2012年10月31日水曜日

係活動のアイディア

係活動は、クラスの「文化」である。
だから、どんな係があってもいい。
私は、クラスで係の活動の条件を2つ出している。

①お金をかけないこと。

②誰か1人でも嫌な思いをすることがないこと。

これさえ守れればいい。
TV番組と同じで、「あったらいいな」であり、
興味のある子がその活動に加わればいい。

後期、29の係ができた。
前期は22。まさか増えるとは思わなかった。しかも7つもである。

今回もアイディアを私からもいくつか出した。

子どもたちの反応が良かったのが「ギネス係」だ。

何でもいいから、クラスの最高記録をためていくのである。
クラスで試しにやってみたのは、

◎定規なしで25cmの直線をひける

◎一番声を長く出し続けられる

である。
そんなことでいいんだ!という感じだ。
そう、こんなことかもしれないが、こんなことが案外楽しいのである。

2012年10月27日土曜日

「資料の調べ方」表に整理する(東書6下)

指導書第4時。

表に「正」の字を書いて整理していく内容だ。
作業自体は簡単だが、ミスが連発することが予想される。

表を読む。「①は53gだ」
「正」の字を書き入れる。「一」
表を消す。「×①53g」
表を読む。「②は……」

という具合に、往復運動を徹底させた。

「学習なのだから、方法も勉強しましょう。」
と趣意説明。

この内容は、算数の中でも比較的平易な内容である。
こういう内容は、もったいないミスが出る。
だからこそ、学習方法を徹底させる。
それが教師の仕事だ。

みんなが熱中「化石」の授業

6年生の理科で「化石」が出てくる。
標本を観察することになっているが、
さらに体験的な授業にすることができる。

栃木県「木の葉化石園」では学校向けに化石の原石を販売している。
5個入り1袋が500円である。
詳しくはホームページを参照してほしい。

これをマイナスドライバー(平たがね)とハンマーで割っていく。
そうすると、木の葉の化石が出てくる。

「原石」なので、中には化石が含まれていないものもある。
全体的に灰色のものは入っていないようだ。

「原石」なので、1つの原石からいくつも化石が出ることもある。


理科が好きな男子。
博物館で購入したと思われる、比較的安価な化石セットを持参した。
「持ってきていいですか?」と聞かれたので、
「参考になるから、ぜひ持ってきて」と答えた。
サメの歯、三葉虫、アンモナイトなど、小さな化石セットだ。
(本人曰く、1000円もしないという。確かに小さなものは安い)

今日、その化石セットを授業で見せたので、「持って帰ったら?」と聞いたら、
「今日(金曜日)は、荷物がいっぱいあるから、月曜日にする。」と言う。

それよりも、自分で原石を割って得た化石を大事そうに持って帰った。
その化石も、葉が1枚完全な姿ではない。半分以下の葉だ。
それでも、「これは持って帰る」と言って、手に握って下校した。

どんなに立派な化石セットより、
たとえ不格好でも、自分の手で得た化石の方が「宝物」なのだ。

理科を教えている者として、非常に嬉しくなった。

2012年10月24日水曜日

今日の体育の授業(体育館)

体育では、「運動量」の確保が絶対だ。

今日は、体育館での体育を行った。
「バスケットボール」の導入であるが、様々な動きを取り入れる。
開始20分後、ある男の子の赤白帽子は、
夏に外にいたのではというくらい、汗で色が濃くなっていた。

1 ジョギング2周

2 ダッシュ1周

3 体育館の縦を、行きダッシュ、帰りもダッシュ

4 行きスキップ、帰りダッシュ(以降帰りダッシュは共通)

5 行きうさぎ跳び

6 行きかえる跳び

7 行き四つ脚歩行

8 行きサイドステップ

9 行き「8」とは逆向きのサイドステップ

10 行きほふく前進

11 なわとび・前跳び

12 後ろ跳び

13 駆け足跳び 

14 前あや跳び

15 後ろあや跳び

16 前交差跳び

17 後ろ交差跳び

18 二重跳び

19 男女対抗二重跳びリレー

20 ドリブル・座ったまま・右手

21 左手

22 ドリブル・立って・右手

23 左手

24 ボールキャッチ・投げるだけ

25 床にバウンドさせてからキャッチ

26 1回転キャッチ

27 ゴール・板当てラリー

28 リング当てラリー

29 チーム対抗シュートゲーム・1人1つボール

30 チーム5つのボールで(この辺から「パス」が生まれる)

31 チーム3つのボールで

32 チーム1つのボールで

もうヘトヘトになり、「脚がパンパン」と言われた。
テンポ良く、指示を短く、どんどん運動させる。

2012年10月23日火曜日

「比例と反比例」の指導を終えて(東書6下)

今日で、「比例と反比例」を終えた。
明日からは、「資料の特ちょうを調べよう」に入る。
隣のクラスとは16時間ほど進んでいる。

テストの平均は95.3点(今年クラス最高記録!)

