生が「中だるみ」と呼ばれている。
2年生の担当となれば、おそらく口酸っぱく言うのだろう。
(私も、中2では言われてきた。)
ところが、一番落ち着きのないのが1年生だった。
参観者がいるという条件はあっても、
それは全学年共通であるから、関係ない。
落ち着かないのならまだよい。
何より驚いたのが、その落ち着きのない状態を、
授業をしている教師が放置しているということだ。
その教師は、子どもの言葉をほぼ聞き流し、
緩急のない常に大きな声で、
ある特定の生徒とのやり取りのみで授業をしている。
褒める言葉や励ます言葉などない。
たまに注意するくらいだ。
それも、年配の先生に多い。
若手の先生の授業の方が、遥かに落ち着いていた。
年配の先生は、教卓から一歩も動かない。
PCをTVにつないで授業をしている先生がおり、
一見、授業方法を工夫しているように思えたが、
意図がよく分からない用い方であった。
見かけ倒しだ。
そして、褒めない。
同じような状況が、自分のクラスでなっていたら、
私は間違いなく「崩壊予備軍」と称すだろう。
一方、若手の先生。
褒め言葉こそほぼない状態であったが、
問題を解くとなると、一生懸命に机間巡視をしていた。
一生懸命な感じが、生徒に伝わっているかもしれない。
そして、板書が年配の先生より丁寧であった。
一般的に考えて、
小学校の先生の方が、授業の上手さは上だと感じた。
魔法の言葉
小学校では、
今年度から新学習指導要領が本格実施された。
それに伴い、算数は3割内容増となった。
前の学年や中学校の内容が下りてきている。
学年相当か?という単元もあるが、
学習指導要領にある以上は教えなければならない。
そこで、私は
「大丈夫」「これはね、とっても簡単なんです」
などという言葉を意識して遣うようにしている。
教師は、これまでは上の学年にあったとか、
中学校の内容だったとかをよく知っている。
だから、単元の導入で思わず
「これは前、6年生でやっていたんだよなあ」
と言ってしまいそうである。
それを聞くと、子どもたちは「難しいんだ……」と
思うかもしれない。
「難しいけど、頑張るか」と思うかもしれない。
後者ならよいが、前者も絶対にいる。
そう思ってしまうと、
分かるはずの内容まで、分からなくなってしまう。
自分で壁を自然とつくってしまうのだ。
今、私は「分数のたし算とひき算」を教えている。
これは、6年生にあった内容だ。
しかし、そんなことは一切子どもに言っていない。
「この勉強はね、たし算・ひき算だからとっても簡単だよ。
だけどね、簡単だと思って丁寧さを抜くと、
たくさん間違えてしまうからね。」
私はこのように言った。
通分・約分ができれば、何のことはない単元である。
だから、簡単さを言いつつも、
丁寧さを抜かないように強調した。
授業では、基本的なたし算・ひき算や
教科書に書いてあることを問うときに、
「とっても簡単なことを聞きます。」
と言う。
これで、子どもたちはおおよその見当をつける。
冬休み明け、5年生の最難関単元と言われる
「百分率とグラフ」(割合だ)があるが、
この授業のときには、なおのこと
「これは5年生で一番難しいんだよ。」
とは言わないようにする。
教師の何気ない言葉を、
意外と子どもたちはしっかりと聞き、覚えているものだ。
今年度から新学習指導要領が本格実施された。
それに伴い、算数は3割内容増となった。
前の学年や中学校の内容が下りてきている。
学年相当か?という単元もあるが、
学習指導要領にある以上は教えなければならない。
そこで、私は
「大丈夫」「これはね、とっても簡単なんです」
などという言葉を意識して遣うようにしている。
教師は、これまでは上の学年にあったとか、
中学校の内容だったとかをよく知っている。
だから、単元の導入で思わず
「これは前、6年生でやっていたんだよなあ」
と言ってしまいそうである。
それを聞くと、子どもたちは「難しいんだ……」と
