2012年10月2日火曜日

専科の指導力

今や、小学校では「専科」が当たり前の存在になった。
自治体や学校によっての違いはあるが、
「理科」「音楽」「図工」「家庭」が多いのではないだろうか。

私は、専科ではないが、学年の理科を担当している。

私は、一度でも自分の授業時間で起こった他クラスの(ちょっとした)問題を、
学級担任に不満として漏らしたことはない。

なぜなら、その時間の責任は、全て私にあるからだ。

そのときできなかったのは、私の指導力不足が原因である。
ただそれだけ。他に依るところなどあるわけがない。

委員会活動やクラブ活動の指導でも、同様だ。
報告ならするかもしれないが、それを学級担任のせいにはしない。

しかし、教え方が下手な教師に限って、責任を学級担任になすりつける。
授業がおもしろくないから、そういう状況になる。
おもしろくなかったとしても、躾ができればそういう状況にはならない。
(私は、専ら後者だ。これはこれで課題である。)

そんな学級担任のせいにするのなら、専科をやめればいい。
学級担任に戻ればいい。専科としての仕事が成り立っていないのだから。


それに、こんな教師がいる。

担任が見ていないところで、トラブルが起こったとする。
それを、別の教師が見ていたとする。

そうすれば、その教師だけが指導をすればいいのだ。

そこで「複数対応だ」と、訳の分からないことを言って、
担任やら、学年の教師やら、同じフロアの教師やらを呼ぶ教師がいる。

私は、それに巻き添えをくらい、5対1の状況に「いさせられた」ことがある。

1対1でも、教師と子どもなのだから、教師が有利に決まっている。
それを5対1にまでするのだ。明らかに教育的配慮を欠いている。
これはもはや「指導」ではない。「拷問」だ。

この「複数対応」を声高々に言う教師は決まっている。

授業が下手な教師。
褒めない教師。
趣意のないルールをつくる教師。
一部の学級担任ではない教師。

問題を起こした子にだって、プライドはある。
担任に見られていないのなら、担任に知られたくないのだ。

相手は、たかだか生まれてこの方、十数年しか生きていない子どもである。

それを警察ではあるまいし、執拗に「指導」という建前で、取り調べをしている。

私には、全く理解できない。
私が管理職なら、保護者に「やり過ぎだ」と言われれば、
「そんなことはありません」と、突っぱねる自信はない。

私は一度としてこの複数対応をしたことがない。

私が目撃したのなら、私が状況を把握して、事実を確認し、
必要であれば謝らせるなどの指導をする。
たまに複数対応が頭にある一部の教師が寄ってくるが、
私はその人たちに話を一切振らない。

子どもだって、状況を知らない人にあーだこーだ言われても納得いかないだろう。

私だって、その場を見ていないのに、「先生、何かありますか?」と話を振られても、
心のこもった指導はできない。
そのときの何がいけなかったのかが分からないのだから当然だ。

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