私は、いけないことをしていたら、誰であっても厳しく叱る。
信頼関係が築けている自分のクラスで厳しく叱ることはあっても、
その他となれば、「注意」ぐらいで終わるのが普通かもしれない。
しかし、私は違う。
自分のクラスの子と同じように叱る。
一方で、
私は普段接さない子でも、気付けば褒める。
何年生であっても、褒める。
褒めたくなったら、褒める。
楽天前監督の星野仙一氏が言っていた。
「トップは、怒ることがはっきりしている方がよい。」
基準をはっきり示せということだ。
だから、”私”という人物像が明確になる。
朝会で司会を担当するときがある。
私が前に立つと、全学年十数秒以内にシーンとなる。
私は一言も発しない。
ただ、全体に対して目配せをするだけだ。
穏やかに「さすが高学年。静かで姿勢が立派です。」とだけ言い、朝会が始まる。
もう一度言う。
私が前に立っただけで、シーンとなるのだ。
「お口を閉じます。」
「静かにするんですよ。」
などと発する必要がない。
立つだけである。
それくらい、基準を明確に示したい。
「よい」「悪い」がはっきり分かる人間でありたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