思うかもしれない。
「難しいけど、頑張るか」と思うかもしれない。
後者ならよいが、前者も絶対にいる。
そう思ってしまうと、
分かるはずの内容まで、分からなくなってしまう。
自分で壁を自然とつくってしまうのだ。
今、私は「分数のたし算とひき算」を教えている。
これは、6年生にあった内容だ。
しかし、そんなことは一切子どもに言っていない。
「この勉強はね、たし算・ひき算だからとっても簡単だよ。
だけどね、簡単だと思って丁寧さを抜くと、
たくさん間違えてしまうからね。」
私はこのように言った。
通分・約分ができれば、何のことはない単元である。
だから、簡単さを言いつつも、
丁寧さを抜かないように強調した。
授業では、基本的なたし算・ひき算や
教科書に書いてあることを問うときに、
「とっても簡単なことを聞きます。」
と言う。
これで、子どもたちはおおよその見当をつける。
冬休み明け、5年生の最難関単元と言われる
「百分率とグラフ」(割合だ)があるが、
この授業のときには、なおのこと
「これは5年生で一番難しいんだよ。」
とは言わないようにする。
教師の何気ない言葉を、
意外と子どもたちはしっかりと聞き、覚えているものだ。
2011年11月15日火曜日
教え残しを出さないために
今日、職員室で少しの間、進度について話題が出た。
算数は、4年生も6年生も
下巻に入っていないクラスがほとんどらしい。
我が5年生も、
隣のクラスが明日から下巻に入れるくらいで、
他1クラスはまだ上巻だ。
ちなみに、私のクラスは、
下巻で10時間目の授業を明日行う。
とはいっても、指導書通りの進度である。
(本当はもう少し早く進みたかった)
最新号『教室ツーウェイ』の特集の題は、
「分厚い新教科書・積み残しを出さない工夫(算数・理科編)」だ。
巨大教育雑誌で特集が組まれるほど、
積み残し・教え残しは全国的な課題なのであろう。
新学習指導要領の影響が大きい。
あと1ヶ月半で今年の授業が終わる。
そろそろ調整しないと、本当にまずいことになる。
ちなみに、私も反省がないわけではない。
国語(光村) やや遅れているが、今日から「大造じいさんとガン」。
まだ取り返せるし、そこまで焦るほどではない。
漢字も単元と同時並行で、スキルは下巻。
社会(光村) これが一番まずい。指導書より1ヶ月遅れだ。
社会科見学の都合で、「水産業」の前に「自動車工業」を行った。
明日から、「水産業」に入る。(秋のサンマが教科書に出てくる)
単元一つ一つの時数配当が多いので、
その辺を工夫して取り返したい。
算数(東書) 先にも触れた通り。現在「分数のたし算とひき算」
約分・通分が終わり、明日はいよいよたし算を指導する。
指導書通りの時間配分でいけば、
冬休みに入る3日前に12月配当の単元が終わる。
校内では進んでいる方の私のクラスでさえ、ギリギリである。
来年度は、教師達の意識もだいぶ変わるのではないかと思う。
算数は、4年生も6年生も
下巻に入っていないクラスがほとんどらしい。
我が5年生も、
隣のクラスが明日から下巻に入れるくらいで、
他1クラスはまだ上巻だ。
ちなみに、私のクラスは、
下巻で10時間目の授業を明日行う。
とはいっても、指導書通りの進度である。
(本当はもう少し早く進みたかった)
最新号『教室ツーウェイ』の特集の題は、
「分厚い新教科書・積み残しを出さない工夫(算数・理科編)」だ。
巨大教育雑誌で特集が組まれるほど、
積み残し・教え残しは全国的な課題なのであろう。
新学習指導要領の影響が大きい。
あと1ヶ月半で今年の授業が終わる。
そろそろ調整しないと、本当にまずいことになる。
ちなみに、私も反省がないわけではない。
国語(光村) やや遅れているが、今日から「大造じいさんとガン」。
まだ取り返せるし、そこまで焦るほどではない。
漢字も単元と同時並行で、スキルは下巻。
社会(光村) これが一番まずい。指導書より1ヶ月遅れだ。
