2012年10月14日日曜日

「子ども同士は注意しない」の是非

近年、授業のユニバーサル・デザイン化が進み、
一昔前とは異なる学級経営が推奨されてきている。

もちろん、メリットばかりではない。
言葉の意味を履き違え、デメリットになるものもあるから、注意しなければならない。

さて、勤務校では、タイトルにあるように、
「子ども同士は注意しない」というルール(?)がある。


肯定的に捉えてみる。

いつまでもうるさい子、列に並ばない子など、
そういう子がいると、一番迷惑がっているのは教師ではなく、
そのお隣の子である。

そういう子が、
「おい!うるせーよ」とか
「おい!早く並べよ」とか、命令口調だと、ケンカに発展することは、
想像に容易い。

だから、「子ども同士は注意しない」というルールが生まれる。


一方で、否定的に捉えてみる。

「注意しない」が前面に出ると、
「自分のことだけきちんとしていればよい」という、
集団生活にあってはならない意識が定着してしまう虞がある。

「うるさいから、注意したいけど、注意しちゃダメなルールだから……」

こうでもなれば、教師が隅から隅まで眼を血眼にして見なくてはならない。

これでは、自分たちで自分たちの生活をよりよくつくっていくという、
集団生活における教育の最大の効果が発揮されず、
他人に無関心な態度を育んでしまう。


どちらも一理ある。

ただでさえ、世間は他人に無関心になってきたから、
「子ども同士は注意しない」の一点張りではダメなのだ。

だから、クラスの子たちには、
「声を掛け合いなさい」とか
「気付かせてあげなさい」とか言うことにしている。

その上で、「命令・禁止形」はダメだということを伝えている。

それでもなお、態度を改めない場合は教師が登場、というようにしている。


視点を変えれば、「子ども同士は注意しない」はルールの文言としてふさわしくない。
この文言そのものが、「特別支援」からはかけ離れている。

特別支援を要する子は、「注意しない」は理解できるが、
では、どういう行動を自分から起こせばよいのか分からない。

「友だちには、○○してね、というように優しい言葉遣いで話します。」

など、「しない」ではなく、肯定的な行動を示すべきなのである。


簡単な例でいえば、

「登校後は、ランドセルの中身をすぐにしまいます。」
「登校後は、ランドセルの中身をしまわないで遊んではいけません。」

というところだろうか。

特別支援コーディネーターを中心に、各校で特別支援に関する情報が出されると思うが、
文言を今回の記事のような視点でも見、鵜呑みをしないことも大切である。

0 件のコメント:

コメントを投稿