本日、横浜にしては珍しい降雪量。
そして、日中も降り続いたため、夜も雪が残っている。
東北育ちの私にとっては、過保護と言いたくなるところだが、
下校付き添いにも、「ここは関東」と割り切って従う。
帰ってくると、数名の教員が雪かきをしていた。
まあ、正門周辺だけでも、とそれはよい心がけである。
しかし、管理職や教務主任の姿が1人たりとも見えない。
下校指導にも行かなかったのに、である。
校長・副校長・教務主任ともに50代。
こういうところから信頼感は崩れていくのである。
担任とてそうである。
「学級」が、担任と児童ならば、
「学校」は、3役とその他職員である。
担任が範を示さねばならないように、
3役もそうである。
「若い人が」を建前にするのもいいが、
同時に失うものの方が大きい。
2012年2月29日水曜日
年度末評価
明日、評価・評定の締め切りである。
締め切り日というのは、「朝」に提出が常識である。
(学校では、何かと忙しさに託けて免れられる)
やはり、前期末の記事でも書いたが、人数合わせが行われる。
どんなに素晴らしい指導をして、成果を上げたとしても、
結局、それが成績に反映されない。
市販テストは、単元末に行われる。
だから成績はみんなよくて当たり前、という人もいる。
なので、学習状況調査と結果が一致していないとおかしい、と言う。
そんなに言うのなら、市販テストなどやめて、
中学校や高校のように、中間・期末試験にすればいいのである。
ちなみに、算数でいうと、私のクラスがあるクラスよりも倍以上成績がよかった。
3クラス中、私のクラスが一番である。社会もそうだ。
だが、結局、軒並みという形で落ち着くようだ。
平均点90点を実現した教師と、そうでない教師とが、
結局、「成績」という目に見える形で同列になるのは納得がいかない。
仕事に残念さがある方に、結局は合わせなくてはならないのだ。
残念な限りである。
締め切り日というのは、「朝」に提出が常識である。
(学校では、何かと忙しさに託けて免れられる)
やはり、前期末の記事でも書いたが、人数合わせが行われる。
どんなに素晴らしい指導をして、成果を上げたとしても、
結局、それが成績に反映されない。
市販テストは、単元末に行われる。
だから成績はみんなよくて当たり前、という人もいる。
なので、学習状況調査と結果が一致していないとおかしい、と言う。
そんなに言うのなら、市販テストなどやめて、
中学校や高校のように、中間・期末試験にすればいいのである。
ちなみに、算数でいうと、私のクラスがあるクラスよりも倍以上成績がよかった。
3クラス中、私のクラスが一番である。社会もそうだ。
だが、結局、軒並みという形で落ち着くようだ。
平均点90点を実現した教師と、そうでない教師とが、
結局、「成績」という目に見える形で同列になるのは納得がいかない。
仕事に残念さがある方に、結局は合わせなくてはならないのだ。
残念な限りである。
2012年2月24日金曜日
あゆみ
もうすぐで3月。
成績処理やら、「あゆみ」やらの時期である。
この時期さえなければ、この仕事、幸せなのだが(笑)
これらの仕事は、一朝一夕にはいかない。
私は、「あゆみ」は1日3人ずつ書いている。
3人だから書ける。私は、これが4人になると辛い。
だから、締め切りから逆算して、仕事にとりかかる。
成績処理やら、「あゆみ」やらの時期である。
この時期さえなければ、この仕事、幸せなのだが(笑)
これらの仕事は、一朝一夕にはいかない。
私は、「あゆみ」は1日3人ずつ書いている。
3人だから書ける。私は、これが4人になると辛い。
だから、締め切りから逆算して、仕事にとりかかる。
「角柱と円柱」(東書5下)単元末テスト
今日、「角柱と円柱」の単元末テストを行った。
平均点は、93.2点だった。
成績処理のため、テスト続きで申し訳ないが、
算数だけはいつものペースである。
来週に「学年のまとめ」テストを行う。
これで、5年生の市販テストは全て終了。
平均点は、93.2点だった。
成績処理のため、テスト続きで申し訳ないが、
算数だけはいつものペースである。
来週に「学年のまとめ」テストを行う。
これで、5年生の市販テストは全て終了。
2012年2月23日木曜日
「角柱と円柱」を終えて(東書5下)
今日、「角柱と円柱」が終わった。
小学校5年生の算数で、新しく習う算数の内容は終わりである。
年明け、2月29日で算数が終わる予定だったが、
前週に終わりをもってこれた。明日(金曜日)テストだから、それもちょうどよい。
やはり、他クラスとは10時間以上差が開いた。
私のクラスは、算数のペースを少しゆっくり目にして、
遅れている他教科に少し回せる。
漢字と算数だけは、毎日の積み重ねなのだ。
漢字も今月中に終われる。
小学校5年生の算数で、新しく習う算数の内容は終わりである。
年明け、2月29日で算数が終わる予定だったが、
前週に終わりをもってこれた。明日(金曜日)テストだから、それもちょうどよい。