社会科見学の都合で、「水産業」の前に「自動車工業」を行った。
明日から、「水産業」に入る。(秋のサンマが教科書に出てくる)
単元一つ一つの時数配当が多いので、
その辺を工夫して取り返したい。
算数(東書) 先にも触れた通り。現在「分数のたし算とひき算」
約分・通分が終わり、明日はいよいよたし算を指導する。
指導書通りの時間配分でいけば、
冬休みに入る3日前に12月配当の単元が終わる。
校内では進んでいる方の私のクラスでさえ、ギリギリである。
来年度は、教師達の意識もだいぶ変わるのではないかと思う。
2011年11月13日日曜日
授業時間を守るために
「授業時間」ラベルの一番最初の記事で、
授業時間を守ることについては触れた。
そのために、45分間の組み立てをし、
そして授業中は時間を気にしつつ授業をする。
なので、私は教室の後方の壁に、
もう1つ時計を掛けている。
前にも時計はある。
教師は、授業中、基本的に後方を向いている。
(=黒板を背にしている。)
いちいち体ごと振り返って時計を見ていたのでは、
動きが大きくて、子どもたちの思考を邪魔してしまう。
教師が時計をわざわざ見てしまうと、
どんなに賢い子どもでも、
「あ、あと○○分で終わりだ。休み時間にならないかなあ。」
と少しは考えるだろう。
だから、私は教室の後方に時計を掛けている。
これで、視線を子どもたちから大きく外さなくても、時間が分かる。
電波時計でも、1000円出せば手に入る。
授業時間を守ることについては触れた。
そのために、45分間の組み立てをし、
そして授業中は時間を気にしつつ授業をする。
なので、私は教室の後方の壁に、
もう1つ時計を掛けている。
前にも時計はある。
教師は、授業中、基本的に後方を向いている。
(=黒板を背にしている。)
いちいち体ごと振り返って時計を見ていたのでは、
動きが大きくて、子どもたちの思考を邪魔してしまう。
教師が時計をわざわざ見てしまうと、
どんなに賢い子どもでも、
「あ、あと○○分で終わりだ。休み時間にならないかなあ。」
と少しは考えるだろう。
だから、私は教室の後方に時計を掛けている。
これで、視線を子どもたちから大きく外さなくても、時間が分かる。
電波時計でも、1000円出せば手に入る。
2011年11月12日土曜日
行事の精選
ある日、管理職がふとこう言った。
「どうやったら放課後の時間を確保できるのかなあ」
答えは、実に明快だ。
放課後に行われる「物事」を減らせばよいのだ。
放課後に行われる物事は、会議や打ち合わせである。
それらは、何のために行われるのか。
それは、実施される「行事」のためである。
つまり、行事を減らせば放課後の時間が確保できると考える。
行事を精選する。
必要な行事と不必要な行事に分けていかなければならない。
横浜市で教員をしていて、不必要なのが「区」関連の行事。
区巡回書写展、区巡回図工展、区球技大会。
それぞれは、例年に則って行われるだろうが、
やるからには提案する人、準備する人、片付ける人がいる。
しかし、これらは「区」単位であるから、
なくすのなら、区全体の了解が必要である。
そこで、学校単独行事はそれらよりは融通が利く。
教員がスポンジに例えられたとしても、
スポンジにも水を含められる限界はある。
「校内図工作品展」
本校では毎年12月に開催される。
各学年が平面・立体の各個人作品を制作し、
体育館に一同に展示する。
図工ばかりする週が生じてしまう指導上の課題もあれば、
体育館の準備が大がかりだという問題もある。
私が不必要だと感じるのは、この行事の開催によって、
子どもたちに何をねらっているのかイマイチ不明確な点。
そして、ねらいを振り返る作業が行われていない点である。
「区教育研究会」
横浜市では、A研(教科)とB研(教科外)が、
それぞれ月1度行われる。
ある地方では、隔月開催。
このような取り組みがない自治体もある。
問題点は、研究するのは大いに結構なのだが、