以前の教科書では、「比例」と「反比例」で単元が別であった。
どうせ、中学校に入ったらまた学習することである。
スモールステップで習ったことを確実にテストに反映させたい。

だから、今回も、「比例」を終えてテスト、
「反比例」を終えてテストというようにした。

この単元、比例定数がなぜ必要かとか、
比例定数とはこのようなものだということは出てこない。
東書の教科書も「問題解決的学習」に寄っているが、
ここまでは出てこない。

この比例定数に限らず、
算数の中には、仕組みそのものを知る必要のないことはかなりある。
向山氏は
「向山は、電気のつけ方は知っているが、電気がつく仕組みは知らない。」
というような例えをしたそうだ。

明日から入る単元は、導入のページが雑多な感じがする。
聞いていることは実にシンプルなのだが、非常に見にくい。
だから、簡単な表をこちらから提示し、表にまとめる作業を中心に進める。

2012年10月22日月曜日

道徳「少年の夢」

イチロー選手(本名:鈴木一朗)の小学校6年生のときの作文を用いた。
この作文は有名で、インターネットで探せばすぐに出てくる。

向山洋一・板倉弘幸編『小学校6年・教え方の基礎基本小事典』に直筆の資料がある。

「みんなの将来の夢はなんですか?
職業でもいいし、こんな人になりたいでもいいですよ。」

ここは簡単に発表させる。

「では、ある少年の作文を読みます。小学校6年生、みんなと一緒です。」

読み聞かせる。

「感想を書きなさい。」

感想をお隣や班と読み合わせる。
列指名で発表させる。

「この少年の夢は叶うでしょうか?それとも叶わないでしょうか?
予想します。もちろん、当てずっぽうでいいんですよ。」

わたしのクラスでは「叶う」という子が多かった。

「実は、この人です。」

もったいぶりながら、イチロー選手の写真を下から少しずつ見せる。
2012年に背番号が「51」から「31」に変わった。

「この作文を書いた人が、イチロー選手だと知っての感想を書きなさい。」

先ほどと同様。読み合わせた後、列指名で発表させる。

「イチロー選手が好きな言葉があります。」

  (     )は力なり。

わたしのクラスでは、誰一人知らなかったようだ。(これはこれで驚き)
しかし、「努力」「自信」などいい言葉は出る。

  ( 継 続 )は力なり。

イチロー選手の逸話を紹介する。

==========
イチロー選手は、スポーツだけが得意なだけではありませんでした。
お勉強の成績も優秀だったそうです。
中学校では、ほとんどの教科で「5」をとったとのことです。
有名な大学に行くよう言われたこともあるそうです。
==========

「授業の感想を書きなさい。」

最後にこういうことを付け加えた。

==========
イチロー選手のように、幼い頃から夢をもち、叶える人もいます。
しかし、人生の中で、色々な人や出来事と出会い、
中学生や高校生、またはその後になって夢が変わり、
そして叶える人もいます。
大事なのは、夢が決まったそのときから、努力することです。
だから、今、はっきりと夢が決まっていない人も焦らなくていいんですよ。
ただし、夢が決まったら、できるときに、できることを、できるだけやりましょう。
==========

最後の「できるときに~」は、大縄の練習のときからの口癖になりつつある。

授業を終えての感想では、自分自身もがんばりたいというものが多かった。
中に、女の子で1人、「またこういう授業をうけたい」という子がいた。

2012年10月21日日曜日

「柿山伏」指導計画(全4時間)(光村6)