やはり、他クラスとは10時間以上差が開いた。
私のクラスは、算数のペースを少しゆっくり目にして、
遅れている他教科に少し回せる。
漢字と算数だけは、毎日の積み重ねなのだ。
漢字も今月中に終われる。
「水俣病に学ぶ」導入(光村5)
今日から社会は「水俣病に学ぶ」に入った。
指導書では、2月上旬の単元。3週間遅れ。
何とか前の単元で1週間取り戻した。
さて、学習課題を子どもたちから引き出すようにしたかった。
まずは、教科書の写真を見せて、いつも通り、
「分かったこと」「気付いたこと」「思ったこと」をノートに書かせる。
ピックアップして8名を指名し、板書させる。
今回は、疑問(思ったこと)を書いている子どもを即板書させた。
「なぜ大量の魚が死んでしまったのだろう。」
「同じ海で育った死んでいない魚を食べた人はどうなったのだろう。」
「なぜ赤土色のへどろが溜まったのだろう。」
これらが疑問であることを押さえる。
そこで思い切って問うてみた。
「皆さんは、この勉強で何を勉強したいですか。」
班で話し合わせると、意外にも(?)真剣な表情で話している。
*被害の状況 *原因 *どうやってきれいな海にもどしたのか。
ねらい通りの学習課題が出てきた。
7つほど出た。
そこで、最初に調べる課題をノートに書かせる。
あとは、予めアルファベットを振っておいた7つの課題について、
調べたい順序にアルファベットを書かせる。
冒頭10分間に地図帳ゲームをしても、なお5分余った。
予め念入りにシミュレーションしただけあって、スムーズだった。
やはり、教材研究の時間確保は、学校運営の早急の課題である。
明日は調べ学習。
順序をつけておいたから、時間内で調べるのも、手順が分かりやすそうだ。
指導書では、2月上旬の単元。3週間遅れ。
何とか前の単元で1週間取り戻した。
さて、学習課題を子どもたちから引き出すようにしたかった。
まずは、教科書の写真を見せて、いつも通り、
「分かったこと」「気付いたこと」「思ったこと」をノートに書かせる。
ピックアップして8名を指名し、板書させる。
今回は、疑問(思ったこと)を書いている子どもを即板書させた。
「なぜ大量の魚が死んでしまったのだろう。」
「同じ海で育った死んでいない魚を食べた人はどうなったのだろう。」
「なぜ赤土色のへどろが溜まったのだろう。」
これらが疑問であることを押さえる。
そこで思い切って問うてみた。
「皆さんは、この勉強で何を勉強したいですか。」
班で話し合わせると、意外にも(?)真剣な表情で話している。
*被害の状況 *原因 *どうやってきれいな海にもどしたのか。
ねらい通りの学習課題が出てきた。
7つほど出た。
そこで、最初に調べる課題をノートに書かせる。
あとは、予めアルファベットを振っておいた7つの課題について、
調べたい順序にアルファベットを書かせる。
冒頭10分間に地図帳ゲームをしても、なお5分余った。
予め念入りにシミュレーションしただけあって、スムーズだった。
やはり、教材研究の時間確保は、学校運営の早急の課題である。
明日は調べ学習。
順序をつけておいたから、時間内で調べるのも、手順が分かりやすそうだ。
2012年2月16日木曜日
「分数のかけ算とわり算」を終えて(東書5下)
今日、「分数のかけ算とわり算」の単元末テストを行った。
平均点は、表裏合わせて94.8点だった。
6時間単元であるが、5時間で終わった。
かけ算 2時間
わり算 2時間
力をつけるもんだい 1時間
しあげのもんだい 1時間
この内、わり算を1時間で指導した。
この1時間、私のここ最近の授業ではピカイチでテンポがよかった。
あのドライヴ感を忘れないようにしたい。
明日から、5年生最後の単元である「角柱と円柱」に入る。
平均点は、表裏合わせて94.8点だった。
6時間単元であるが、5時間で終わった。
かけ算 2時間
わり算 2時間
力をつけるもんだい 1時間
しあげのもんだい 1時間
この内、わり算を1時間で指導した。
この1時間、私のここ最近の授業ではピカイチでテンポがよかった。
あのドライヴ感を忘れないようにしたい。
明日から、5年生最後の単元である「角柱と円柱」に入る。
2012年2月8日水曜日
「正多角形と円周の長さ」を終えて(東書5下)
今日、「正多角形と円周の長さ」の単元末テストを行った。
平均点は、表だけだと93.6点、裏も合わせると79点であった。
裏の点数が悪い。
間違えた問題は、ほとんどの子どもが一緒であった。
それは、半円と扇形などを組み合わせた図形の
円周の長さを求める問題だ。
なんだか受験問題のような問題。
応用する力が求められるのかもしれないが、
教科書では、単元末の練習問題で少し登場する程度だ。
子どもたちは、やはり授業で教わったことは確実にできている。
ところが、テストには教科書の通常の授業の時数として扱われない
今回のそのような問題が出題される。
子どもたちがかわいそうになる。
だから、子どもたちには、表の平均点を「平均点」とした。
大喜びであった!