その研究結果が各校に還元されていないという点。
区教育研究会は「出張」のため、全員参加。
だから、各校の教科・教科外担当が各校の代表者になる。
その代表者が各校に生かさなければならないのだが、
そんな時間がない。
形式上の研究会だ。
「ありがとうの会」(名称は各校様々)
PTA、地域、ボランティア等を招待して行われる感謝の会。
本校では今年度10月の開催であった。
この行事の問題点は2つ。
1点目は、教師の誘導による児童の強制提案である点。
2点目は、学校が下手になりすぎている点である。
要は、地域に媚びをうるための行事なのだ。
「会計の仕事」
各学年には会計担当がいる。
行事が多い学年になると、行事の特別会計を行う者を、
別に設ける学年主任もいる。
(ちなみに、今年度、私は行事会計担当)
予算執行計画、集金作業、支払業務、出納簿作成。
これら全てが、会計については「アマ」の教師が行う。
その取りまとめ役が、教頭・副校長である。
集金は担任がやった方が効率的なのだが、
殊「数字」に関することは、
明らかに事務職員の仕事であるのだと思うのだが。
仮に、学級担任が人と対峙する「営業」なのであるならば、
関係する費用の細かい業務は「経理」である。
事務職員の増員はあまり話題にならないが、
教師の仕事の負担を軽減する上では、重要な課題である。
ほんの一部だが、
やっぱり教師の仕事は必要以上に多いのである。
要は、仕事内容での住み分けが不十分なのだ。
「どうやったら放課後の時間を確保できるのかなあ」
答えは、実に明快だ。
放課後に行われる「物事」を減らせばよいのだ。
放課後に行われる物事は、会議や打ち合わせである。
それらは、何のために行われるのか。
それは、実施される「行事」のためである。
つまり、行事を減らせば放課後の時間が確保できると考える。
行事を精選する。
必要な行事と不必要な行事に分けていかなければならない。
横浜市で教員をしていて、不必要なのが「区」関連の行事。
区巡回書写展、区巡回図工展、区球技大会。
それぞれは、例年に則って行われるだろうが、
やるからには提案する人、準備する人、片付ける人がいる。
しかし、これらは「区」単位であるから、
なくすのなら、区全体の了解が必要である。
そこで、学校単独行事はそれらよりは融通が利く。
教員がスポンジに例えられたとしても、
スポンジにも水を含められる限界はある。
「校内図工作品展」
本校では毎年12月に開催される。
各学年が平面・立体の各個人作品を制作し、
体育館に一同に展示する。
図工ばかりする週が生じてしまう指導上の課題もあれば、
体育館の準備が大がかりだという問題もある。
私が不必要だと感じるのは、この行事の開催によって、
子どもたちに何をねらっているのかイマイチ不明確な点。
そして、ねらいを振り返る作業が行われていない点である。
「区教育研究会」
横浜市では、A研(教科)とB研(教科外)が、
それぞれ月1度行われる。
ある地方では、隔月開催。
このような取り組みがない自治体もある。
問題点は、研究するのは大いに結構なのだが、
その研究結果が各校に還元されていないという点。
区教育研究会は「出張」のため、全員参加。
だから、各校の教科・教科外担当が各校の代表者になる。
その代表者が各校に生かさなければならないのだが、
そんな時間がない。
形式上の研究会だ。
「ありがとうの会」(名称は各校様々)
PTA、地域、ボランティア等を招待して行われる感謝の会。
本校では今年度10月の開催であった。
この行事の問題点は2つ。
1点目は、教師の誘導による児童の強制提案である点。
2点目は、学校が下手になりすぎている点である。
要は、地域に媚びをうるための行事なのだ。
「会計の仕事」
各学年には会計担当がいる。
行事が多い学年になると、行事の特別会計を行う者を、
別に設ける学年主任もいる。
(ちなみに、今年度、私は行事会計担当)
予算執行計画、集金作業、支払業務、出納簿作成。
