わたしは、大抵のことは「じゃんけん」で決める。
たとえば、委員会活動に、「運営委員会」「計画委員会」「中央委員会」などと
呼ばれるものがある。
児童会を切り盛りする中心的委員会だ。
かなりの数の教師が、「エリート」を欲しがる。
こればかりは「やりたい」と「できる」が違うのだという。
こういう話に、わたしは身の毛もよだつ違和感を覚える。
所詮は「小学校」内での話なのだ。
何をそんなにエリートばかりを寄せ集めたがるのだろうか。
他の委員会だって大事である。
一番疑問なのが、子どもたちを「できるようにさせる」のが教師の仕事である。
そこを楽しようとしているのだから、怠慢としか思えない。
こんな手順を踏んでいる学級がある。
立候補 → いなければ推薦 → 演説 → 投票
一見民主的なようだが、小学生の投票など、所詮は「人気投票」なのである。
割とできる子たちの気持ちを考えたことがあるだろうか。
わたしの小学生時代は優等生に入るから、この点は力説できる。
普段から勉強できる子たちが選ばれる。
提出物も抜けなく出すし、トラブルもそうそう起こさない。
なのに、「推薦」などというまやかしで、嫌な役を押し付けられる。
普段、提出物も出さない、トラブルも起こす他の子は、
休み時間に何の悪気もなく遊んでいる。
こっちは、毎日のような集まりで休み時間がないようなものなのに……。
こういう点から考えている教師がどれだけいるのだろうか。
多くても十数年しか生きていない子どもたちに、
なぜ優劣を教師が主導となってつける必要があろうか。
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