そして、今回、何より嬉しかったことがある。
昨年度、算数に課題があるとして挙げられた子どもが、
遂に表で100点を取ったのだ!
テストを返したときの、あの表情は忘れられない。
きっと今日は、家族で大喜びであろう。
その子どもの保護者曰く、
「○○先生(私)は、やり方を教えてくれるからいい。」らしい。
その子どもも、宿題で問題を解くとなると、
私が授業で唱えた言葉を、思い出して唱えながら解いているらしい。
明日から、「分数のかけ算とわり算」に入る。
5年生最後の計算の単元だ。
残す単元はあと2つ。どちらも5~6時間扱いだから、
2月中には算数を終えられる計算だ。
相変わらず、他のクラスとは10時間以上の差がある。
平均点は、表だけだと93.6点、裏も合わせると79点であった。
裏の点数が悪い。
間違えた問題は、ほとんどの子どもが一緒であった。
それは、半円と扇形などを組み合わせた図形の
円周の長さを求める問題だ。
なんだか受験問題のような問題。
応用する力が求められるのかもしれないが、
教科書では、単元末の練習問題で少し登場する程度だ。
子どもたちは、やはり授業で教わったことは確実にできている。
ところが、テストには教科書の通常の授業の時数として扱われない
今回のそのような問題が出題される。
子どもたちがかわいそうになる。
だから、子どもたちには、表の平均点を「平均点」とした。
大喜びであった!
そして、今回、何より嬉しかったことがある。
昨年度、算数に課題があるとして挙げられた子どもが、
遂に表で100点を取ったのだ!
テストを返したときの、あの表情は忘れられない。
きっと今日は、家族で大喜びであろう。
その子どもの保護者曰く、
「○○先生(私)は、やり方を教えてくれるからいい。」らしい。
その子どもも、宿題で問題を解くとなると、
私が授業で唱えた言葉を、思い出して唱えながら解いているらしい。
明日から、「分数のかけ算とわり算」に入る。
5年生最後の計算の単元だ。
残す単元はあと2つ。どちらも5~6時間扱いだから、
2月中には算数を終えられる計算だ。
相変わらず、他のクラスとは10時間以上の差がある。
2012年2月5日日曜日
「あゆみ」スタート
気付けばもう2月。
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。」
2月を逃がしてしまうと、「あゆみ」(通信票)がきつくなってしまう。
私は、先週末(1月最後の週)から書き始めている。
5年生担任だから、教科に関しては専科の評価・所見待ちであるから、
総合・英語の欄から書き始めている。
後期は「英語」と学年で揃えている。
要録にも「英語」(外国語活動)を書く欄が今年度からできたので、
そこに書いた所見を参考に、あゆみに書いている。
「英語」だけでいえば、3分の1は終わった。
2月は、1月と3月より日数が少ないのだから、計画的に行いたい。
来週には、研究授業も控えている(^^;)
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。」
2月を逃がしてしまうと、「あゆみ」(通信票)がきつくなってしまう。
私は、先週末(1月最後の週)から書き始めている。
5年生担任だから、教科に関しては専科の評価・所見待ちであるから、
総合・英語の欄から書き始めている。
後期は「英語」と学年で揃えている。
要録にも「英語」(外国語活動)を書く欄が今年度からできたので、
そこに書いた所見を参考に、あゆみに書いている。
「英語」だけでいえば、3分の1は終わった。
2月は、1月と3月より日数が少ないのだから、計画的に行いたい。
来週には、研究授業も控えている(^^;)
2012年2月2日木曜日
専科の指導力
来週、午後から出張の日があるため、
専科で埋められないかと専科の先生に予定を伺ったときのことである。
どうやら、私のクラスが「音楽は息抜き」の状態になっているらしい。
そして、それは私の指導力が足りないのでは?ということらしい。
そんなの責任転嫁も甚だしい。
専科の時間は、専科担当の責任において行われているのだ。
相手が変われば、接し方が変わるのは大人も一緒だ。
それが子どもとなれば、それは顕著なわけで、
学級担任でなくとも、授業のシステムづくりは大切かつ重要なのである。
私は、専科の授業で特別教室に連れて行くとき、
必ずあいさつをして入室する。
そうすると、後に続く子どもたちもあいさつをする。素晴らしいことだ。