これら全てが、会計については「アマ」の教師が行う。
その取りまとめ役が、教頭・副校長である。
集金は担任がやった方が効率的なのだが、
殊「数字」に関することは、
明らかに事務職員の仕事であるのだと思うのだが。
仮に、学級担任が人と対峙する「営業」なのであるならば、
関係する費用の細かい業務は「経理」である。
事務職員の増員はあまり話題にならないが、
教師の仕事の負担を軽減する上では、重要な課題である。
ほんの一部だが、
やっぱり教師の仕事は必要以上に多いのである。
要は、仕事内容での住み分けが不十分なのだ。
2011年11月11日金曜日
1時間の重み
新学習指導要領が本格実施され、
授業1単位時間の大切さが、これまでより身に染みる。
今日、同学年の同僚と何気ない会話をしていたら、
算数も社会も1単元分、私のクラスの方が進んでいた。
別のクラスとは、算数は2単元弱分進んでいる。
週時数はもちろん一緒だ。
どんな行事が控えていようと、「子どもの達成感」を建前に、
学校の本分である授業時間が蔑ろにされてはならない。
その建前に、異様に体育の時間が増えたり、
学活の時間が増えたりしてはならない。
運動会は、どうしても他学級・他学年との兼ね合いもあるが、
極力授業時間は確保した。
算数だけは、やらない日がないように調整した。
横浜市は、(必要か不必要かは別として)行事が多い。
高学年になればなるほど多い。
まずは、この状態でいかに授業時間が確保されるか、
今年度だいぶ浮き彫りになるのではないかと思う。
そして、管理職は、「担任の裁量」だの「教師の腕」だのに
託けないで、行事の精選をしてほしい。
(行事の精選に関してはいつかまた…)
教師の仕事は、あくまで「授業」なのである。
授業1単位時間の大切さが、これまでより身に染みる。
今日、同学年の同僚と何気ない会話をしていたら、
算数も社会も1単元分、私のクラスの方が進んでいた。
別のクラスとは、算数は2単元弱分進んでいる。
週時数はもちろん一緒だ。
どんな行事が控えていようと、「子どもの達成感」を建前に、
学校の本分である授業時間が蔑ろにされてはならない。
その建前に、異様に体育の時間が増えたり、
学活の時間が増えたりしてはならない。
運動会は、どうしても他学級・他学年との兼ね合いもあるが、
極力授業時間は確保した。
算数だけは、やらない日がないように調整した。
横浜市は、(必要か不必要かは別として)行事が多い。
高学年になればなるほど多い。
まずは、この状態でいかに授業時間が確保されるか、
今年度だいぶ浮き彫りになるのではないかと思う。
そして、管理職は、「担任の裁量」だの「教師の腕」だのに
託けないで、行事の精選をしてほしい。
(行事の精選に関してはいつかまた…)
教師の仕事は、あくまで「授業」なのである。
2011年11月10日木曜日
漢字ノートを美しく書かせる方法
親は、漢字ノートを美しく書いてほしいと願う。
その思いとは逆に、子どもたちは早く終わらせたいと思う。
そこで、教師の赤ペンの腕の見せ所だ。
私は、ノートに褒め言葉しか書かない。
「うまい」「美しい」「きれい」「じょうず」
「すばらしい」「芸術品」「文句なし」
「うますぎる」「美しすぎる」「きれいすぎる」「じょうずすぎる」
「すばらしすぎる」「お手本のようだ」などなど。
この一言が嬉しくて、子どもたちはノートをきれいに書く。
だから、帰り際に係の子どもにノート返却をさせると、
ノートが返ってきた子どもたちはすかさずコメントを読む。
この一言が結構嬉しいのだ、と保護者からも教えていただいた。
汚いノートでも、ある1文字がきれいなら、
「この字がとてもきれい」
字が濃ければ
「こい字で見やすい」
マスに大きく書けていれば
「マスに大きく書いてあって読みやすい」
1週間もあれば、だいたいどの子どものノートもきれいになる。
あとは、授業時間に、
「漢字ノートをあれだけきれいに書ける人がいっぱいいるんだよね。
