体育の服装は、派手な方がよい。
特に校庭での体育となると、
教師がどこにいるのか分からなくなる。
時に、教師は判定役になる。
そのときに、どこにいるのか分かる方がよい。
だから、私の服装は少し派手だ。
同僚から、「駅伝選手みたい」と何度も言われた(笑)
教室での授業では、刺激的な色は避けるが、
体育は別だ。
2013年3月31日日曜日
2013年3月29日金曜日
「編成」と「編制」
「へんせい」には、2つある。
「編成」と「編制」
学級「へんせい」は……「学級『編制』」である。
列車などの10両「へんせい」は……「10両『編成』」である。
どうでもいいか?
いや、教務や学籍ならば知っておいた方がよい。
「編成」と「編制」
学級「へんせい」は……「学級『編制』」である。
列車などの10両「へんせい」は……「10両『編成』」である。
どうでもいいか?
いや、教務や学籍ならば知っておいた方がよい。
年度末最後の整理と新年度の準備
明日から土日なので、今日で実質年度が終わる。
だから、今日はたくさんの書類を整理整頓した。
終えたあとの引き出しの軽いこと軽いこと(笑)
必要最低限のものを残し、きれいさっぱり。
月曜日に備える。
(処理しきれていない人は、土日やった方が気持ちは良いだろう)
そして、午後は新年度の準備に勤しんだ。
とりあえず、学年が発表されたので、
その学年に関する書籍を買い込む。
1万5千円ほど。まあ、最初は仕方がない。
今日からこれらの本を読み、ノートにまとめていく。
できることを、できるところまでやる。
だから、今日はたくさんの書類を整理整頓した。
終えたあとの引き出しの軽いこと軽いこと(笑)
必要最低限のものを残し、きれいさっぱり。
月曜日に備える。
(処理しきれていない人は、土日やった方が気持ちは良いだろう)
そして、午後は新年度の準備に勤しんだ。
とりあえず、学年が発表されたので、
その学年に関する書籍を買い込む。
1万5千円ほど。まあ、最初は仕方がない。
今日からこれらの本を読み、ノートにまとめていく。
できることを、できるところまでやる。
2013年3月28日木曜日
卒業アルバムの服装
全てのスーツ、シャツ、ネクタイが異なっている。
教職員全員の集合写真、6年担当職員の写真、担任の個人写真、
クラスの集合写真ととりあえず決まっている写真で服装を変える。
こうすべきだというものでもないが、
こうしたいという密かなこだわりである。
おそらく気付いている子はいない(笑)
保護者はいるかな?
まあ、いずれにせよ勝手なこだわりではある。
ただし、子どもの服装が違うように考えている保護者もいる。
撮影時期の季節がずれれば心配ないが、
どうしても同じような季節に撮影する場合もある。
担任は精一杯、撮影日をずらすなどして、
服装が違うようにしたい。
教職員全員の集合写真、6年担当職員の写真、担任の個人写真、
クラスの集合写真ととりあえず決まっている写真で服装を変える。
こうすべきだというものでもないが、
こうしたいという密かなこだわりである。
おそらく気付いている子はいない(笑)
保護者はいるかな?
まあ、いずれにせよ勝手なこだわりではある。
ただし、子どもの服装が違うように考えている保護者もいる。
撮影時期の季節がずれれば心配ないが、
どうしても同じような季節に撮影する場合もある。
担任は精一杯、撮影日をずらすなどして、
服装が違うようにしたい。
教室の教師の大掃除
年度末。
卒業前に子どもたちに大掃除をさせたが、最後はやっぱり先生だ。
子どもたちではやりきれなかった部分もあるし、
きれいにしたが、この春休み途中でほこりが溜まった箇所もある。
次の教室使用者にはきれいな状態で
「○○先生の後の教室はいい」
と評判になるくらいきれいにしたい。
昨日は日直だったので、職員室に張り付いていた。
今日は天気も良く、絶好の大掃除日和だ。
意外と汚れていたのが、窓の下部である。
サッシも砂が入り込んで汚い。
濡れぞうきんで一拭きするだけで、見違える美しさだ。
たまに、
「これで次に引き継ぐのか?」
という状態の教室を見るときがある。
それでも、やさぐれず(笑)
自分がきれいにし続ければいつか気付くかもしれない、
と信じきれいにする。
卒業前に子どもたちに大掃除をさせたが、最後はやっぱり先生だ。
子どもたちではやりきれなかった部分もあるし、
きれいにしたが、この春休み途中でほこりが溜まった箇所もある。
次の教室使用者にはきれいな状態で
「○○先生の後の教室はいい」
と評判になるくらいきれいにしたい。