こういう単元が、新しい教科書ならではである。
こういうところは、スマートにこなし、
授業時間としては軽重の「軽」にして、調整を図りたい。


第1時

「伝えられてきたもの」を読み、伝統文化を知る。
「柿山伏」のCDを聞く。


第2時

「柿山伏」のCDを聞く。(続き)
場面分けをし、グループで、発表したい場面を選ぶ。


第3時

音読練習
棒読みなら「△」、朗読なら「○」、狂言のように読めたら「◎」、
狂言のように読め、動きもつけられたら「はなまる」を伝える。


第4時

発表会
(余裕があれば)秋の俳句をつくる

2012年10月14日日曜日

「子ども同士は注意しない」の是非

近年、授業のユニバーサル・デザイン化が進み、
一昔前とは異なる学級経営が推奨されてきている。

もちろん、メリットばかりではない。
言葉の意味を履き違え、デメリットになるものもあるから、注意しなければならない。

さて、勤務校では、タイトルにあるように、
「子ども同士は注意しない」というルール(?)がある。


肯定的に捉えてみる。

いつまでもうるさい子、列に並ばない子など、
そういう子がいると、一番迷惑がっているのは教師ではなく、
そのお隣の子である。

そういう子が、
「おい!うるせーよ」とか
「おい!早く並べよ」とか、命令口調だと、ケンカに発展することは、
想像に容易い。

だから、「子ども同士は注意しない」というルールが生まれる。


一方で、否定的に捉えてみる。

「注意しない」が前面に出ると、
「自分のことだけきちんとしていればよい」という、
集団生活にあってはならない意識が定着してしまう虞がある。

「うるさいから、注意したいけど、注意しちゃダメなルールだから……」

こうでもなれば、教師が隅から隅まで眼を血眼にして見なくてはならない。

これでは、自分たちで自分たちの生活をよりよくつくっていくという、
集団生活における教育の最大の効果が発揮されず、
他人に無関心な態度を育んでしまう。


どちらも一理ある。

ただでさえ、世間は他人に無関心になってきたから、
「子ども同士は注意しない」の一点張りではダメなのだ。

だから、クラスの子たちには、
「声を掛け合いなさい」とか
「気付かせてあげなさい」とか言うことにしている。

その上で、「命令・禁止形」はダメだということを伝えている。

それでもなお、態度を改めない場合は教師が登場、というようにしている。


視点を変えれば、「子ども同士は注意しない」はルールの文言としてふさわしくない。
この文言そのものが、「特別支援」からはかけ離れている。

特別支援を要する子は、「注意しない」は理解できるが、
では、どういう行動を自分から起こせばよいのか分からない。

「友だちには、○○してね、というように優しい言葉遣いで話します。」

など、「しない」ではなく、肯定的な行動を示すべきなのである。


簡単な例でいえば、

「登校後は、ランドセルの中身をすぐにしまいます。」
「登校後は、ランドセルの中身をしまわないで遊んではいけません。」

というところだろうか。

特別支援コーディネーターを中心に、各校で特別支援に関する情報が出されると思うが、
文言を今回の記事のような視点でも見、鵜呑みをしないことも大切である。

2012年10月13日土曜日

反比例の導入(東書6下)

昨日から「反比例」の学習に入った。(第10時)

反比例の導入は、比例の判別から入るとよい。

向山洋一・板倉弘幸『小学校6年・教え方の基礎基本小事典』pp.86-89、明治図書、2001

この著書に詳しい。

最後の問題が反比例になっている。
比例ではないから「×」

そこで、
「表を見て、気付いたことを1つ書きなさい。書けたら見せにいらっしゃい。」

と言うと、
「xが2倍になっているとき、yは2倍になっていない。」
「xが2倍になっているとき、yは1/2倍になっている。」

などと出る。

全体で確認する。

これで反比例の定義を押さえる。

45分の授業であれば、第11時まで2時間分を1時間でできるだろう。
昨日は、都合、算数の時間が30分だったから、第10時分で終了した。

中には、
「x×yをすると24になる。」
という関係式に気付く子もいる。

そういう子の意見は、第12時「反比例の式」で登場するから、
そのときに取り上げるとよい。

2012年10月11日木曜日

ドンジャンケンの紹介

昨年、TOSS横浜の体育セミナーで、渡辺喜男氏が紹介していた。

校庭に適当なラインを1本ひく。
両端には男女がそれぞれ1列になる。
中央に向かって走る。
出会ったところで「ドーン」と言い手のひらをパチンと合わせ、じゃんけんをする。
勝った方が先に進める。
負けた方は、次の人が走ってくる。
先に相手の陣地に踏み込んだ方が勝ちである。

男女が自然と手を合わせるので、クラス作りに大いに役立つ。
そして、応援する子どもも盛り上がる。
負けたらすぐ出発しなければならないから、集中もする。

注意点は1つである。
陣地に入った入らないの判定は、教師が行うことである。
もうそろそろかなというところで、
「あと1人!」とか「あと2人!」とか基準を宣言する。