うわあ、○○さんのノートはきれいだなあ!」
と発すと、授業で使うノートもきれいに書くようになる。
その思いとは逆に、子どもたちは早く終わらせたいと思う。
そこで、教師の赤ペンの腕の見せ所だ。
私は、ノートに褒め言葉しか書かない。
「うまい」「美しい」「きれい」「じょうず」
「すばらしい」「芸術品」「文句なし」
「うますぎる」「美しすぎる」「きれいすぎる」「じょうずすぎる」
「すばらしすぎる」「お手本のようだ」などなど。
この一言が嬉しくて、子どもたちはノートをきれいに書く。
だから、帰り際に係の子どもにノート返却をさせると、
ノートが返ってきた子どもたちはすかさずコメントを読む。
この一言が結構嬉しいのだ、と保護者からも教えていただいた。
汚いノートでも、ある1文字がきれいなら、
「この字がとてもきれい」
字が濃ければ
「こい字で見やすい」
マスに大きく書けていれば
「マスに大きく書いてあって読みやすい」
1週間もあれば、だいたいどの子どものノートもきれいになる。
あとは、授業時間に、
「漢字ノートをあれだけきれいに書ける人がいっぱいいるんだよね。
うわあ、○○さんのノートはきれいだなあ!」
と発すと、授業で使うノートもきれいに書くようになる。
「図形の角」を終えて
今日、下巻最初の単元「図形の角」のテストをした。
平均点は、文句なしの93点!
子どもたちは大喜びだった。
しかし、平均点が90点を超えたものの、
ある程度の力をつけてあげられなかった1名がいた。
これではいけない。「全員」にこだわりたい。
授業場面で、「詰める」ことが少なかったと反省している。
授業時間に、適度に張りをもたせていきたい。
この単元は、「逐一指導」にならないように気を付けた。
四角形の内角の和が360°であることを学習するときに、
図形に対角線をひいて、三角形に分割する方法を学習する。
その後、五角形、六角形と多角形を同様にして求めていくが、
そのときに「前と同じようにやってごらん。」で、
問題解決の基本を教えた上で、自力解決をさせてみた。
(その辺の「問題解決学習」との大きな違いだ。)
そうすることで、進度のペースは安定するし、
子どもたちの応用力も養うことができる。
明日からは、分数のたし算とひき算だ。
心配されるのは計算ミス。
「丁寧さ」を詰めるように指導していきたい。
平均点は、文句なしの93点!
子どもたちは大喜びだった。
しかし、平均点が90点を超えたものの、
ある程度の力をつけてあげられなかった1名がいた。
これではいけない。「全員」にこだわりたい。
授業場面で、「詰める」ことが少なかったと反省している。
授業時間に、適度に張りをもたせていきたい。
この単元は、「逐一指導」にならないように気を付けた。
四角形の内角の和が360°であることを学習するときに、
図形に対角線をひいて、三角形に分割する方法を学習する。
その後、五角形、六角形と多角形を同様にして求めていくが、
そのときに「前と同じようにやってごらん。」で、
問題解決の基本を教えた上で、自力解決をさせてみた。
(その辺の「問題解決学習」との大きな違いだ。)
そうすることで、進度のペースは安定するし、
子どもたちの応用力も養うことができる。
明日からは、分数のたし算とひき算だ。
心配されるのは計算ミス。
「丁寧さ」を詰めるように指導していきたい。
2011年11月7日月曜日
何を叱るか
教師をやっている以上、褒めることが一番大事なのだが、
それでも叱らなければならないときがある。
叱られた子どもたちは嫌だろうが、
それ以上に教師も叱るのが嫌なのである。
私は、学習内容のできる・できないは絶対に叱らない。
この辺を「愛の鞭」だとか言って、叱る人がいる。
一気に子どもたちから信頼されなくなる。
私が叱るのは、「人として許せないこと」である。
話の内容が理解できないことを叱らないが、
話を聞く態度は叱る。