しかし、その子どもたちのあいさつを返さない教師がいる。
私は、専科の授業が終わるのを教室で待っていると、
子どもたちは「ただいま!」と言って帰ってくる。
私は、その言葉1つ1つに対して「お帰り」と言う。
「ただいま」の回数だけ、「お帰り」と言う。
そんなこともしない。
授業では滅多に(だいたい0回)褒めない。
指示の順番がぐちゃぐちゃ。
授業をパーツとして組み立てられない。
授業のテンポが悪い。
こんな状態にさらされていたら、
そりゃあ子どもたちだって、いい子でいたいとは思えない。
そんな教師に、我がクラスの授業態度を批判する筋はない。
教師の授業力は、教職経験年数に比例しないことは、常識だ。
「ベテラン」の蜜を吸いすぎている教師が、山ほどいる。
専科で埋められないかと専科の先生に予定を伺ったときのことである。
どうやら、私のクラスが「音楽は息抜き」の状態になっているらしい。
そして、それは私の指導力が足りないのでは?ということらしい。
そんなの責任転嫁も甚だしい。
専科の時間は、専科担当の責任において行われているのだ。
相手が変われば、接し方が変わるのは大人も一緒だ。
それが子どもとなれば、それは顕著なわけで、
学級担任でなくとも、授業のシステムづくりは大切かつ重要なのである。
私は、専科の授業で特別教室に連れて行くとき、
必ずあいさつをして入室する。
そうすると、後に続く子どもたちもあいさつをする。素晴らしいことだ。
しかし、その子どもたちのあいさつを返さない教師がいる。
私は、専科の授業が終わるのを教室で待っていると、
子どもたちは「ただいま!」と言って帰ってくる。
私は、その言葉1つ1つに対して「お帰り」と言う。
「ただいま」の回数だけ、「お帰り」と言う。
そんなこともしない。
授業では滅多に(だいたい0回)褒めない。
指示の順番がぐちゃぐちゃ。
授業をパーツとして組み立てられない。
授業のテンポが悪い。
こんな状態にさらされていたら、
そりゃあ子どもたちだって、いい子でいたいとは思えない。
そんな教師に、我がクラスの授業態度を批判する筋はない。
教師の授業力は、教職経験年数に比例しないことは、常識だ。
「ベテラン」の蜜を吸いすぎている教師が、山ほどいる。
特別支援学級担任の事務
特別支援学級担任がいる。
特別支援学級に在籍している児童の担任である。
一般学級担任ならば、その学級およびその学年の事務を行う。
特別支援学級担任ならば、特別支援学級のそれを行う。
事務の中には、「会計」も含まれる。
一般学級でいうところの、「学年会計」(学級会計)である。
だが、一部教科では、一般学級の児童も、
特別支援学級の児童も同じ教材を使う場合がある。
理科や図画工作が多いだろう。
そのとき、在籍学級が違うので、別会計となる。
だから、特別支援学級担任は、一般学級担任へ、
どんな物を買う(買った)のかを、伺う必要がある。
週案や学年だよりを特別支援学級にも渡しているのだから、
「知りませんでした。」は通用しない。
児童を教育する点では、学級の種別など関係ない。
どうも、特に小学校は、特別支援学級担任を、
必要以上に負担減にしようという傾向がある。
一般学級担任とて、大変さは一緒である。
児童の実態は違えど、人数や扱う教科数・内容も異なる。
もっと意識を高くもてばならない教員が、山ほどいる。
特別支援学級に在籍している児童の担任である。
一般学級担任ならば、その学級およびその学年の事務を行う。
特別支援学級担任ならば、特別支援学級のそれを行う。
事務の中には、「会計」も含まれる。
一般学級でいうところの、「学年会計」(学級会計)である。
だが、一部教科では、一般学級の児童も、
特別支援学級の児童も同じ教材を使う場合がある。
理科や図画工作が多いだろう。
そのとき、在籍学級が違うので、別会計となる。
だから、特別支援学級担任は、一般学級担任へ、
どんな物を買う(買った)のかを、伺う必要がある。
週案や学年だよりを特別支援学級にも渡しているのだから、
「知りませんでした。」は通用しない。
児童を教育する点では、学級の種別など関係ない。
どうも、特に小学校は、特別支援学級担任を、
必要以上に負担減にしようという傾向がある。
一般学級担任とて、大変さは一緒である。
児童の実態は違えど、人数や扱う教科数・内容も異なる。
もっと意識を高くもてばならない教員が、山ほどいる。
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