ラインを明確に定めれば、もちろん体育館でもできる。
校庭であれば、ラインを曲線にしたバリエーションもできる。

2012年10月10日水曜日

「なわとび」の指導は暖かいうちに始める

勤務校では9月下旬に運動会があった。

そして、6年生は10月の来週に市の体育大会があるから、
運動会が終わるとそれに向けて、演技や大会歌の練習が始まる。

その練習も終盤になり、通常の体育ができるようになってきた。

今年は、例年より早く、この時期からなわとびを始める。(今日が初日)

理由は、縄が体に当たっても痛くないからである。
真冬になってから始めると、体に当たったときに地味に深い痛みを感じる。

秋の気候が心地よい今なら、体にあたってもそうそう痛くはない。

2012年10月9日火曜日

「生き物はつながりの中に」(光村6)の指導を終えて

単元を入れ替えていたので、この単元がこの時期であった。

説明的文章は、とにかく文章の構造と、「問い―答え」を基本としている。

今回、「筆者の主張は何段落か」という学習で、非常に知的な展開となった。

読めば明らかで、「第7段落」である。
しかし、ここから一歩踏み込んで、「根拠」を問う。
つまり、どの言葉から判断したのかということだ。
言葉を問うてこそ、「国語」なのである。

「~きませんか?」という「問いかけ」があるから第7段落だ、
という意見が多かった。

そこで切り返す。
「第1段落、そして第2段落にも問いかけがありますが、
そうすると、この2つの段落も主張ですね。」

※第1段落=「イヌ型ロボットを知っていますか。」
※第2段落=「イヌとイヌ型ロボットは同じでしょうか。」(←うろ覚え)

子どもたちは、あれこれ考える。
私の言ったことに対して、
「いや、そうじゃないんだけど、なんっていうか、その……」
という状態である(笑)

時間がきて聞いてみると、なるほど!と思えるものが2つ出た。


【その1】文章の構造に着目

第1段落と第2段落の「問いかけ」は、その後に「答え」がある。
しかし、第7段落の「問いかけ」は「答え」がない。
だから、第7段落は質問じゃなくて、主張なのだ。


【その2】「問いかけ」の内容に着目

第1段落と第2段落では、「知識」を聞いている。
しかし、第7段落では、読者に考えてほしいことを問いかけている。


そして今日、自分の考えをノートに書かせ、授業を終えた。

勤務校では、「平和のとりでを築く」を最初にやっているので、
自分の経験などを織り交ぜて書くことは、事あるごとに言っている。
今回も、そうするよう指導した。

2012年10月4日木曜日

「土地のつくりと変化」で好きなだけさせる

勤務校周辺には、地層が確認できるような崖がない。
よって、ボーリング試料を用いての観察になる。

しかし、この試料も班の数だけ十分にはない。

観察グループを前半・後半に分ける。

では、観察ではないときに何をさせるか。

校庭を掘らせる。好きなところを、好きなだけ。

条件をつける。

(1)掘った場所は必ず埋め、固める。

(2)体育などの授業をしていたら、邪魔をしない。

「好きなだけ」というのが子どもたちの意欲を掻き立てる。

ただし、1ヶ所には限定させない。
必ず2ヶ所以上を掘らせる。変化を比べる。
校庭でも、その変化は十分だ。

校庭は人工的に造ったものだから、地層の学習には向かない、
という意見があるだろう。それも一理ある。

しかし、この活動は、どちらかというと、
自分たちの身近な地面を掘ってみることで、興味をもたせることにある。
人工的かもしれないが、「層」が確認できる。

思いもよらぬ場所を掘り、意外なものを発見した班。
層があることを発見し、それが分かるように削り取った班。

いずれも、理科室からシャーレを持ってこさせ、それに大事にしまわせた。

もう学者になった気分である。

その子たちは、とても満足そうに、そして大事にシャーレに試料をしまい、
理科室に持って行った。

全ての授業をこのように開放的にできるわけではないが、
少しのヒントになったらと思う。

2012年10月3日水曜日

「比例と反比例」第4時・第5時(東書6下)

今日は、「比例のグラフ」の授業をした。
指導書では、第4時・第5時と2時間扱いである。
これを1時間で扱ってもなお、数分余った。

グラフを書くこと自体、子どもたちは慣れている。
4年生のときに「折れ線グラフ」を学習している。
そのほか、健康手帳などでも、グラフを書いている。

だから、「とっても簡単」と言って、どんどん進む。
ただし、x,yのどちらかに値を代入して、もう一方の値を求めるとき、
以下を基本形にしている。

y = 4 × x
     ↓
y = 4 × 0.5

 = 2

この基本形で、全ての問題が解ける。

9ページが終わった時点で、子どもたちは10ページをめくっていた。
何かしらの「まとめ」の文章を予想していたのだろうし、
そうすることが、学習の自然な流れだと、子どもたちが感じていたのだ。