昨日は日直だったので、職員室に張り付いていた。
今日は天気も良く、絶好の大掃除日和だ。
意外と汚れていたのが、窓の下部である。
サッシも砂が入り込んで汚い。
濡れぞうきんで一拭きするだけで、見違える美しさだ。
たまに、
「これで次に引き継ぐのか?」
という状態の教室を見るときがある。
それでも、やさぐれず(笑)
自分がきれいにし続ければいつか気付くかもしれない、
と信じきれいにする。
2013年3月26日火曜日
「とりあえず同窓会」を設定する
卒業式の前週の金曜日。
学活で「同窓会」を設定した。
成人式後、よく中・高の同級生や部活仲間とは集まるが、
小学校の同級生と集まる機会など滅多にないことだ。
だから、ちょっとお節介かもしれないが、
こうやって同窓会を設定した(渡辺喜男氏の追試)。
決めることは2つ。
1 いつ行うか。(中学校卒業後はだめ。すぐすぎる。)
2 誰が中心となって行うか。
まず「1」について。
子どもからは色々出た。
(1)成人式後 …… お酒が飲める(笑)
(2)21歳になる年 …… 成人式後では早生まれの人は飲めない(笑)
だから、確実にみんな成人した21歳になる年。
(これについては、4月2日開催案と私の誕生日開催案が出た)
(3)17歳 …… 18歳では受験で忙しいだろうから。
(4)18歳 …… 6年生(12歳)を基準点としたら、1年生(6歳)の反対にあるから。
それなりに考えるものだ。
あれこれ検討し、21歳案が採用された。
誰が中心となって行うかは、こう付け加えた。
「先生はいつこの学校を去るか分かりません。だから、割と地元に残っているであろう皆さんの中から決めた方がよいと思うのです。」
名前だけになるかもしれないが、
幹事長と副幹事長それぞれ1名が決定した。
開催されるかどうかは分からない。
忘れてしまったら、別にそれでもよい。
ただし、こう企画してみることも楽しいものだ。
卒業時期ならではだ。
学活で「同窓会」を設定した。
成人式後、よく中・高の同級生や部活仲間とは集まるが、
小学校の同級生と集まる機会など滅多にないことだ。
だから、ちょっとお節介かもしれないが、
こうやって同窓会を設定した(渡辺喜男氏の追試)。
決めることは2つ。
1 いつ行うか。(中学校卒業後はだめ。すぐすぎる。)
2 誰が中心となって行うか。
まず「1」について。
子どもからは色々出た。
(1)成人式後 …… お酒が飲める(笑)
(2)21歳になる年 …… 成人式後では早生まれの人は飲めない(笑)
だから、確実にみんな成人した21歳になる年。
(これについては、4月2日開催案と私の誕生日開催案が出た)
(3)17歳 …… 18歳では受験で忙しいだろうから。
(4)18歳 …… 6年生(12歳)を基準点としたら、1年生(6歳)の反対にあるから。
それなりに考えるものだ。
あれこれ検討し、21歳案が採用された。
誰が中心となって行うかは、こう付け加えた。
「先生はいつこの学校を去るか分かりません。だから、割と地元に残っているであろう皆さんの中から決めた方がよいと思うのです。」
名前だけになるかもしれないが、
幹事長と副幹事長それぞれ1名が決定した。
開催されるかどうかは分からない。
忘れてしまったら、別にそれでもよい。
ただし、こう企画してみることも楽しいものだ。
卒業時期ならではだ。
2013年3月24日日曜日
卒業式当日の黒板装飾
本校には、入学式の黒板装飾を含めた教室整備の係はあっても、
卒業式にはない。(今年度初めて気が付いた。反省に出そう。)
ふと、前日の放課後に教室に寄ると、
何やらメッセージが書いてある。
「卒業おめでとうございます」
という文字の周りを、黄色のチョークで、
雲のような枠で囲んでいる。
どうやら、急遽、5年生が書いたものらしい。
ここで迷った。
晴れの卒業をする6年生にしてみれば、
あまりに簡素で雑な装飾だ。
一方、5年生からしてみれば、
急にお願いされた割りに、大きく堂々と書いてある。
しかし、ここばかりは6年生の心情を優先して考えた。
彼らがこの黒板を見て、「卒業だなあ」と感じるかどうか。
担任の直感としては、否である。
だから、当日の朝、私が装飾を施した。
とはいっても、絵なるものが苦手の内に入るので、
イラスト集を片手に見よう見まねで書いてみた。
私にしてはなかなかの出来だ(笑)
当日、子どもたちは物珍しそうに黒板を見ていた。
やはり、当日の教室は特別感がなくてはならない。
今まで、多くのことを我慢して働いてきた6年生。
ここで報ってあげなくて、どこで報ってやれというのだ。