勉強していることをなかなか理解できないことを叱らないが、
学習用具が猶予があっても揃えられないときは叱る。
今の時代、
人として大事なことも学校で教えなければならないときがある。
どんなに叱ったあとでも、話が終わったら絶対にその話を繰り返さない。
一気に話題を変え、何事もなかったかのようにする。
私のクラスの子どもたちは、
私のそういった振る舞いを知っている。
だから、どんなに叱ったあとでも、
その後の休み時間はいつも通り私と接す。
去年、アンケートでこんなことを書いた子どもたちがいた。
「先生は、叱るときはしっかり叱るので好きです。」
「先生は怒るとちょっとアレだけど、普段は丁寧です。」
まあ、2つめはご愛敬で(笑)
叱るときに叱らない先生は、
叱られる対象ではない子どもから信頼されなくなる。
意外と子どもたちはしっかり見ているのだ。
それでも叱らなければならないときがある。
叱られた子どもたちは嫌だろうが、
それ以上に教師も叱るのが嫌なのである。
私は、学習内容のできる・できないは絶対に叱らない。
この辺を「愛の鞭」だとか言って、叱る人がいる。
一気に子どもたちから信頼されなくなる。
私が叱るのは、「人として許せないこと」である。
話の内容が理解できないことを叱らないが、
話を聞く態度は叱る。
勉強していることをなかなか理解できないことを叱らないが、
学習用具が猶予があっても揃えられないときは叱る。
今の時代、
人として大事なことも学校で教えなければならないときがある。
どんなに叱ったあとでも、話が終わったら絶対にその話を繰り返さない。
一気に話題を変え、何事もなかったかのようにする。
私のクラスの子どもたちは、
私のそういった振る舞いを知っている。
だから、どんなに叱ったあとでも、
その後の休み時間はいつも通り私と接す。
去年、アンケートでこんなことを書いた子どもたちがいた。
「先生は、叱るときはしっかり叱るので好きです。」
「先生は怒るとちょっとアレだけど、普段は丁寧です。」
まあ、2つめはご愛敬で(笑)
叱るときに叱らない先生は、
叱られる対象ではない子どもから信頼されなくなる。
意外と子どもたちはしっかり見ているのだ。
2011年11月2日水曜日
算数科における問題解決学習
今日、同じ学年のクラスに補欠で入り、テスト返却をした。
単元は「単位量あたりの大きさ」。
テストを返していて、つくづく問題解決学習はやらないと心に決めた。
まず、テストの平均点が、私のクラスと10点は開こうか。
50点未満がごろごろいるのである。
結局、子どもたちに力がついていないということである。
テストでは、いくらか数値が変わっているが、
基本的に問われていることは、教科書と一緒だ。
それなのに、テストの「問題」を「解決」「できていない」のである。
そして、授業の進度が遅くなる。
指導書の配当時間の1.5~2倍の時間がかかる。
教科書の内容3割増の新学習指導要領において、
時間がかかる、おまけに力がつかないのでは意味がない。
ちなみに、私のクラスとは9時間分違う。おおよそ1単元分だ。
単元は「単位量あたりの大きさ」。
テストを返していて、つくづく問題解決学習はやらないと心に決めた。
まず、テストの平均点が、私のクラスと10点は開こうか。
50点未満がごろごろいるのである。
結局、子どもたちに力がついていないということである。
テストでは、いくらか数値が変わっているが、
基本的に問われていることは、教科書と一緒だ。
それなのに、テストの「問題」を「解決」「できていない」のである。
そして、授業の進度が遅くなる。
指導書の配当時間の1.5~2倍の時間がかかる。
教科書の内容3割増の新学習指導要領において、
時間がかかる、おまけに力がつかないのでは意味がない。
ちなみに、私のクラスとは9時間分違う。おおよそ1単元分だ。
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