近年、授業のユニバーサル・デザイン化が進み、
一昔前とは異なる学級経営が推奨されてきている。
もちろん、メリットばかりではない。
言葉の意味を履き違え、デメリットになるものもあるから、注意しなければならない。
さて、勤務校では、タイトルにあるように、
「子ども同士は注意しない」というルール(?)がある。
肯定的に捉えてみる。
いつまでもうるさい子、列に並ばない子など、
そういう子がいると、一番迷惑がっているのは教師ではなく、
そのお隣の子である。
そういう子が、
「おい!うるせーよ」とか
「おい!早く並べよ」とか、命令口調だと、ケンカに発展することは、
想像に容易い。
だから、「子ども同士は注意しない」というルールが生まれる。
一方で、否定的に捉えてみる。
「注意しない」が前面に出ると、
「自分のことだけきちんとしていればよい」という、
集団生活にあってはならない意識が定着してしまう虞がある。
「うるさいから、注意したいけど、注意しちゃダメなルールだから……」
こうでもなれば、教師が隅から隅まで眼を血眼にして見なくてはならない。
これでは、自分たちで自分たちの生活をよりよくつくっていくという、
集団生活における教育の最大の効果が発揮されず、
他人に無関心な態度を育んでしまう。
どちらも一理ある。
ただでさえ、世間は他人に無関心になってきたから、
「子ども同士は注意しない」の一点張りではダメなのだ。
だから、クラスの子たちには、
「声を掛け合いなさい」とか
「気付かせてあげなさい」とか言うことにしている。
その上で、「命令・禁止形」はダメだということを伝えている。
それでもなお、態度を改めない場合は教師が登場、というようにしている。
視点を変えれば、「子ども同士は注意しない」はルールの文言としてふさわしくない。
この文言そのものが、「特別支援」からはかけ離れている。
特別支援を要する子は、「注意しない」は理解できるが、
では、どういう行動を自分から起こせばよいのか分からない。
「友だちには、○○してね、というように優しい言葉遣いで話します。」
など、「しない」ではなく、肯定的な行動を示すべきなのである。
簡単な例でいえば、
「登校後は、ランドセルの中身をすぐにしまいます。」
「登校後は、ランドセルの中身をしまわないで遊んではいけません。」
というところだろうか。
特別支援コーディネーターを中心に、各校で特別支援に関する情報が出されると思うが、
文言を今回の記事のような視点でも見、鵜呑みをしないことも大切である。
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