5年生には申し訳ないが、消させてもらった。
(ちなみに、隣のクラスの担任も同様に、
元々黒板装飾のアイディアがあったため、消していた。)
装飾なら装飾で係を設けなければならない。
卒業式にはない。(今年度初めて気が付いた。反省に出そう。)
ふと、前日の放課後に教室に寄ると、
何やらメッセージが書いてある。
「卒業おめでとうございます」
という文字の周りを、黄色のチョークで、
雲のような枠で囲んでいる。
どうやら、急遽、5年生が書いたものらしい。
ここで迷った。
晴れの卒業をする6年生にしてみれば、
あまりに簡素で雑な装飾だ。
一方、5年生からしてみれば、
急にお願いされた割りに、大きく堂々と書いてある。
しかし、ここばかりは6年生の心情を優先して考えた。
彼らがこの黒板を見て、「卒業だなあ」と感じるかどうか。
担任の直感としては、否である。
だから、当日の朝、私が装飾を施した。
とはいっても、絵なるものが苦手の内に入るので、
イラスト集を片手に見よう見まねで書いてみた。
私にしてはなかなかの出来だ(笑)
当日、子どもたちは物珍しそうに黒板を見ていた。
やはり、当日の教室は特別感がなくてはならない。
今まで、多くのことを我慢して働いてきた6年生。
ここで報ってあげなくて、どこで報ってやれというのだ。
5年生には申し訳ないが、消させてもらった。
(ちなみに、隣のクラスの担任も同様に、
元々黒板装飾のアイディアがあったため、消していた。)
装飾なら装飾で係を設けなければならない。
2013年3月23日土曜日
卒業式の入退場の工夫
最も基本的なスタイルは、
担任が連れて入場 → 卒業式 → 担任が連れて退場
である。
こう工夫すると、さらに「旅立ち」の感じが演出できる。
【最後の退場は子どもたちを見送る】
最後の退場は、子どもたちで退場していく。
1組から順番にだ。
最後のクラスの子が保護者席を通ったら、担任団が中央に行き、礼をする。
このタイミングが少しだけ子どもとかぶる方がよい。
「子どもの退場のあとに、まだある」ことを分からせるためだ。
そうすると、だいたい担任団のところで拍手が大きくなる。
これが実に気持ち良い(笑)
退場のスタイルをこう工夫する意図は次の通りだ。
(1)担任が連れて入場するということは、まだ巣立っていないこと。
(2)卒業証書授与でもって巣立ちであること。
(3)巣立ったのだから、自分たちで退場する。
(4)その巣立ちを、担任団は「見送る」ということ。
担任が連れて入場 → 卒業式 → 担任が連れて退場
である。
こう工夫すると、さらに「旅立ち」の感じが演出できる。
【最後の退場は子どもたちを見送る】
最後の退場は、子どもたちで退場していく。
1組から順番にだ。
最後のクラスの子が保護者席を通ったら、担任団が中央に行き、礼をする。
このタイミングが少しだけ子どもとかぶる方がよい。
「子どもの退場のあとに、まだある」ことを分からせるためだ。
そうすると、だいたい担任団のところで拍手が大きくなる。
これが実に気持ち良い(笑)
退場のスタイルをこう工夫する意図は次の通りだ。
(1)担任が連れて入場するということは、まだ巣立っていないこと。
(2)卒業証書授与でもって巣立ちであること。
(3)巣立ったのだから、自分たちで退場する。
(4)その巣立ちを、担任団は「見送る」ということ。
2013年3月22日金曜日
卒業式練習での語り2つ
その1
【ステージを降りても、会場にいる何百人のうち、数人はあなたのことしか見ていません】
「卒業式」は、正式には「卒業証書授与式」といい、
紛れもなく、卒業証書をもらうことがメインの行事である。
ステージを降りるても、来賓に一礼したり、着席したりと動作がある。
そういうところで気を抜かないための指導だ。
この「数人」とは、当日来る「家族」のことである。
家族は我が子しか見ていない。
最後まで美しい立ち振る舞いができることで、家族は安心するのだ。
その2
【6年生として臨むのではない。「最上級生」として臨むんです】
「6年生」とは、1年生から数えて6番目の学年という意味に過ぎない。
卒業式には、その学校の「最上級生」として出席する。
その小学校を背負っているという意味を実感させたい。
この指導は、行事前にも言うことがある。
卒業式は、学年行事ではなく、学校行事である。
卒業生は、あくまで卒業証書を「授け与えられる」側だ。
主体ではない。
だからこそ、礼法が大事なのである。
【ステージを降りても、会場にいる何百人のうち、数人はあなたのことしか見ていません】
「卒業式」は、正式には「卒業証書授与式」といい、