ここは、2時間で扱わず、1時間で扱った方が自然の流れになる。

2012年10月2日火曜日

専科の指導力

今や、小学校では「専科」が当たり前の存在になった。
自治体や学校によっての違いはあるが、
「理科」「音楽」「図工」「家庭」が多いのではないだろうか。

私は、専科ではないが、学年の理科を担当している。

私は、一度でも自分の授業時間で起こった他クラスの(ちょっとした)問題を、
学級担任に不満として漏らしたことはない。

なぜなら、その時間の責任は、全て私にあるからだ。

そのときできなかったのは、私の指導力不足が原因である。
ただそれだけ。他に依るところなどあるわけがない。

委員会活動やクラブ活動の指導でも、同様だ。
報告ならするかもしれないが、それを学級担任のせいにはしない。

しかし、教え方が下手な教師に限って、責任を学級担任になすりつける。
授業がおもしろくないから、そういう状況になる。
おもしろくなかったとしても、躾ができればそういう状況にはならない。
(私は、専ら後者だ。これはこれで課題である。)

そんな学級担任のせいにするのなら、専科をやめればいい。
学級担任に戻ればいい。専科としての仕事が成り立っていないのだから。


それに、こんな教師がいる。

担任が見ていないところで、トラブルが起こったとする。
それを、別の教師が見ていたとする。

そうすれば、その教師だけが指導をすればいいのだ。

そこで「複数対応だ」と、訳の分からないことを言って、
担任やら、学年の教師やら、同じフロアの教師やらを呼ぶ教師がいる。

私は、それに巻き添えをくらい、5対1の状況に「いさせられた」ことがある。

1対1でも、教師と子どもなのだから、教師が有利に決まっている。
それを5対1にまでするのだ。明らかに教育的配慮を欠いている。
これはもはや「指導」ではない。「拷問」だ。

この「複数対応」を声高々に言う教師は決まっている。

授業が下手な教師。
褒めない教師。
趣意のないルールをつくる教師。
一部の学級担任ではない教師。

問題を起こした子にだって、プライドはある。
担任に見られていないのなら、担任に知られたくないのだ。

相手は、たかだか生まれてこの方、十数年しか生きていない子どもである。

それを警察ではあるまいし、執拗に「指導」という建前で、取り調べをしている。

私には、全く理解できない。
私が管理職なら、保護者に「やり過ぎだ」と言われれば、
「そんなことはありません」と、突っぱねる自信はない。

私は一度としてこの複数対応をしたことがない。

私が目撃したのなら、私が状況を把握して、事実を確認し、
必要であれば謝らせるなどの指導をする。
たまに複数対応が頭にある一部の教師が寄ってくるが、
私はその人たちに話を一切振らない。

子どもだって、状況を知らない人にあーだこーだ言われても納得いかないだろう。

私だって、その場を見ていないのに、「先生、何かありますか?」と話を振られても、
心のこもった指導はできない。
そのときの何がいけなかったのかが分からないのだから当然だ。

2012年10月1日月曜日

懇談会を企画する

今日は、懇談会(授業参観なし)があった。
参加者は12名。隣のクラスの3倍だ。

とにかく人を集めたいと工夫した。

①学級だよりで何度か呼びかける

「来てください」「楽しみにしています」などと何度か書く。

②内容を予告する

次第を1週間前には決め、その次第を学級だよりで知らせる。

③内容を吟味する

内容もおもしろい方がよい。
今回は「お子さんのこと知っていますか?アンケート」
「いじめをしない子に育てる教育・子育て」を大きな柱とした。
音読発表会をしたのなら、その映像を流す手もある。

④終了時刻を明記する

学級だよりに明記して知らせる。
今日は16時までと知らせた。
もちろん時間を守った。授業時間と一緒である。

これらは、来た人が得をする内容である。
来た人が「おみやげ」を持って帰れるようにする。


職員室では矛盾した会話が繰り広げられる。


懇談会前

「明日懇談会か。緊張するなあ。あんまり人が多くないといいなあ。」


懇談会後

「ちっとも人が来なかった。全く何を考えているのかねえ、最近の親は。」


私にはよく分からない。
懇談会は確かに緊張する。だけど、来てほしい。
担任と保護者とが顔を合わすことのできる貴重な場である。