今や、小学校では「専科」が当たり前の存在になった。
自治体や学校によっての違いはあるが、
「理科」「音楽」「図工」「家庭」が多いのではないだろうか。
私は、専科ではないが、学年の理科を担当している。
私は、一度でも自分の授業時間で起こった他クラスの(ちょっとした)問題を、
学級担任に不満として漏らしたことはない。
なぜなら、その時間の責任は、全て私にあるからだ。
そのときできなかったのは、私の指導力不足が原因である。
ただそれだけ。他に依るところなどあるわけがない。
委員会活動やクラブ活動の指導でも、同様だ。
報告ならするかもしれないが、それを学級担任のせいにはしない。
しかし、教え方が下手な教師に限って、責任を学級担任になすりつける。
授業がおもしろくないから、そういう状況になる。
おもしろくなかったとしても、躾ができればそういう状況にはならない。
(私は、専ら後者だ。これはこれで課題である。)
そんな学級担任のせいにするのなら、専科をやめればいい。
学級担任に戻ればいい。専科としての仕事が成り立っていないのだから。
それに、こんな教師がいる。
担任が見ていないところで、トラブルが起こったとする。
それを、別の教師が見ていたとする。
そうすれば、その教師だけが指導をすればいいのだ。
そこで「複数対応だ」と、訳の分からないことを言って、
担任やら、学年の教師やら、同じフロアの教師やらを呼ぶ教師がいる。
私は、それに巻き添えをくらい、5対1の状況に「いさせられた」ことがある。
1対1でも、教師と子どもなのだから、教師が有利に決まっている。
それを5対1にまでするのだ。明らかに教育的配慮を欠いている。
これはもはや「指導」ではない。「拷問」だ。
この「複数対応」を声高々に言う教師は決まっている。
授業が下手な教師。
褒めない教師。
趣意のないルールをつくる教師。
一部の学級担任ではない教師。
問題を起こした子にだって、プライドはある。
担任に見られていないのなら、担任に知られたくないのだ。
相手は、たかだか生まれてこの方、十数年しか生きていない子どもである。
それを警察ではあるまいし、執拗に「指導」という建前で、取り調べをしている。
私には、全く理解できない。
私が管理職なら、保護者に「やり過ぎだ」と言われれば、
「そんなことはありません」と、突っぱねる自信はない。
私は一度としてこの複数対応をしたことがない。
私が目撃したのなら、私が状況を把握して、事実を確認し、
必要であれば謝らせるなどの指導をする。
たまに複数対応が頭にある一部の教師が寄ってくるが、
私はその人たちに話を一切振らない。
子どもだって、状況を知らない人にあーだこーだ言われても納得いかないだろう。
私だって、その場を見ていないのに、「先生、何かありますか?」と話を振られても、
心のこもった指導はできない。
そのときの何がいけなかったのかが分からないのだから当然だ。
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