紛れもなく、卒業証書をもらうことがメインの行事である。
ステージを降りるても、来賓に一礼したり、着席したりと動作がある。
そういうところで気を抜かないための指導だ。
この「数人」とは、当日来る「家族」のことである。
家族は我が子しか見ていない。
最後まで美しい立ち振る舞いができることで、家族は安心するのだ。
その2
【6年生として臨むのではない。「最上級生」として臨むんです】
「6年生」とは、1年生から数えて6番目の学年という意味に過ぎない。
卒業式には、その学校の「最上級生」として出席する。
その小学校を背負っているという意味を実感させたい。
この指導は、行事前にも言うことがある。
卒業式は、学年行事ではなく、学校行事である。
卒業生は、あくまで卒業証書を「授け与えられる」側だ。
主体ではない。
だからこそ、礼法が大事なのである。
2013年3月21日木曜日
卒業式の呼名は大きな声でする
火曜日、勤務校の卒業式であった。
4年生のときから担任していた学年であったため、
もう式の最後はぼろぼろだった(予定にはなかったのだが)。
卒業式の呼名は、ほぼマイクを通さず、
体育館の対角線上の一番端まで聞こえるほど大きな声でする。
マイクを通してもいいのだが、こちらの方が気持ち良い。
4年生のときから担任していた学年であったため、
もう式の最後はぼろぼろだった(予定にはなかったのだが)。
卒業式の呼名は、ほぼマイクを通さず、
体育館の対角線上の一番端まで聞こえるほど大きな声でする。
マイクを通してもいいのだが、こちらの方が気持ち良い。
2013年3月2日土曜日
ある女子の変化(小6)
新出漢字の学習が終わった今、「日記」とまではいかないが、
毎日、お題を与えて文章を書かせている。
先日、「小学校6年生のころの○○先生(←私)」という題で書かせた。
本当は、私が小学校6年生の頃を勝手にイメージしてほしかったのだが、
「(児童が)小学校6年生のころ」の私、
つまり今年1年間の私について書いてくると間違える児童が何名かいた。
私の出題ミスといえばそれっきりだが、
それはそれで、私のことをどう見ているかさぐるきっかけにもなった。
そこで、ある女子の内容を掻い摘んで紹介する。
その女子は、今年初めて私のクラスになった。
(この学年は4年生から持ち上がりだが、今年初めて担任したということだ)
そこで、
「今までは適当に過ごしてきた」と自己を振り返り、
「○○先生のクラスで礼儀というものを教わった」
「適当な私たちに、あえて厳しくしていたと思う」
というような内容を綴っていた。
この学校に赴任したとき、校長に児童の特徴をずばり一言
「けじめがつけられない」
と言われた。
小学生なので、ある程度予想はしていたが、
中には想像を絶する光景に何度も出くわした。
そういう状況にもかかわらず、理解しがたい指導も度々目にした。
それを子どもたちは、自分のことを棚に上げるわけではないが、
分かっていたのだ。
「正しいことを正しいと言い、誤りを違うと言える先生」は
やはり子どもたちは見ているのだ。
毎日、お題を与えて文章を書かせている。
先日、「小学校6年生のころの○○先生(←私)」という題で書かせた。
本当は、私が小学校6年生の頃を勝手にイメージしてほしかったのだが、
「(児童が)小学校6年生のころ」の私、
つまり今年1年間の私について書いてくると間違える児童が何名かいた。
私の出題ミスといえばそれっきりだが、
それはそれで、私のことをどう見ているかさぐるきっかけにもなった。
そこで、ある女子の内容を掻い摘んで紹介する。
その女子は、今年初めて私のクラスになった。
(この学年は4年生から持ち上がりだが、今年初めて担任したということだ)
そこで、
「今までは適当に過ごしてきた」と自己を振り返り、
「○○先生のクラスで礼儀というものを教わった」
「適当な私たちに、あえて厳しくしていたと思う」
というような内容を綴っていた。
この学校に赴任したとき、校長に児童の特徴をずばり一言
「けじめがつけられない」
と言われた。
小学生なので、ある程度予想はしていたが、
中には想像を絶する光景に何度も出くわした。
そういう状況にもかかわらず、理解しがたい指導も度々目にした。
それを子どもたちは、自分のことを棚に上げるわけではないが、
分かっていたのだ。
「正しいことを正しいと言い、誤りを違うと言える先生」は
やはり子どもたちは見ているのだ。
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